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四苦八苦を受け入れると苦が和らぐ

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昨日の朝はいつものように狩野川沿いを50km走って、昼休みはプロショップでロードバイクの洗車に行きました。ピカピカになったロードバイクは新車のようになりました。ギア部分の洗浄もするので走りが軽くなります。

 

今日の朝は雨だったので、室内でのローラートレーニングです。でも昼休みは天気が回復したので、富士の田子の浦港へ旧国道1号線をガンガン走りました。これは往復53kmになります。何時も行き先が修善寺なので、きょうはちょっとコースを変えてみました。

 

自分が健康であることが一番幸せな事なのです。しかし毎日健康だと健康が当たり前になるので幸せ感が薄れてきます。

 

これは健康だけではなくて、人間は何に対しても毎日何事も無ければ、それが当たり前になって幸せ感が薄れます。そしてどうしても「もっとこうなって欲しい」とか「もっとこうありたい」と今の幸せな状態を忘れて思ってしまうのです。

 

これは私も放っておけばそうなります。そういう時に自分を戒めるために、自分にすでに与えられているものを数えるようにしています。私の場合、67歳になるのに健康な体があって、仕事もあって、特殊と言える能力もあって、家とか車とか必要なものが普通にあってと、これで不満に思うのはおかしいと認識できるのです。

 

まあそれでなんとかその場は収まります。それにしてももうすぐ70歳になるのですが、昔は「長寿はめでたい」という事になっていました。私は長生きすることはめでたいとは思えないので、いつ死んでもいいように今日を生きています。

 

生きていれば生きる苦労があるわけですから、長生きすればそれだけ生きる苦労もしなければなりません。お釈迦様は「人生は苦である」と説いています。人間誰でも「生老病死」の四苦を持っています。

 

それに加えて怨憎会苦(嫌な奴と会わなければいけない苦)、愛別離苦(愛する人と別れなければいけない苦)、求不得苦(思い通りにならない苦)、五蘊盛苦(いろいろな感情や想念が湧き上がってくる苦)の四つの苦があります。

 

最初の四苦と後の四つの苦を合わせて「四苦八苦」と言うのです。私は最近生きているという事は常に四苦八苦する事なんだと思うようになりました。この四苦八苦は人間誰しも逃れられない苦なのですね。

 

私も思わぬことが起こったり、思い通りにならなかったり、しょっちゅう四苦八苦を経験しています。だから嫌だけども、人生には苦があって当たり前なのです。「人生は苦である」というのが真理であるのがよく分かります。

 

生きるという事は如何にして自分の中の四苦八苦を受け入れて、それでも何とか幸せを感じるような生き方をするにはどうしたら良いかを、模索し続ける事なんだと私は思います。

 

何にもしなくても私達の人生は苦になるようにできているのです。だから幸せを感じるためには、色々な心の工夫をしなければならないのですね。お金や物や自分を取り巻く良い条件があっても、人間はすぐ苦を感じるようになっています。

 

いくらお金が有っても、愛する我が子が死んだら「愛別離苦の苦」になります。お金なんか要らないから我が子に生き返って欲しいと願うのです。でも子供が普通に生きている間は「もっとお金が欲しい」となるのですね。

 

だからそのような物をいくら蓄えても、実際は人生の苦からは逃れることが出来ないのです。そういうことが分かる歳になって来ました。よく「健康であれば長生きしてもいい」という人が居ますが、私は全然そのように思わないです。

 

もちろん健康でありたいとは思いますが、長生きしても良いとは思いませんね。長生きすると人間の基本的な苦である「四苦八苦」をその分体験しなければなりませんから。

 

今日私の所に来た若い看護師さんから「怒らないようにするにはどのようにしたらいいのですか?」と聞かれました。私は「どんな修行をしても、怒りを無くすことは出来ないよ」と答えました。

 

それは色々な感情や想念が湧いてくる「五蘊盛苦」は人間の基本的な苦であるから無くなることはないのです。ただ社会生活を営むために、「怒りを出さないようにすることは訓練で出来る」と答えました。作り笑いもその一つでしょう。

