地球が一公転するごとに季節の四季は巡る。 何でも巡ってくる。
だが、青春・朱夏・白秋・厳冬・・・人生の四季は1回限りである。
人は見ないずれかの季節を、今生きている。
中には若くして逝き、白秋・玄冬を見ずにおわる人生もある。
だが吉田松陰は、「人は10歳で死んでも、その人なりの人生の四季を生きて死ぬのだ」 と言っている。
29歳の若さで生涯を終えた松陰自身がも人生の四季を堪能して旅立った人なのであろう。
年齢的に言えばも青春とは30歳くらいまでのことになるだろうか。
朱夏は30~50歳、白秋は50~70歳辺りか。 玄冬はそれ以降となろう。
人は生まれ、若々しく成長しもそして老い、死ぬ。
厳然たる事実である。
この事実を受け止め、その全ての季節をどう生きるか、各人の心の工夫が問われるところである。
松下幸之助氏が松下政経塾を開塾したのは、86歳の時である。
初めての入塾式の後で、住友銀行の頭取を務めた81歳の堀田正三氏と
「5年間の修養でどんな人物が育つだろうか?」
と楽しそうに語り合っていた。
同席した新井正明氏は、自分の年齢を忘れて5年後に希望を燃やすお二人の姿に感嘆した、と述べておられた。
その松下氏が愛唱して止まなかったのが、サミュエル・ウルマンの〝青春〟である。
人生の四季を如何に生きるか、この詩が語りかけてくるものは多い。
味読・心読・身読したい詩である。
『青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ=臆病・気が弱い)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春というのだ。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のシワを増やすが、情熱を失う時に精神は萎(しぼ)む。
苦悶や、狐疑や、不安、失望・・・こういうものこそあたかも長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂を芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欣仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く、失望と共に老ゆる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも覆いつくし、皮肉の厚氷がこれを固く閉ざすに至れば、この時にこそ人は全くにおいて、神の憐れみを乞うるほかはなくなる。』
『小さな人生論 4』(致知出版社・刊)より