先日はアッバス・キアロスタミ監督作品の映画『友だちのうちはどこ?』を見て、主人公の少年アハマッドはどんなふうに成長していくのだろう…てな思い巡らしをしましたですね。

 

折しも、昨年(2021年)渋谷のユーロスペースで開催されたというキアロスタミ監督の特集上映『そしてキアロスタミはつづく』のことにも触れたですが、その上映作品紹介を眺めていて「『友だちのうちはどこ?』の少年たちを探す監督親子の旅大地震の起きたイランで見つけたのは、生きることへの希望」てな一文が目に止まったのでありますよ。

 

作品は『そして人生はつづく』というもの。1987年公開の『友だちのうちはどこ?』から3年後の1990年、イラン北部でマグニチュード7.4の大きな地震(Wikipediaの記載による)があって、撮影で訪ねた村々に大きな被害を受けたところから、映画に登場した少年たちはどうなっただろう?というところから着想されたものらしい…となれば、例え数年後とはいえ、あの少年たち、取り分けアハマッドはどんなふうになったかなと、思わず見てしまったのでありました。

 

 

元々からドキュメンタリー・テイストの濃厚なキアロスタミ作品にあって、この映画こそ題材としてはドキュメンタリーっぽいところながら、北部の村を訪ねる監督親子は役者が演じているという、目くらましのような映画なのですなあ。

 

大地震の被害で北部へ向かう幹線道路はごった返して、にっちもさっちもいかない中、「どうにかなるだろう」と裏道を進んでいく監督親子は沿道で村への道を尋ねたりするわけですが、どこもかしこも瓦礫の山になっていて、住民たちも家族が亡くなったりしているわけです。これが実に淡々と写し出されるのですよね。否が応でも「そして人生はつづく」という邦題が付けられた所以でもありましょう。嘆きも悲しみも怒りもあるけれど、生きている者たちは日々を送っていかねばならないわけで。

 

とまれ、このドキュメンタリーのようでドキュメンタリーでない、ドキュメンタリーではないようでドキュメンタリーっぽい映画が果たして「映画」として成り立つのかいね?と些か懐疑的な視線を送りつつ見ていたのですが、下手な映画(というものがどんな映画かはともかくも)よりもずっと「映画」になっている気がしたものです。映像表現というのも実に深いものなのだなと改めて。

 

ともあれ、なんとか前作でアハマッドが友だちを訪ねた先の村に到着した監督親子は、先の映画でアハマッドと同じクラスにいた少年(背中が痛いとこぼしていた子)に遭遇。確かに子どもの成長は早いものだなあと思うところですが、結局アハマッドには会えたのかどうだったのか…という微妙なところで映画は終わるのですね。「その後、結局どうなったのよ?」と思わせて終るのはキアロスタミのおなじみの作風なのかもです。

 

ところで、この映画を見ていて「おや?」と既視感を抱いた部分があるのですけれど、それもそのはずこの映画で写しとられた部分がそっくりそのままに次回作『オリーブの林をぬけて』に使われていたとは。「転んでもただでは起きない」と言っては失礼ながら、どんなところにも着想のタネは転がっているのだなと思ったわけですが、転がっているものを見逃さないかどうかに掛かっているですよね。その目が無いと拾えないわけですから、やっぱりキアロスタミという監督は大したものだなと思ったものでありますよ。