93年録音。キーシンのプロコフィエフ。何度も取り組んでいる第三番 ハ長調 作品26の録音です。アバド指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。ライヴで収録されています。組み合わせは第一協奏曲となっています。ピアノの高い技巧を前面に出した一枚となっています。モダニストで端正なプロコフィエフは、その先鋭を極端な方向にも向けました。第二交響曲はこうした」方向の極端な例の一つです。「鉄と鋼」できたような強靭と先鋭にあって、パリの聴衆は凄まじい強奏と金属的な響きを理解することができませんでした。スキタイ組曲、ピアノ協奏曲第二番といった作品も、聴衆を大いに戸惑わせたのです。こうした新しい響きを求める性向は音楽院の頃にすでに発揮されていました。第一交響曲の時期に革命が始まり、ロシアを離れたプロコフィエフ。亡命直前の第一交響曲は、新古典主義の先触れとして知られています。アメリカ亡命の際、日本滞在を経てアメリカに出国しました。日本滞在の成果としてのピアノ協奏曲第三番が生まれました。終楽章に五音音階による旋法のロンド主題。モダニスト、プロコフィエフが五音音階といった単純なものを用いることは珍しい例としてあげられます。真偽はともかく、この主題が「越後獅子」に着想を得たと解説されることが多いものです。ロシアを離れてのプロコフィエフは恵まれた環境にあったわけではありません。多くの人の目を引いたのがピアニストとしてのプロコフィエフです。「鋼鉄の指、鋼鉄の手首、鋼鉄の二頭筋、三頭筋」といった評は強い打鍵を反映したものです。ピアニスト=作曲家でもあったプロコフィエフ作品の独奏パートはピアノの性能を最大限に引き出したものです。特に、第三協奏曲は多くのピアニストを惹きつけています。モダニストとして硬質なリズムで構築された音楽はプロコフィエフらしいもの。

 

ロシアに戻ったプロコフィエフは政治体制のもと芸術的な運動も中に組み込まれていきました。新古典的で平明な音楽は体制に利用されることになります。表現者である作曲者にも、体制に剃った作品の発表が求められるのです。シェーンベルク作品の演奏や、自身も先鋭によった復調作品を発表していたプロコフィエフ。その先鋭の部分を封じることになります。グロテスクなものにまで近づくプロコフィエフの先鋭は封じられた後も、部分的に顔を表すことになります。キーシンのプロコフィエフは、強靭で荒ぶるプロコフィエフ像ではありません。叙情も作曲者の大きな特徴です。こうした美しさを引き出し、細部まで調整された演奏の技術。アバドがピアニストともに単なる伴奏には止まらない音楽としています。

 


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