 

正直に言って私は毎日この四苦八苦のどれかを感じて暮らしています。一番多いのが「求不得苦」と「五蘊盛苦」です。時には「怨憎会苦」もあります。そしてその中で幸せを少しでも感じる方法が、さっき言った自分に既に与えられているものを数えることです。

 

今日も健康でガンガンロードバイクに乗れたので、それを今日の幸せのカウントに入れます。人間死ぬまで四苦八苦から逃れる事はありません。でも逆に四苦八苦を受け入れると「まあ人間生きていればそんなものかな」と苦がそこまで気にならなくなります。

 

人間の四苦八苦は逃れようとすると苦しみ、逆に受け入れるとやわらぐものなのですね。私は長生きはしたくないけど、自分の人生が長引きそうなので「そんなものかな」と四苦八苦を受け入れる努力をしながら毎日生きて行きます。

 

全く本当に「人生は苦である」のですが、何とか四苦八苦を受け入れて乗り切って行きますね。だからまた明日もロードバイクにガンガン乗ります。でもこれを続けるのは私にとって楽しみで苦ではありませんからありがたいことです。

 

これはこれで私の四苦八苦の人生を乗り切る工夫の一つですね。幸せを感じるためにはこういう工夫が人間には必要なのでしょうね。

 

合掌

 

仏光

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天が助ける人、助けない人

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最近は天気も良くて、朝の自転車トレーニングは毎日修善寺までの往復50kmが続いています。だから昼休みのトレーニングを入れると一日平均70kmのトレーニングが出来ています。これは仕事をしながらなので、トレーニングとしては上出来ですね。

 

今日の日曜日は、小学6年生と4年生になった孫を連れて大仁まで狩野川沿いを走りました。前回は狩野川沿いを20km走ったのですが、今回は35km走りました。帰りに下の子が自転車からこけて大泣きしましたが、大きなけがはありませんでした。

 

泣きながら走る下の子を横で見守るようにお兄ちゃんが走っていました。急な登り坂になると下の子が自転車を漕げなくなって、お兄ちゃんが自転車を降りて、自分の自転車と弟の自転車をそれぞれの手に持って勢いよく押して上がってきました。

 

それを見て「お兄ちゃんは偉いな」と思いました。後でいっぱい褒めてあげました。「また走りに行こうか?」と聞いたら元気よく「うん!」と答えていたので、これからは毎月孫たちと走りに行こうと思っています。下の子は元気になっていましたが、途中まで迎えに来たお母さんの車で帰りました。

 

さて、私の所に毎日霊障で困っている人が多く来られていますが、遠方の方の電話お祓いも増えています。昨日は葬式に出てから具合が悪くなった人や、ある人と会ってから親子で具合が悪くなった人など、霊が憑依した原因は様々ですが皆さんお祓いをすると、何時ものようにその場ですっかり良くなるので嬉しいです。

 

その中に定期的に私の所に来ている高校生の女の子が二人居ます。この子らは体質なのか本当に霊が憑きやすく、二人とも体調不良で中学校にあまり行けていませんでした。でも私の所で定期的にお祓いをしてからは毎日学校に行けるようになり、出席日数が危ぶまれていた中学も無事卒業して二人とも高校生になりました。

 

その一人の子のお母さんが、宅建取引主任の資格を持って不動産会社に勤めています。そのお母さんも月に一度お祓いをします。私がお祓いすると今のところ100発100中でお母さんに仕事がいっぱい来るそうです。だから私のことをこのお母さんは「福の神」と呼んでいます。

 

私が見ている限り一生懸命頑張っている人に憑いている霊が取れると、普通に運気は良くなります。そのお母さんが「先週不思議なことがありました」と私に嘘みたいな本当の話を話してくれました。ある母子が事務所を訪ねて来てアパートを探していると言ったそうです。

 

