プッチーニの「マノン・レスコー」。35歳のプッチーニの出世作です。87年のデ・グリューにカレーラス、マノンにキリ・テ・カナワを起用したものです。シャイー指揮のボローニャ市立歌劇場管弦楽団。
先行するマスネの「マノン」に配慮して、新機軸を打ち出すことに苦慮することになりました。マスネのほかにもオーベールが歌劇化していました。台本に携わった執筆者五人。ここでルイージ・イリッカとジュゼッペ・ジャコーザに出会うことになります。常に良い歌劇の題材を渉猟していたプッチーニ。すぐれた作品とするためにはよい台本が必要でした。ジャコーザが携わった最後の作品が「マダム・バタフライ」。ジャコーザが亡くなったあとにプッチーニの苦慮が再び繰り返されることになりました。スランプともいえる状態になったのです。「マノン・レスコー」にも台本執筆に五人も起用されたために、劇の一貫性が損なわれることになりました。アベ・プレヴォーの有名な原作。映画化も何度も行われました。中でも48年の仏映画「情婦マノン」は印象深いものでしょう。荒野に死んでいく非情。マスネ作品には、これがありません。プッチーニ作品はマノンが身を持ち崩していく過程を劇でたどるのではなく、印象的な場面を接続していくという形をとりました。荒野での死は非情ですが、女殺し、プッチーニ。歌劇としては最高の場面をつくりだし時に甘美です。歌劇はアミアンの宿、パリ、ル・アーブル、ニューオリンズと幕ごとに場面はかわります。美少女をめぐり、身をもちくずしていくデ・グリュー。典型的なファム・ファタル。抜き出された場面と展開の仕方に、プッチーニの歌劇作法ものぞくのです。

シノーポリの指揮でドミンゴ、キリの二人のすぐれた映像が出ています。キリの歌唱とともに圧倒的な「女性」を感じさせる部分。場面を接続し、そこでのマノンは異なる劇的性格があります。シャイーの指揮も直截的で、ここに不要な劇性を展開することはありません。87年のカレーラスも白血病と診断された年です。そして、このときキャリアの頂点にありました。ルイジアナに娼婦として売られることになるマノン。船長に同船させてくれと懇願するデ・グリュー。それを認めさせたものは狂気と熱意です。カレーラスの迫真は、荒野でのマノンとの二重唱まで違和感を感じさせずにつながります。プッチーニの手法は、こうした印象的場面の操作にあったのです。その仕組みをわかっていても感情移入させてしまうものが音楽の魔術です。

 


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