先日読んだ『東京彰義伝』でもって、上野山に籠った彰義隊とは十代や二十代そこそこの若者たちであったのか…と今さらながら。そんな折、漫画家の(というよりも個人的にはNHK『お江戸でござる』に解説として出演していた江戸風俗研究家の)杉浦日向子に、彰義隊の若者たちを描いた『合葬』なる作品があることに気付いたものですから、早速に「立川まんがぱーく」へ…と、思ったところがどうやら蔵書には無いようす。念のためと近隣市の図書館HPで蔵書検索をしてみますと、中央図書館で所蔵されておるのであると。

 

かつて図書館では「漫画」を所蔵するか否か、さまざまな考え方があったわけで、漫画は漫画として認めながらも一般の図書館の蔵書とはやっぱり違う…てな発想から漫画専門の図書館(立川まんがぱーくもそのひとつですな)が出来たりしたのですよね。ですが、いつの間にやら一般図書館でも(かなり限られた数とはいえ)漫画を所蔵するようになってきている。後追いで「クール・ジャパン」なるキャッチを被せる以前から、世界中で日本の漫画は注目されているわけで、これを本国でいつまでも仇花扱いしてもいられないということでしょうか。

 

それでも、一般図書館が収蔵する漫画には厳然と、といってかなり匙加減的なところもある区分けがなされてもいるように思うところです。今回手にしたのは杉浦日向子全集の一冊であり、ハードカバーの全集全館揃となれば、一般図書館の領域でしょう…てな整理の仕方があったのかもしれませんですね。と、話は図書館のことではなくして、杉浦日向子の『合葬』、彰義隊のお話でありますよ。

 

 

将軍を降りた徳川慶喜は江戸城を明け渡して、恭順の意を表すべく上野寛永寺に入るわけですけれど、ここで慶喜の身辺警護に携わったのが、彰義隊のそもそもでもあろうかと。その任にあるときは渋沢成一郎(渋沢栄一の従兄弟ですな)あたりも積極的な関わりを持っていたわけですが、やがて慶喜は水戸へと退くことになってしまう。もはや彰義隊に上野山に籠る義は無いと渋沢は考えたところながら、これとは意見を異にする一群がいたのですな。そも慶喜の身辺警護とは迫りくる官軍から護ることであって、翻って攻撃は最大の防御ではありませんが、官軍即ち、予て江戸市中で不穏な行いを続けている薩賊討伐にこそを主目的化していた者たちでありますね。

 

冷静なる大人たちは渋沢の正論に耳を貸したりもしたでしょうし、情勢を考えるに適当な頃合いで身を引いておいた方がよかろうといった処世術も身に付けていたでしょうかね、気付けば上野山に籠るのは十代、二十代の若者ばかりが目につくようになっていたのだそうでありますよ。おそらくは薩賊討伐を前に抜けていく大人たちがいたことで、若者たちの血気盛んなところが煽られることにもなったのであろうかと思ったりするところです。昭和の時代、いっとき過激化した学生運動で働いた心理にもつながるところがあるような。「青春って、すごく密なので」あって、密な状態では彼らの熱情はなおのこと高まりを見せたでしょうから。

 

ただ、ここでは単に「若者」と言ってしまっていますけれど、江戸の時代、武士の中には「部屋住み」と言われるような、若いエネルギーをやり場なく抱えていた者たちがいたことは忘れてはいけんのでありましょう。基本的には長子相続ではありながら、大名から下級の武士層に至るまで、とにもかくにも御家の断絶があってはならぬと長子の万一に備え、子だくさんであることが求められたわけで、長子に万一がなければ次男、三男…は身の置き所が無いのですよね。一朝、ここが働きどころとなれば一も二もなく馳せ参ぜずにはおられない者たちが確かにいたのですなあ。

 

翻って、気持ちの上では「いざ、上野」と思ってもそうはできない立場(長子として親子兄弟の面倒を見なければならないとか)であったりする者もいたのですよね。『合葬』にはそんな彰義隊を取り巻くようすが窺えたりもするという。後世、およそ彰義隊にまつわる映画やドラマが作られないのは、ひたすらに彼らが徒花と目されるのみであるからでしょうか。一方、彰義隊に対する大殺戮の陣頭指揮を執った大村益次郎の方は、その生涯が大河ドラマ(『花神』)になったりもしているという。なんだか妙にワンサイドな気もしてきてしまうところだったりしたものなのでありました。