お母さんが対応に出ると、その女の人は長野から4つの子供を連れて出て来たそうで、沼津に住む男の人と結婚する予定だったそうです。ところがいざ沼津に出てきたら、その男には他に女が居て結婚しないという事になったみたいです。とんでもない野郎ですね。

 

母子は長野は引き払ってきたし、帰るところが無いとのことでした。お母さんは可哀想に思い、いくつかの物件を紹介して一緒に見に行ったそうです。でもその女の人は現在仕事も無く、また保証人も居ないので、「この人が保証組合の審査に通ることはたぶん無いだろうな」とお母さんは思っていました。審査に通らないとアパートは借りられません。

 

「この物件がいい」という事になって、お母さんはダメ元で保証組合の審査を申し込みました。「100%無理」と思っていたのに、信じられないことに審査が通ったとの報告があったそうです。そして何で審査が通ったのか、その理由は未だにさっぱり分からないそうです。

 

お母さんは、「私が先生にお祓いしてもらって良い運気になって、その良い運気がこの可哀そうな母子を助けるために行ったのだとしか考えられない」と言っていました。以前にもこれに近いことが起こっていたので、私は「そうかもしれませんね。」とお母さんに言いました。

 

いずれにしてもハラハラしながらお母さんの話を聞いていた私は、最後にホッとするハッピーエンドがあって本当に良かったです。理由はどうであれ困っている人が救われるのは、とっても嬉しいことです。

 

他に何人かの事業主さんが、私がお祓いすると業績が良くなると言って来ておられるので、こういう事も一生懸命頑張っている人で天が助けようと思う人には起こるのでしょうね。やはり天は見ていると思いますよ。いい加減な人間を天が助けるとは思えませんからね。

 

この母子も天が助けたのです。とっても良い話を聞かせてくれたお母さんには感謝ですね。私は天が見ていても、見ていなくても毎日一生懸命自己ベストで生きていきますね。この可哀そうな母子を助けていただいた天に感謝です。本当にありがとうございました。

 

合掌

 

仏光

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不安や恐怖の根源と対策

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私は最近体力において、自分はちょっと普通の人間と違い過ぎるのではないかなと思っています。先週の土曜日は朝、仕事前に修善寺までロードバイクで往復50km走って、昼休みは土曜日にしては珍しく少し時間があったので、西伊豆のサイクリストカフェで昼食を食べて、それからまた修善寺まで走りました。

 

結局ゲストハウスに帰ってきたら58km走っていました。だから土曜日は仕事をしながら合計108km走っているのですね。そして日曜日はプロショップの練習ライドに参加して、天城湯ヶ島まで往復73km走りました。

 

この日はみんな速いメンバーばかりで、しかも天城までの登りがきつくて苦労しましたが、何とかそれ程遅れずについて行けました。でも帰りの平坦部分では、そのメンバーの中でも特に速い人たちの集団に入って、最後まで高速で走ることが出来ました。

 

このように自分に負荷をかけないとなかなか強くなれません。また西伊豆のサイクリストカフェでは、自転車トラック競技の日本ナショナルチームのメンバー達と一緒になって盛り上がりました。

 

彼らが「月に何キロ走る練習をしているのですか?」と私に聞くので、「ひと月に1800km走ります」と言ったらみんな仰天してくれました。

 

彼ら、彼女らはトラック競技なので、そんなに長距離の練習はしないのだろうと思います。そして私が今年67歳になると言ったら、もっと驚いて「凄い、凄い!」を連発してくれました。平均年齢20歳のみんなにとって、自分の親より私の方がずっと年上になります。

 

理由はともあれ日本代表のメンバーに、自転車で「凄い!」と言われるのは気分の良いものですね。今月中にパリオリンピックに行くメンバーが決まるそうで、「みんなハラハラしている状態です」と説明してくれました。

 

カフェを出て行く時にナショナルチームのメンバーがラックから私の自転車を出してくれて、「頑張ってください!」と励ましの言葉を頂きました。本当にここまで毎日コツコツ練習してきて良かったなと思いました。

