東京・多摩から秩父方面を目指しつつも、北回りの迂回ルートをたどって

毛呂山町の新しき村を訪ねたのち、早くも昼飯どきとなったのでありますよ。

通りすがりの道沿いで、ふいと見かけたうどん店に入ってみることにいたしました。

 

 

セルフとありましたので、讃岐の本場っぽいかんじか?とも思ったりしましたが、

要するに食券を買ってオーダーし、呼ばれたら自分で丼をテーブルに運ぶという学食的セルフでありましたよ。

そのイメージに違わず、盛りの方もがっつり若人向け学食系大盛りとでもいいましょうかね。

 

 

たかだかうどんで?これほど腹いっぱいとは、あまり無い経験でしたですが、

ところでここは越生町にある「道灌うどん」というお店でありまして。

 

 

うどんのそばに弓を携えて佇む武将は太田道灌なのでしょうなあ。

なんでも近くにある「山富貴(やまぶき)」という日本料理店が経営しておるようで。

でもって、店を出てから気付きましたが、ちょうど道路を隔てた向かい側は山吹の里歴史公園であると。

「ああ、それで太田道灌なんだあね」と思い至った次第です。

 

鷹狩に出た太田道灌が野原で雨に降られてしまった際、近くの民家で蓑を借り受けようとしたのですな。

ところが、その家の娘が差し出したのは山吹の花であったことに、道灌は「なんのことやら」と退散することに。

後から考えて、貸す蓑も無い貧しさを古歌に託した娘の機転に気付いた道灌、自ら恥じ入ったと伝わります。

 

後拾遺和歌集にある「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞかなしき」という一首だそうですが、

「実の一つ」を「蓑ひとつ」と掛けていたわけでありますね。

 

ですが、この太田道灌の山吹伝説はここ越生にも伝わる一方で、

以前には新宿中央公園でもこの伝説に伝わる碑を見かけており、他に豊島区や荒川区にも

ゆかりの地を標榜する場所があるのだということなのですなあ。

 

ただ、越生にある山吹の里歴史公園は確かに伝説の地であるかどうかはともかくも、

都心のあちこちとは違って、春先には3,000株もの山吹が咲き乱れるということですので、

それだけでも少々分がいいような気もしますですね。

 

今回はただただ昼飯にうどんを食しただけでしたけれど、季節が廻った暁には

黄色く染まった山吹の里を訪ねてみたいものだと思ったものなのでありました。