寒さの残る日が続いて、ようやっと暖かくなるのであるか…と思えば、暖かさを通り越して暑さの日々がやってきてしまい…といった印象のあった一日、東京・初台のオペラシティに読売日本交響楽団の演奏会を聴きに行ってきたのでありますよ。
この日は元来古楽畑の鈴木優人がタクトを振って、メインはベートーヴェンの交響曲第7番。以前やはり読響との組み合わせで聴いた「第九」同様に、ヴァイオリンの対抗配置、そしてノンヴィブラートの弦楽器からは新鮮さ溢れる演奏が湧き上がってきたものでありました。
そういえば、たまたまコンサートホール内で手に取ったクラシック音楽情報誌『ぶらあぼ』2025年4月号を帰りの電車の中でぱらぱらしておりますと、「18~19世紀の歴史的演奏研究の世界的権威である」らしいクライヴ・ブラウン博士にインタビューした記事が載っていて、博士はこんなことを言ってましたなあ。
弦楽器は19世紀の終わりまでヴィブラートをほとんど使わず、代わりにポルタメントと多用していました。…オーケストラにおけるヴィブラートの使用増加は19世紀の終わり頃に起こり、若い世代が徐々に取り入れていきました。当初は、感情表現の一要素として時折用いられるに留まっていましたが、20世紀に入ると美しい音色に不可欠な要素とされ、連続的なヴィブラートに取って代わられたのです。
ということで、ベートーヴェンの7番や9番のシンフォニーが作られた当時の響きを想像するには、ノンヴィブラートでということになるのでしょう。ただ、奏者としては日常的にヴィブラートをかけるのに慣れ切っておりましょうから、時折「あ、(ヴィブラートを)かけてる」と見受けるような、間違い探し的感覚でもってステージを眺めてしまったりも(笑)。その点で今回のコンサートマスター、日下紗矢子のノンヴィブラート徹底ぶりは見事(?)でありましたよ。
と、ひとしきりベト7とノンヴィブラートの話になってしまいましたですが、実のところこの演奏会で最も「!」と思いましたのは、一番最初に演奏された一柳慧の『オーケストラのための〈共存〉』だったのですなあ。
一柳の作った楽曲は端から「こてこての前衛音楽」と思い込み、およそ聴いたことがない。確かに最初の一音からして流れ出した音の世界はいかにもな(昔ながらのイメージで思う)前衛だったわけですが、これが何とも馴染みやすい音楽と感じたことに、自分自身が驚いたような次第なのですね。
でもって、何故に「馴染みやすい」と感じたのかと申しますけれど、「これって、昭和の時代にあった記録映画とか教材用の映画みたいな映像に付いていたような…」と思い至り、なんとなくそんな映像を脳裡に過らせつつ、聴いていたもので。
具体的にはつい先日、何かの加減でYoutubeに挙がっていた古い記録映画『粟野村』(1954年)を目にしたもので、そんな映像が浮かんできたり。福島県の片田舎(失礼!)にある粟野村(現在は伊達市の一部)の風景に、「何故、この曲?!」という(前衛音楽ではないにせよ)思いもかけないクラシック曲、例えばプロコフィエフあたりが被さってきていたのが実に印象的で。
このあたりのことがあって、機械的で(といっても昨今の自動音声のように妙な抑揚でないのは当然ながら)とてもとても乾いたナレーションに被さる音楽として、前衛音楽が妙に嵌るように思えたようなわけなのですね。よもや、こんなことが(いわゆる)前衛音楽の敷居をぐっと下げてくれることになろうとは、これまた思いもかけないことでありましたですよ。一期一会とでも申しますかねえ…と、しみじみ。一柳慧の楽曲を生演奏で聴く機会もそうそう無いでしょうし。