数年前(といって、ブログ内検索をすれば2015年1月、もはや8年も前であったか…)にヘッセの『デミアン』にあった一節を引いて、そこに言及されたJ.S.バッハの『マタイ受難曲』をじっくりと聴いてみたことがありましたなあ。イエス受難の物語を描いたこの大作は、19世紀になってメンデルスゾーンが蘇演するまで埋もれてしまっていたながら、「よくぞ蘇らせてくれました!」とメンデルスゾーンに感謝したくなるほどに今でも聴く者を引き付ける音楽であったりするのですよね。

 

さりながらバッハが作ったもうひとつ、『ヨハネ受難曲』の方はいささかマタイの陰に隠れがち。その実際に接しておこうとは、マタイを聴いたときに思ったことですので、あっという間に8年が経ってしまっていたとは(苦笑)。それがここへ来てやおら、さる筋から招待を受けて『ヨハネ受難曲』の実演に触れる機会が到来したのは僥倖、僥倖。イエスの涙雨かというじょぼじょぼ降りの中、そそくさと川崎駅前にあるシンフォニーホールへと出かけてきたのでありました。

 

 

演奏する横浜合唱協会とはバッハを中心に歌い続けて半世紀余りというアマチュア合唱団のようですけれど、バッハ作品は歌い慣れたものでもあるのか、手慣れた印象でありましたですね。それにしても、この『ヨハネ受難曲』、叙情的なマタイに対して、時に劇的とも言われたりするのがなるほど!という作品であったような。イエスがじわじわと磔刑に追い込まれていく過程で、ユダヤの民衆の声を表す合唱はまさに群集心理の発露でもあろうかというほどに激しかったりも。

 

まずもって冒頭部に暗雲が世を覆いつくしているような、低音でたゆたい、繰り返される不穏な旋律が置かれていますし、またイエスが捕らわれるにあたり、民衆に対してイエスの問うて曰く「あなたがたは誰を探しているのか?」に対して、「ナザレのイエスだ!」と応える合唱、そしてイエスの処遇を逡巡するピラトに対して「磔刑を!」と求める合唱には疾風怒濤の勢いさえ感じられるところですしね。

 

もっとも、だからといって全編にわたって劇的一辺倒というばかりではなくして、2曲入るソプラノ・ソロあたりは楚々とした美しさがあったりもするという。常々、バッハを器楽曲を耳にして何とはなしに冷徹さが感じられたりするところとはずいぶんと赴きを異にするものなのでありますよ。

 

同世代のヘンデルがオペラをたくさん残したことに比べ、バッハの大型声楽曲はオラトリオになるわけですけれど、受難曲もまたオラトリオの一種であることからして想像を膨らませれば、バッハはオペラを書いたとしたらそれはそれで成功作になっていたろうなとは思うところです。書かなかった理由は、結構単純に聖トーマス教会カントルはじめ、教会での仕事が多かったバッハが教会用の機会音楽を大車輪で生み出していた忙しさにあるかもしれませんですねえ。

 

一方のヘンデルは早くから一般大衆参加型の「演奏会」という形式が生まれていたイングランドに渡って活躍し、仕えたのが世俗の王様であったことも、大きな違いを生む要素ではあったろうかと。

 

とまあ、そんな違いを想像したりするわけですが、改めて受難曲というのは音楽劇であるなあと。先のマタイのようにCDで聴いているときにはひたすらにその音楽に耳にを傾けていましたけれど、実演を目の当たりにしますと、福音史家、イエス、ピラト、そして合唱と舞台上にいる人々が立体的な場を構成して、舞台背景や衣装などを排したいわば演奏会形式のオペラを聴く(見る)ような印象でもありますしね。もちろん、実演に触れたことのある人がCDを聴いて思い浮かべるところは、実演を知らずに聴いている場合とは違った受け取り方になるのでもありましょうけれど。

 

とまれ、「故きを温ねて新しきを知る」とはバッハの声楽大曲を聴くときのことでもあるかと、そんなふうにも思ったものなのでありました。