 

ただ私が自分は少し普通とは違うと思ったのは、土曜日は108km走り、日曜日にプロショップの天城73kmの高速練習の後、昼食をとってまた長男が借りている山の開墾作業を夕方までした時です。これは本当に重労働ですが、この日は仕事がはかどって1ヘクタールの約半分の伐採を終えることが出来ました。

 

ここでやっと「自分は何でこんなことが出来るのだろう?」と思いました。この歳でここまで色々身体が使えて、次の日は疲れて動けないという事も全くありません。日曜日にそれだけ身体を使った後に、月曜日の朝は何時ものように山の自宅の周りでヒルクライムのトレーニングを仕事前に14kmやりました。

 

まあいい意味で普通と違うので、それはそれで良かったと思います。この調子で死ぬ前の日まで行きたいものです。

 

さて、「筋肉は裏切らない」という言葉がありますが、トレーニングするとそれに比例して体は強くなってくれます。これは自分がやった分だけ結果として返って来るので、私としては気持ちの良いものです。

 

身体はある程度自分が思う通りに向上してくれますが、そうならないのが心です。坐禅とか瞑想とか色々やっても、なかなか自分が思う通りには心は動いてくれません。多くの人は心の平穏を得るために色々な事に挑戦するのですが、思った通りにはなりません。

 

それは人間の脳が複雑に進化しているからです。人間以外の動物は今そこにある危機には反応できますが、将来もしかしたら起こるかもしれない危機を予想して色々考えることはありません。そこまでの脳の機能が備わっていないのです。

 

でも私達は複雑な脳を持っているが故に、今ここに無い危機でも想像の中で危険を予測できます。そしてそのまだ起こっていない想像の中の危機に対して不安が増大していきます。元々この複雑な脳は私達がまだサバンナに居た太古の時代にできました。それから脳は変わっていません。

 

色々な危険から身を守るために人間の脳が発達したのですが、そのお陰で私たちは地球で一番繫栄した動物になりました。しかしその高度に発達した脳のお陰で、私たちは想像の中で膨らんだ不安や恐怖に押しつぶされそうにもなります。

 

だから不安や恐怖を感じること自体、人間の脳が太古の時代からそのように出来ているので変えようが無いのです。不安や恐怖の無い時期もあれば、何かをきっかけとして不安や恐怖にさいなまれることが起こります。

 

私もそうです。これはどれだけ瞑想や坐禅をしても脳の構造自体を変えることは出来ないので、坐禅や瞑想は自分の意識で自分を納得させているのです。坐禅で「自分は無になった!」などと言っていたらそれは嘘です。

 

本人がその気になって、言動もそのように振舞っているだけで、生物学的には何をどう頑張ってもサバンナで出来た私達の脳の構造は変えることはできません。

 

YouTubeで知ったのですが、映画「砂の惑星」で主人公の母親が危機に会うたびに唱えている言葉があります。映画の話ですが、私は真理をついていると思うので紹介します。そしてその言葉は私も事あるごとに毎日唱えて実践しています。

 

私は最近の自分の心にどうも納得できない部分があります。大なり小なり私が日々感じる怒りや恐れや不条理感は、自分の脳が作り出した不安や恐れにその根源があると思うのです。

 

そしてその言葉とは、「恐怖を退ける連祷(れんとう)」と題して下記の言葉が続きます。

 

我恐れず。

恐れは心を殺す。

恐れは閉塞に至る小さな死。

私は恐れを通過させる。

その後にはただ自分だけが残る。

 

私はこれをプリントアウトして事あるごとに見るようにしています。これを始めてから私の想像や想定により膨らんだ不安や恐れから逃れられるようになってきたと思います。これも自分で自分を納得させていることになりますが、私の場合は効果があれば何でもいいのです。

 

人間とういうのはおかしなものですね。自分の脳によって押しつぶされるような不安や恐怖に囚われ、また自分の脳によって安心しているのです。自分の日々の心のコントロールは大切ですね。皆さんも試してみてはいかがでしょう?効果があればめっけものですよ。

