評 論  | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

クラシック音楽にハマってレコードを集め始めた中学生の頃、知識が乏しくてどんな演奏家のものを買えばいいのか分からなかった私が頼りにしていたのは、ジャケットの裏面などに書かれていた音楽評論家の批評でした。

今から考えれば、それらは当然広告記事みたいなもの・・・しかしその中でも、その卓越した文章でひときわ説得力があったのが、

 

 吉田 秀和 さん


の批評でした。 

 

今日はこのクラシック音楽界における〝大御所〟の命日・没後10周年にあたります。 

 

       
 

吉田さんは1913(大正2)年の東京・日本橋生まれ。
 

父親は医師であり、彼が西洋音楽に親しんだのは母親の影響だったとか。


しかし彼が進んだのは音楽ではなく、文学の道。

旧制成城高等学校(現・成城大学)の文科甲類(英語クラス)に入学した彼は、その後ドイツ語クラスの乙類に転じる一方、中原中也にフランス語の個人教授を受けたと言いますから、完全に外国語漬けの生活。

この時期に後のライバル(?)となる小林秀雄さんとも交流があったそうな。

1936年に東京帝国大学文学部仏文科を卒業して帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)でフランス語を教えた後、内務省地方局庶務係に勤務し英独仏語の翻訳に従事。

また戦時中は日本音楽文化協会の嘱託としてピアノの原料の鋼鉄や鉄筋を音楽産業のために確保したり、音楽家の軍事徴用を止めるよう説得したりしていたとか。

 

そして敗戦後、吉田さんは「自分のやりたいことをやって死にたい」と決意。 

 

ある女性雑誌の付録 『世界の名曲』 への寄稿がきっかけで、音楽評論の道へと進むことに。

好きな音楽の世界で得意の文筆を生かした・・・と言ったところでしょうか。

 

1946年に 『音楽芸術』 (音楽之友社) 誌上に〝モーツァルト〟を連載する一方、その2年後には齋藤秀雄氏らと 『子供のための音楽教室』 を開設し、初代室長を務めました。

この第一期生には小澤征爾・中村紘子・堤剛 さんら錚々たるメンバーが名を連ね、この教室は後に桐朋学園音楽部門の母体となりました。

    
               
小澤征爾さん(左)と

レコードやコンサート評だけでなくNHK- FMでは1971年から約40年に渡って 『名曲のたのしみ』 という番組の構成・司会を務められました。

その深い洞察力と感性豊かな文章は多くの音楽ファンを惹きつけ、音楽評論家として初めて個人全集が刊行され、大佛次郎賞も受賞。

更に1996年には文化功労賞、2006年には文化勲章も受章。

演奏家としてではなく、評論の世界で我が国の文化水準を高めたことが評価されました。

そして2012(平成24)年5月22日、鎌倉市内の自宅で急性心不全により98歳で急逝・・・まさに大往生を遂げられたのです。


       
            『世界のピアニスト』 (新潮文庫・刊)


・・・ところで皆さんは〝評論家〟という稼業、どう思いますか?

私は正直、そういう肩書の方々がテレビや新聞で発するコメントをあまり信用していません。

会社を経営したこともない経済評論家の景気見通しなんて、その最たる例。


だって彼らは仮にその発言が後に間違っていたとしても、何ら責任を問われないですから。


そんな中にも、「おっ、この人は凄い」と思わせた評論家はいます。
ただし実在の人物ではないですが・・・。

それは2007年に公開されたアニメ映画 『レミーのおいしいレストラン』 (原題 : Ratatouille )に出てくるグルメ評論家アントン・イーゴ。


   

 

フランスの料理界で最高の権威を誇るグルメ評論家の彼は非常に辛辣・・・そのおかげで潰れたレストランは数知れず。

そんな彼が評判を聞きつけて主役のレミーが腕を振るうレストラン 『グストー』 にやってきます。

そして出された南仏の家庭料理・・・映画の原題でもあるラタトゥーユに感動した彼は、それを作ったレミーがネズミである事を知り、愕然。

しかし彼は迷った末に、この料理を絶賛します。

結果的にレミーがネズミであることが公になりグストーは閉店、イーゴの名声は地に落ちます。

しかしイーゴは気にすることなく、レミーたちが再び開いたレストランに足を運んだ・・・。

つまり 「良いものは良い、ダメなものはダメ」 という是々非々の態度を貫き通したのです。

テレビや雑誌取材でヨイショ・コメントや提灯記事を連発するようでは、評論家とは言えないということ。

そういう意味において、1983年に初来日した〝20世紀最高のピアニスト〟V・ホロヴィッツ(↓)の演奏を「ヒビの入った骨董品」とこき下ろした吉田氏は、さすがと言えましょう。

 

 

正直、ホロヴィッツ信奉者だった私は、この評論を目にした時激怒したのですが、後にホロヴィッツが当時薬漬けで体調最悪だったことを知り、納得せざるを得ませんでした。

相手がどんなに名声を博していようとも、その演奏や料理を純粋に評価し反発を恐れず批評できる評論家・・・果たして、どれくらいいるのでしょうネ?うー

 

 

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