今から45年前の今日、
日本航空115便しりもち事故
が起きました。
1978(昭和53)年6月2日、東京(羽田)発大阪(伊丹)行きの同便・ボーイング747(機体記号JA8119)が、伊丹空港に着陸する際、パイロットの操縦ミスによって機体尾部を滑走路面に接触。
JA8119機(1984年撮影)
41歳の機長と36歳の副操縦士が操縦していた同機は、1度目の接地でバウンドしてしまい、2度目の接地で尾部を激しく滑走路に擦りつけてしまいます。
この接触事故により、乗客2人が重傷、23人が軽傷を負いました。
当然マスコミにより報道されましたが、当時大学生だった私は特に気にすることもなく、また記憶にも残っていません。
日本航空は損傷した尾部の修理をボーイング社に依頼。
同社はエンジニア40名を派遣し損傷した圧力隔壁等の修理を行いましたが、交換部分の繋ぎ目に挟む部材が、途中で2枚にカットされていたため、本来2列必要なリベットが1列分しか利かない状態に。
また修理後行われた日本航空の検査では欠陥修理部分が他の部材に覆われて見えなくなっていたため、欠陥修理が見逃されてしまいました。
この修理ミスが7年後の1985(昭和60)年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故(↓)の原因となった、とされています。