先日来、『踊る大紐育』、『錨を上げて』、そして『雨に唄えば』とジーン・ケリーの主演映画を見てきておりましたが、アメリカのミュージカル映画に触れるのにもう一人、フレッド・アステアを素通りしてはいけんのでしょうなあ。

 

もっとも個人的な経験として、映画の中でフレッド・アステアを見たのは1974年の『タワーリング・インフェルノ』でありまして、このときアステアをして「往年のミュージカル映画の大スター」などとも言われていただけですが、スクリーン上にいるのはすっかりおじいさんになっていた(アステアは1899年生まれ)ものですから、子供の目からは想像することもできず…。同じ年に『ザッツ・エンタテインメント』が作られていますので、 その気になればハリウッド華やかなりし頃のミュージカル映画に触れるという機会にはなったところが、お子様としてはこれを素通りして今に至った次第。ですので、ここで改めてフレッド・アステアの本領に触れることになったのでありますよ。

 

 

代表作はいろいろありそうでしたけれど、今回お試しにもってきたのは『イースター・パレード』(1948年)と『スイング・ホテル』(1942年)の二本でして、この時期にもすでにアステアは40代ですので、本当はさらに遡った作品を探すべきだったかもですね。何せ『イースター・パレード』の方はもともとジーン・ケリーがキャストされていたところ、撮影中のケガで降板、急遽アステアが代役に立ったとは、世代交代期の作品だったのですなあ。

 

ではあるものの、ここでのアステアのダンスはやはり見事でありましたよ。先にジーン・ケリーのダンスが見事で!と申しておりましたが、手先がぴたぴたと決まって腕の振りに全く無駄がない点ではジーン・ケリーに分があるものの、脚さばきの華麗さ、軽やかさではアステアに軍配が上ろうかと。これには体格の違いもありましょうかね。ジーン・ケリーが肩幅広い、がっしり型であるのに対して、アステアは本当に細身ですから、それだけでも見た目の軽やかさが伴うのでもあろうかと。

 

そんな外見も手伝って、ジーン・ケリーの水兵はしっくりはまっていた一方、ボールルーム・ダンサーとしても登場する『イースター・パレード』の役どころは(結果的にもせよ)アステアでむしろ馴染むものであったかもしれません。最初の方の、おもちゃ屋を舞台に子役とともにあれこれのおもちゃを小道具に歌い踊るシーンは「ジーン・ケリーであったらば…」と想像したりもするところですが、だからといってアステアも違和感無い以上に演じておりましたですよ。

 

ところで話としては、まさに『雨に唄えば』の中でサイレント映画時代の作品作りが毎度毎度の同工異曲ぶり(ネガティブな意味合いとして)を揶揄していたことが「自虐ネタ」なのでは?!と思えるほどに、パターンがありますなあ。このことはもう一本の『スイング・ホテル』にも通じるものでありましょうし、先に見たジーン・ケリー作品の方にも。詳しく触れることはしませんけれど、通底しているのは女性をピグマリオン的に見立てることかも。のちの『マイ・フェア・レディ』はミュージカル映画として作られるべくして作られたのであったか?と感じたりもしたものです。

 

ところで『スイング・ホテル』の方ですけれど、これはアステアとともにビング・クロスビーとのW主演であった…という以上に、後にクリスマス・ソングとして定番となる『ホワイト・クリスマス』がお披露目された映画でもあるのですね。W主演と言いながら、ビング・クロスビーはダンス下手の歌上手、アステアは歌下手のダンス上手と描かれているのも妙味でしょうか。なにしろダンス・シーンは見せ所になりますので、そちらの方にばかり目が向いてしまいますが、歌って踊れるアステアとはいえ、歌の方はビング・クロスビーの滋味深い歌唱に及ぶところではないようで、クロスビーがいてこその歌をフィーチャーできる作品になったのでもありましょう。

 

その後のミュージカルでは、歌の重要度がもそっと上がって、「歌って踊れる」が単に「踊りながら歌う」ことではなしに、自立的に歌そのものを聴かせられるよう求められていったのではないですかね。例えばですけれど、先に挙げた『マイ・フェア・レディ』で言えば、『君住む街角』などはとにかく歌をこそ聴かせるものであったわけで。

 

ということで、フレッド・アステアが『タワーリング・インフェルノ」のおじいさんだけではないということを、遅まきながらはっきりと認識したものなのでありましたよ。