先にフレッド・アステアの出演したミュージカル映画を、『イースター・パレード』、『スイング・ホテル』と2本、見てみたわけですけれど、後者にはW主演の形でビング・クロスビーが出ておりましたですね。この映画で歌われる『ホワイト・クリスマス』が、映画そのもの以上に後世に知られたものとなりますのは、ビング・クロスビーの歌唱と相俟ってということになりましょうか。それほどに(アステアがダンスの人であるのに対して)クロスビーは歌の人であったとは、先にも触れたとおりでありまして。

 

まあ、それくらいにビング・クロスビーという人は、映画にも出る歌手という存在であったのかもと思ったりしたものですから、はてさて他の出演作ではどんなようすであろうかいね?と古い映画を物色することに。でもって、「ほお、そうであったか」と気付かされたのは、コメディ映画の連作として知られた「珍道中」シリーズはボブ・ホープとビング・クロスビーの共演で作られたものだったのですなあ。ちと意外でした。

 

 

とりあえずは、7作ほど作られた「珍道中」シリーズでは後期の作(1952年)、カラーで撮られた『バリ島珍道中』を見てみましたが、そもビング・クロスビーは『スイング・ホテル』の中でも容貌、風体(要するに演技?)がなんとはなし、淡泊というのか、うまい言い回しが見つかりませんが、悪く言えばとても薄っぺらいふうに見えてしまってもいた(歌の表情豊かさとはどうにも裏腹に)ところ、それが反ってボブ・ホープのがちゃがちゃ具合とのメリハリとなって、コンビ作がいくつか作られたのでもありましょうか。

 

話としてはこれ以上ないドタバタ・コメディで、時どきカメラに向かって直接に、見ている側に語り掛ける台詞があったりするあたり、要するにステージの延長線上としての映画作りが想像されましたなあ。本来的に展開する芝居には見ている者の存在は無いものとして進行しているはずながら、かつてのシェイクスピア劇、例えば『夏の夜の夢』で妖精パックが客席に向かって語りかけるところがありますように、ああ、した舞台での伝統といいますか、そういったものを受け継いでいるのであるかなと。また、お笑いという点では、今でも客席いじり(多用は禁物でしょうけれど)、客との掛け合いは見受けられるように、むしろ客の反応も含めたライブ感といったところもまた、別の伝統なのであるかなとも。

 

とまれ、「珍道中」シリーズはある程度の人気を得たからこそシリーズ化されたのでしょうけれど、どうも俳優としてビング・クロスビーはあまり見えてこないといいますか。ですので、全く傾向の異なる映画をもうひとつ、『我が道を往く』という一作です。

 

 

1944年のアカデミー賞で作品賞はじめ7部門で受賞したという、いわば名作なわけですが、Wikipediaには「単なる歌が巧くて大根役者だと思われていたビング・クロスビーから良い演技を引き出し、オスカーを獲らせた」てな記載もあったり。なんとも単刀直入な評ですけれど、「やっぱりそういう評価であったか」とはうなずきたくもなるところ。この映画でも淡泊さは相変わらずで、財政窮乏の教会を立て直す神父役で登場しつつ、近所の悪ガキどもを集めて聖歌隊を仕立てていくといった音楽ゆかりのシーンでこそ、その歌唱ともども、大いに個性が発揮されたというところではないでしょうか。

 

このときに、教会の主任司祭であるフィッツギボン神父を演じたバリー・フィッツジェラルドは助演男優賞を受賞しますが、ノミネート段階では主演男優賞と助演男優賞と同時ノミネートであったとか。結果的に(歌手としてすでに大スターであった)ビング・クロスビーに主演は譲ることになったものの、むしろこちらの味わいある演技を見る映画なのかもしれませんですよ。

 

とまで言ってはビング・クロスビーの立つ瀬がないように思うところながら、その後に出てくるのが「珍道中」シリーズであったとは、やはり歌手として名を残すのがビング・クロスビーの本領だったのかもしれませんですね。