今日は、クイズから・・・これは、何でしょう?(↓)
マンモス・・・と答えた方もいらっしゃるでしょうが、不正解。
これは、氷河期の日本に棲息していた〝ナウマンゾウ〟。
もちろん現在は絶滅しており、骨格から復元された模型です。
この象の名前は皆さんも聞き覚えがあると思いますが、しかしこの名前の由来を知っている方は少ないかも。
今日は、この古代象に名を遺したドイツの地質学者
ハインリッヒ・エドムント・ナウマン
Heinrich Edmund Naumann
の命日にあたります。
ナウマンは1854年に当時のザクセン王国マイセンで生まれました。
1875(明治8)年に(日本の技術・知識向上のために高額な報酬で雇用された)いわゆる〝お雇い外国人〟の一人として、若干20歳で来日。
東京帝国大学地質学教室の初代教授に就任すると、地質調査研究所(現・独立行政法人産業技術総合研究所地質調査総合センター)の設立に関わると同時に、調査責任者として日本列島の地質調査に従事。
本州・四国・九州を延べ10,000kmを殆ど徒歩で移動しながら、海岸線の輪郭を記した伊能忠敬の日本地図を基に内陸の地形図作成と地質調査を行いました。
その間彼は2,3カ所の貝塚を発見しシーボルトの貝塚研究を助けましたが、また明治初期に横須賀で発見された象の化石を研究・調査。
※1921年に浜名湖北岸で発見された化石が横須賀で発見された化石共々ナルバタゾウの新亜種であるとして、標識標本化した京大理学部・槇山次郎教授が和名をナウマンゾウとしたのです。
雇用期間は10年でしたが、その働きが評価されて更に半年延長され、1885年6月に明治天皇に謁見して勲4等を叙勲され、離日。
帰国後はミュンスター大学で地質学・地理学を講じた彼は、1893年にベルリンでの地質学会議に参加して、『日本列島の構造と起源について』という論文を発表すると、同名の著書を出版して 『フォッサ マグナ(Fossa magna )説』 を提唱。
この地質構造の異なるラインが糸魚川~静岡に伸びている発見は、日本の地質学上大きな功績であることは、間違いありません。
ただこのフォッサマグナという名前・・・ラテン語で直訳すると〝大きな溝〟なのですが、隠語では〝開いた臭い女性器〟という意味だとか。
何とも下品な命名ですが、彼は日本人にラテン語など分からないと高を括っていたのでしょう。
実際彼は1886年に行った講演会で日本人を無恥呼ばわりして嘲笑したため、それを知った森鴎外が怒って論戦になったそうですから、内心侮日感情があったのかも。
でも1923年の関東大震災で東大図書館が焼け落ちた際には自分の蔵書を寄贈したそうですから、許してあげましょうか。
1927年2月1日に72歳でこの世を去ったナウマンは、単に古代象に名を残すだけではなく日本地質学の功労者であることを、ご記憶いただきたく・・・。