今日は、昭和時代の映画・テレビで活躍した往年の二枚目スター、
宍 戸 錠 さん
の命日・三回忌にあたります。
いかにも芸名みたいですが、本名も同じ宍戸さんは1933(昭和8)年に大阪市で生まれました。
錠という珍しい名は、子沢山だった両親が 「この子を最後にしたい(子作りに錠前を掛ける)」 という願いを込めてつけたのだそうな。
と言っても、実際にはその後も更に子供が出来たそうですが・・・。😅
父親は満州事変特需で大儲けした後東京・滝野川に大邸宅を建て転居しましたが、東京大空襲で全焼。
跡地を戦後のドサクサに紛れて他人に占拠され止む無く親戚が住む宮城県に疎開、宍戸さんは同地で高校まで育ちました。
子供の頃から運動神経抜群で勉強もできたという彼は、プロ野球選手か俳優かどちらを目指すか考えた末、日大藝術学部に進学。
そして2年生だった1954年に日活ニューフェイスの第一期生として合格すると、大学を中退して日活入り。
※日活に関する過去記事は、こちら。(↓)
翌年には 『警察日記』 で巡査を演じ銀幕デビュー。
当初は美少年・二枚目スターとして売り出したそうですが、ここで宍戸さんは一大決心をします。
それは後に彼のトレードマークとなった〝豊頬手術〟を受けたこと。
おそらく今でいう差別化・オンリーワンを目指しての事でしょうが、かなりの勇気が要ったはず。
しかしその手術は結果的に大成功。
宍戸さんはその後タフでハードボイルドな役柄を演じて小林旭さんと共に活躍。
日活アクション映画の隆盛もあって、同社宣伝部員が名付けた〝エースのジョー〟というニックネームで親しまれました。
※2001年にはオルガノーゲンの除去手術を受け、その様子がテレビで放映され話題になりました。
注入時ゼリー状だったオルガノーゲンはメスもなかなか通らない程に石灰化していたそうで、宍戸さん本人も驚いたそうな。
その後映画業界の衰退と共にテレビに進出。
多くのドラマに出演しましたが、個人的にはバラエティー番組に出演していた宍戸さんの姿の方が記憶に残っています。
特に 『くいしん坊!万歳』 で美味しそうに笑顔で食べるグルメレポーターぶりからは、悪役スターの凄みは殆ど消えていましたネ。(↓)
しかし2006年に虚血性心不全の診断を受け入院・手術した後、
2010年には奥さんと死別。
更に2013年には留守中に漏電による火災で自宅を全焼し、思い出の品や衣料品などの日用品を全て失うなど、不幸が続きました。
そして2020(平成31)年1月18日、虚血性心不全のため死去・・・発見されたのはの3日後の21日、いわゆる孤独死でした。
往年のスターとしては寂しい最期でしたが、あらためて〝エースのジョー〟のご冥福をお祈り致します。