その目にどうしょうもない孤独の影が見えた。
人恋しいのに、その恋しい人が来れば本心とは裏腹に顔をそむけてしまう。 それでいて、その人が去れば、後を追いかけたくなる。
素直な気持ちを表現できないのだ。
三上さんが向き直ると、少年は慌てて顔をそむけた。
三上さんはベッドのところまで引き返した。
顔を隠そうとする少年の顔を、伸び上がって後ろから覗いてみると、涙が頬を伝っていた。 寂しい姿だった。
それを見た途端、三上さんは心を決めた。
今晩はここに泊まって、一晩なりとも看病しようと。
急いで廊下に出てその旨を院長に言うと、院長は語気強く言った。
「それはいけません。開放性の結核ですからうつります。」
「でも、我が子ならそうするでしょう。 お願いします。」
「とは言っても・・・・しかし・・・」
迷う院長に三上さんは再度言った。
「うつるかどうか、わかりません。
明日はどうなろうとも、今日一日は真でありたいと私は思います。 今日一日真(まこと)であれば、明日死んでも満足です。」
そう言い終わると、三上さんは病室に戻った。
院長は追って来なかった。
「おい、こっちを向けよ。 今日は一晩看病させてもらうからな。」
すると少年は 「チェッ、もの好きな奴やな」 と言いながらも顔を向けた。
「ところで、お前の両親はどうした?」
「そんなもん、知るけ!」
嫌なことを聞くなと拒絶するような雰囲気だ。
「知るけって言ったって、親父やお袋が無くて赤ん坊が生まれるかい。」
少年は激しく咳き込んで、血を吐いた。
「おれはなぁ、うどん屋のおなごに生まれた父(てて)無し子だ。
親父はお袋のところに遊びに来ていた大工だそうだ。
お袋が妊娠したって聞いた途端、来なくなったってよ。
お袋はおれを産み落とすとそのまま死んじまった。」
「そうか。」
「うどん屋じゃ困ってしまい、人に預けて育てたんだとよ。
そしてオレが七つの時に呼び戻して出前をさせた。
学校には行かせてくれたが、学校じゃいじめられてばかりいて、ろくなことはなかった。
店の主人からいつも殴られていた。 ちょっと早めに学校に行くと、朝の仕事を怠けたと言っては殴られ、ちょっと遅れて帰ると、遊んで来たなと言って殴られた。
食べるものも、客の食べ残ししか与えられなかった。 だから14の時に飛び出したんだ。」
「何をして暮らしたんだい?」
「神社の賽銭泥棒だ。
だがな、近頃はシケていてあんまりお賽銭は上がっていない。
そいで、新興宗教のお賽銭箱を狙ったんだ。
でも、すぐにばれて警察に捕まり少年院に送られたが、肺病にかかってココに入れられたんだ。」
「そうか。 いろんなことがあったんだな。」
短い坊主頭に、禅僧が作業するときに着る作務衣に似た木綿の筒袖を着た三上さんは、お世辞にも美男子ではない。
じゃがいものようにごつごつした丸顔に、少年はすっかり心を許したようだった。
「せっかく来たんだ。 足でもさすろうか?」
と三上さんが立ち上がると、少年はいらんことをするなと気色ばんだ。
その病室には椅子がなかったので、三上さんはコンクリートの床にじかに座っていたのだ。
「まあ、そういうな。好きなようにさせてもらうぞ。」
足元に回って毛布をめくると、腐敗したような甘酸っぱい臭いがムッと鼻をついた。
枯れ木のような細い足で、骨の形が見えるようだ。 関節はふくれあがり、肌はさめ肌のようにかさかさで、窪んだところには黒く垢が溜まっている。
さすがの三上さんもたじろいだ。
この足をさするのかと思うと躊躇した。
そんな気持ちを乗り越えてさすっていると、少年が語りかけて来た。
「おっさんの手は柔らかいなあ。」
「何言っとるんじゃ。男の手が柔らかいはずがあるかい。」
「うんにゃ、柔らかいぞ。お袋の手のようだ」
恐らく、人の肌に触れたことも触れられたこともないのだろう。
生まれて初めて人に触れられて、少年の心は溶けた。
うれしい。 こんなうれしいことはない。
人を身近に感じてたまらないのだ。
・・・・・To be continued.