日本を黄金の国ジパングとして紹介したマルコ・ポーロの『東方見聞録』は日本でいえば鎌倉時代のものですけれど、西洋の人々にとってまだ見ぬ東方へのさまざまな思いを掻き立てることになりましたですね。大航海時代はもそっと後になりますので、陸路をたどって目にも珍しい事物を目の当たりにしたことが記される東方往来の旅行記は、『東方見聞録』ほどに知られてはいないものの、多々あったようで。

 

この『東方見聞録』よりやや遅れて出た、英国のアーサー・マンデヴィルによる『東方旅行記』もそうした類のひとつだとか。現代でいえばファンタジー・ノベルに分類されるような、ありえない生き物や習俗が次々と出てくるところながら、当時の人たちは「東方にはそんな珍しいものがあるのか?!」と熱狂したそうな。Wikipediaにも紹介されていますけれど、かのクリストファー・コロンブスもが『東方旅行記』に影響を受けて船出したとかしないとか(笑)。ただ、自らの著作がたくさんの冒険者を生み出した結果として、マンデヴィルの著作は嘘八百を並べたものとして評価はだだ下がりになったそうですけれど…。

 

とまあ、そんな曰くのある『東方旅行記』を持ち出して、新しい冒険譚が(日本で)誕生したのですなあ。『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』なる一冊。ジョン・マンデヴィルの息子アーサーが異母弟エドガー、ローマ教皇の使者ペトルスとともに、父がたどった旅路を再びめぐることになるというお話なのでありますよ。

 

 

父の旅行記がまったくの「いかもの」であると信じて疑うところが無いアーサーとしては旅に出る気はさらさらないわけですが、ローマ教皇のたっての依頼となれば多少は旅するふりをしなくてはならない…と、そんな状況に陥ったのですな。かつて西洋世界では、東方に大きなキリスト教国が存在し、それをプレスター・ジョンという王が統べているという伝説が信じられていましたけれど、ローマとアヴィニヨンに教皇が並び立ってしまったシスマの時代、ローマ側のウルバヌス6世はプレスター・ジョンとの盟約を結ぶことでアヴィニヨンを圧倒し、教会の統一を図ろうと目論んだわけで、旅に教皇の使者が同行するのはそんな経緯なのでありますよ。

 

しかしまあ、旅の途中では「よくまあ、そんなことを考えたものであるな」というものが次々に登場するという。本編の作者は『東方旅行記』ばかりではなくして、当時の西洋世界に流布したさまざまな俗説なども取り入れて、アーサーたちの過酷な旅を演出しておりますよ。もしかしてこれからお読みになるかもしれない方々に障りますので、どんなものが登場するのか…には触れずにおきますけれど。

 

ばかばかしくてやってられないと、隙あらば英国へ帰ることばかり考えているアーサーではありますが、万物への旺盛な知識欲から(『東方旅行記』の真偽はともかくも)旅への興味に掻き立てられているエドガーと、教会の一大使命を果たすことこそ神の思し召しと考えているペトルスとに引きずられるように旅を続けていきますと、東の果ての果て、たどりついたところで思わず目を瞠ることになり、居残りさえ決めてしまうのですな。

 

この東の果ての果て、たどりついたところがどこであるのかは容易に想像がつくところでしょうけれど、伏線とまでいっては大げさですが、さまざまなモチーフを配して、これが後にもつながるような形で張り巡らされていたことには「よく作ったな、この話」と思わざるを得ないところでありました。

 

ところで話はやや硬くなりますが、登場人物たちの中で教会の使者であるペトルスが旅の中でさまざまな事柄に出くわすに及び、常に神の思し召しであると受け止め、神の御力で事は打開されると考える点、本書に先立って高山右近の話を読んでいただけに、なんと都合のよい解釈が次々引き出せたものだなと思わざるを得ない。ま、『東方旅行記』という作り話を元にした作り話である本書なだけに、真剣に受け止めるのでなくして、キリスト教、引いては宗教一般に対するパロディだと思えばいいのでしょうけれど。

 

とまれ、こうした話は作り手の側としても楽しかっただろうなと思ったり。個人的にもいつかはやりたいことだしなあ…ということを思い出させてもらったものでありますよ。