すっかり田舎ネズミと

相成った私が

大都会エジンバラに行くたびに

驚くことの一つは

道端に座り込み

小銭を乞う人々の多さです。

 

私が普段生活している田舎町では

滅多に見ない光景なのですが

エジンバラやグラスゴーなどの

大都市には常に

こうした人の姿がある印象です。

 

日本で勤め人をしていた頃、

会社のそばの駅構内で

よく路上生活者の

皆さんの姿を見かけましたが

そうした人たちが道行く人に

喜捨を願っていることはまずなく、

記憶をたどると私が本当に

幼い頃、銀座あたりには

そういう人もいたかな、という・・・

 

それでそうした記憶に

付随して覚えているのが、

当時はまだまだ

矍鑠(かくしゃく)としていた

今は亡きわが祖母が

そうした人の前を通り過ぎる際に

私に対して厳しい声で

「じろじろ見ては失礼ですよ」

 

故に私は長いこと

そうした人のことを

ジロジロ見るというか

眺めるというか

とにかく相手に対し

目線を向けることは失礼、と

考えてきたんです。

 

で、時は流れ私は

英国にやって来て

その1年目だったか

2年目だったかに

とある新聞の

特集記事を読みまして。

 

クリスマスの1週間前の週末、

英国の各都市の繁華街に

記者が物乞いの風体をして

座り込み、道行く人が

どう反応するかを観察する、

というのがその内容。

 

『一番お金が集まった町』とか

『すごく怖い目にあった町』とかの

名前の中で目立っていたのが

『集まったお金の額は

それほどでもなかったけれど、

通り過ぎる人が挨拶をして

くれることが多かった町』。

 

記者曰く、道の隅っこに

お金を入れてもらうための

缶と一緒に座り込んでいて

一番辛かったのは

お金がもらえないことでも

寒さが洒落にならないほど

きつかったことでもなく

『道行く人が自分のことなど

目に見えないように振舞うこと』

『自分の存在を無視されること』

だったそうで、勿論

記者の一日体験と本物の

路上生活者の実体験には

違いがあって当然なのですが、

でももしもこの記者の辛さが

本職の路上生活者の方にも

共通するものであったとしたら、

私はこれまで悪気なく

かなりひどい態度を

そうした人たちに

示してきたのではないか、と。

 

「大金を恵んでくれなくてもいい、

小銭を恵んでくれなくともいい、

助けを申し出て

くれなくても構わない、

でもこっちが声をかけた時に

その声が聞こえないフリを

するのだけは勘弁して欲しい、

長々と話し込んだり

相談相手になったりを

求めているんじゃない、

ただ挨拶をして欲しい、

道端で会った見知らぬ同士が

普通のこととしてそうするように」

 

そんなわけで以来私は

街中で物乞いの人に

声をかけられた時は

せめて相手の目を見て

挨拶を返すようにしています。

 

向こうにしてみたら

「挨拶よりも金を寄越せ」が

本音であるかもしれないんですが。

 

でも今までのところ

こちらが時候の挨拶を

口にして笑顔を作ると

向こうも挨拶の言葉を

返してくれることが多いです。

 

私のこうした行為を

偽善と呼ぶ方も

いらっしゃるかもしれませんが

恐ろしいことに近頃の私は

偽善者呼ばわりされることに

何の痛痒も感じない

若人よ、これが

年を取るということです!

 

 

己の変な開き直りが

時に怖い2021年秋です。

 

 

なお世間には

『ホームレスじゃないけど

お金稼ぎとして

道で小銭をねだっている』

プロフェッショナルの物乞い

という方も存在するらしく、

まあ何でも仕事は仕事というか

その目の付け所も才気の一つ、と

私は傍観していられるんですが、

真実のホームレスでかつ

なんとかその境遇を

抜けたがっているけれども

その方法がわからない方のことは

行政がどんどん支援して欲しい

 

こちらのホームレス問題には

薬物問題なんかも絡んで

本当に支援も

難しいとは思うんですが

でも同時にそうした事態に

対応しようとする

チャリティ団体なども複数あり

私はそこに英国社会の

底力を見る思いがします

 

もうさーだってさー

 

一寸先は闇っていうか

明日は我が身の可能性は

誰にでもあるわけじゃないですか

 

寒いと心細くなって

つい色々と考えてしまう私です

 

ホームレス問題は

完全に他人事なアナタも

出来るところから支援したいと

考えていらっしゃるあなたも

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