さてイングランドでは
夫（英国人）の幼馴染と
久々の再会などして
割と楽しく過ごしたのですが
・・・その幼馴染君とは
某パブで
待ち合わせをしましてね。
いいビールを揃えていると
地元では評判のパブだそうで
ご店主は割と強面の殿方で
常連客に『オヤジ』とか
呼ばれるのが
如何にも似合いそうな・・・
渋く老け込んで
腕力に自信がありそうな・・・
で、噂通りビールは美味しく、
いつの間にか夫は
店主氏と仲良くなっていて
（わが夫は時々奇妙に
強力な社交性を発揮する）、
夜の１０時を回ったところで
「あっちの団体客に頼まれた
夜食が余ったんだけど
よかったら食うかい？」とか
声をかけられていて
（夫は食いましたよ、
ビーフパイを、夜の１０時に）
（とても美味しかったそうです）、
手すきになると店主氏も
カウンターの外に出て
小さなグラスで何やら
琥珀色の液体をすすっていて
・・・そしてその少し前から
私はあることに気づいていました、
このお店、カウンターの横に
こっそりピアノが置いてある・・・！
いや、ほら、私、
暗くしつこくねちっこく
なんのかんので
ほぼ毎日ピアノを
練習しているじゃないですか。
我が家にあるのは電子ピアノで
現時点で私はかなり
そのピアノに愛着を持っていて
別に電子ピアノが
電子ピアノであることに
異議も不満もないのですが
・・・でも機会があったら
ちょっと本物の、
アコースティックの、
弦が音を出す
鍵盤楽器であるところの
いわゆるピアノを
弾いてみたい、みたいな欲が
心のどこかにあって・・・
そして人間、お酒が入ると
心の中の欲望というものは
膨れ上がる傾向があり・・・
団体客がどやどやと店主に
お礼を言いながら帰って行き、
常連らしい何人かも席を立ち、
お店に残っているのが
我々（私、夫、夫の幼馴染）と
もう一人のお客だけになった時に
私は意を決して店主氏に近づき
「あの・・・突然のお願いで
恐縮ですが、あそこにある
あのピアノ、ちょっと
触らせていただいていいですか」
店主氏は一瞬怪訝そうな顔をして
「え？ピアノ？」
「そうです。あそこにある・・・
あれ、ピアノですよね？」
私の指し示す方向に
目を向けた店主氏は
独り言のように小さな声で
「ああ・・・ピアノ・・・あるねえ・・・」
「あれの鍵盤をほんの
少しだけ叩かせて
いただくことは出来ませんか」
「鍵盤を・・・えっ、何、つまり
弾きたいの？あのピアノを？
だ、駄目だよ、ダメ！
（No, noooooo!）」
そうか、駄目なのか、
そりゃそうか、大事なピアノを
こんな見ず知らずの人間に
突然触られるのなんて
嫌なことだろうし、それにもう
時間も遅いし、近所迷惑だよ、
うん、悪いことお願いしちゃったな、
ここは一言謝って引き下がろう、
と再び口を開こうとした私に
店主氏はそれまでの強面が
嘘のような少女のごとき
恥じらいに満ちた表情で
「・・・駄目だよお、だって
あれ、あのピアノ、
最後に調律したの
３０年以上前だもん・・・！」
１曲弾かせていただきました。
後から聞いたのですが
私がピアノで遊んでいる間
店主氏はずっとカウンターで
「もう全然音が合ってなくて・・・
ずっと調律サボっていたから・・・
だって誰も弾かないから・・・
長いことあれは単なる
店の飾りで・・・弾きたいとか
言ってくる人が突然
現れるとは思わないじゃん・・・」と
呟きながらモジモジ
していたそうでございます。
楽しかったです。
我々の他に唯一
お店に残っていたお客は
どうやら地元の常連さんだった
様子なのですが、夫曰く
「君の演奏を聴きながら
ずっと『アメイジング・・・
アメイジング・・・』って
呟いていましたよ」
「はっはっは、あの人、
かなりの量の
ビールを消費していたしな」
「なんかあのお客さんは
ずいぶん感動しているし
一方で店主さんはひどく
落ち込んでいるみたいだったので
ちょっと場を和ませようと
『彼女が鍵盤を押すたびに
音に合わせてピアノの裏から
蝙蝠（こうもり）が飛び出てくるのが
目に見えるようですね！』って
楽しい冗談を言ったら
お客に本気で睨まれました」
・・・まあ君もかなりの量の
ビールを飲んでいたしな！
お酒が好きなあなたも
ピアノが好きなあなたも
蝙蝠を愛するアナタも
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