・・・と言っても、肉やアマチュア無線の話ではありません。
第二次世界大戦後に東西冷戦が続く中、米ソ両国は宇宙開発競争に突入。
互いに有人宇宙飛行を目指して開発に鎬を削りましたが、その前段階で実験的に行われたのが、ロケットに動物を乗せて飛ばすことでした。
1947年にアメリカがハエの一種を乗せたのを皮切りに、ハツカネズミ、犬と徐々に大型化し、1958年には霊長類のサルが・・・。
しかし、その殆どは実験の犠牲となりました。
そして今から62年前の今日、簡単な操縦訓練を受けたチンパンジーの
ハ ム 君
HAM
が16分39秒の宇宙飛行の末、大西洋に着水し無事生還を果たしたのです。
1956年にカメルーンで生まれて捕獲され、アメリカ空軍に購入されてホロマン宇宙医療センター(Holloman Aerospace Medical Center )に連れてこられた彼は、そこで訓練を受けました。
※ただしその頭文字を取ってハムと命名されたのは、実験成功後のこと。 飛行前は〝#65〟と番号で呼ばれていました。
それはもし飛行が失敗した場合、名前がつけられたチンパンジーが死ぬことが好ましくないと当局が考えたためだとか。😨
40頭集められたチンパンジーの中から選ばれた彼は、青いランプが点滅したら5秒以内にレバーを押すように訓練を受けました。
それは、間違った時には軽い電気ショックが与えられ、正しく反応した時にはバナナの丸薬がもらえるという、まさにアメとムチ。
厳しい競争(?)を勝ち抜き訓練に耐えたハム君を乗せたマーキュリー計画のレッドストーンロケットが1961年1月30日にケープ・カナベラルから発射され、やや気圧は下がったものの彼は地上訓練通りに操作を行ったとか。
しかし電気系統の故障により、哀れハム君は正しく操作したのに電気ショックばかり与えられめ羽目に。
更にはロケットの燃料を想定より早く使い切ったため軌道が変わり、海面に落下した時の衝撃も大きく、カプセル内に大量浸水。
救助隊が到着した時は溺れかかっていたそうで、カプセルから出されたときは半狂乱状態・・・あたりかまわず嚙みついたそうな。
でも、それは当然でしょうネ。
この不具合により、当初この3週間後に予定されていた有人飛行が延期されたことで、同年4月ソ連のガガーリンに人類初の宇宙飛行(↓)の栄光を奪われてしまいました。
それでも、ハム君の悲惨な体験が後のアポロ計画成功に少なからず貢献したことは確かでしょう。
この決死の宇宙飛行後の彼は、ワシントンDCの国立公園やノースカロライナ動物園で過ごし、16歳でこの世を去りました。
チンパンジーの平均寿命は50歳だそうですから、彼はかなりの早死に・・・初飛行後にノイローゼになったそうですから、宇宙飛行とその訓練がかなりストレスになったんでしょうネ。
彼の骨格標本はスミソニアン博物館に保存されているそうですので、もし同博物館に行かれた際は探してみて下さい。
また米ソの熾烈な宇宙開発競争に興味がある方には、こちらのご一読をお勧めします。
『月をめざした二人の科学者 アポロとスプートニクの軌跡』
(的川泰宣・著 中公新書・刊)
ハム君も登場する同書によれば、アメリカのロケット開発の中心人物は嘗ての敵国・ドイツ人で、生活費を稼ぐためにタクシー運転手のバイトをやっていた時に見出され、ナチス政権下で研究を続けた科学者のヴェルナー・フォン・ブラウン。(↓)
一方のソ連のロケット開発を率いたのは、戦前祖国からドイツとの内通を疑われシベリア収容所に送られるなど6年間の囚人生活を強いられたセルゲイ・コロリョフ博士。(↓)
アポロ11号が月着陸を果たし、月面で飛行士が作業をしていた時に、出遅れたソ連が意地で打ち上げたルナ15号の無人着陸船が月面に墜落・・・その衝撃はアポロ11号が月面に設置した地震計に記録されたとか。😲
またアメリカに敗れたことで宇宙開発から撤退したソ連の着陸船はシベリアでゴミ収集機に、そしてロケットのタンク類も遊園地のゴミ運搬具に転用。
これらのエピソードは、勝者と敗者の惨いまでの差を際立たせてくれます。