 

合掌

 

仏光

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次元の迷子にならないために

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やっと暖かくなって、自転車トレーニングには良い季節がやって来ました。今日の朝は今年初めて修善寺までの往復50kmトレーニングをしてきました。スタートした時には小雨が降っていましたが、雨がすぐに上がる予報だったのでそのまま走って行きました。

 

今日走っていて思ったのですが、機材も完璧でロードバイクに乗るのは本当に気持ちが良かったです。最初はいつも走っている狩野川沿いの大仁までの40kmにする予定だったのですが、天気が良くないのに、あまりにも気持ち良かったので修善寺まで走ることにしました。

 

明日からも朝は修善寺までの往復50kmコースを走るつもりです。今月はお友達と富士山一周をする予定でしたが、本栖湖周辺で芝桜まつりがあり、来月後半まで大変道が渋滞すると山梨県の人から教えてもらいました。

 

だから富士山は6月にして、今月は静岡の三保の松原まで往復約135kmを走ることになりました。ずっとほぼ平坦なコースなので、できるだけ高速で走って朝6時に出発して昼過ぎには帰ってくるつもりです。今から楽しみですね。

 

さて、私は毎日霊障で困っている人をその場で良くしていますが、ただ痛みや苦しみがその場で回復して「良かった」だけでは無くて、霊障という現象を通して私も含めて自分のこの現世での生き方を見直すきっかけになってもらいたいなと思っています。

 

ノーベル賞物理学者のロジャー・ペンローズ博士が提唱しているように、死ねば量子状態にある精神のみの生命体(霊)になるのですが、私が見ている限り霊にも二通りあって、死んで霊になったら行くべき次元に行く霊と、霊になってもこの3次元の世界をうろうろしている霊に分かれます。

 

行くべき次元に行く霊は救われるみたいだけれども、この3次元でうろうろしている霊は、その状態が不快であり、どのようにしたらその状態から抜け出せるのかも分からずいつまでもうろうろしているみたいです。

 

この違いは何によって生まれるのかと毎日私の目の前で起こる現象を通じて考えると、どうも生きていた時の生き方や心の境涯によって、行くべき次元に行く霊といつまでも3次元の世界をうろうろしている霊に分かれるみたいです。

 

だいたい自分勝手な人間や、人のことは気遣うふりをしていても、実際のところ自分と自分の家族だけ大切という人はなかなか行くべき次元には行けないようです。利己的な人間は成仏できないのですね。

 

だから人のことを思う「慈悲の心」というのは大切なのです。多くの人は「自分と霊は違う」と思っているみたいですが、我々は生きていても死んでいても、我々の精神がロジャーペンローズ博士が言う量子状態である以上、人間と霊との違いは肉体が在るか無いかだけの話だと思います。

 

私が多くの人に気付いて欲しいと思うのは、霊障で苦しんでいてそれがお祓いでその場で良くなった時に、ただ「痛みや苦しみが取れて良かった」だけではなくて、それが今までの自分の生き方を見直すきっかけになればいいなと思います。

 

もちろん90%の人はそんなことなど考えもしませんが、中には霊障という現象を通して霊とか自分の魂の在り方を再認識して生き方を変える人も居ます。たぶんそういう人は死んだら行くべき次元に行ける可能性が高くなるのでしょうね。

 

ロジャー・ペンローズ博士は「肉体が死ねば精神は量子もつれの現象により、宇宙の然るべき場所に帰る」と論文で言っていますが、私はその然るべき場所が3次元のこの世界以外の次元にあると思っているし、そこに行くことを仏教では「成仏」と言っていると思います。

 

私は死んでからもこの3次元の世界でうろうろするのは嫌なので、毎日自分の生き方を振り返って「まずいな」と思うところは自分で直すようにしています。

 

それでも私が成仏できるかどうか分かりませんが、今から死ぬまでにできるだけの事はしようと思っています。本当に生きて行くのは大変ですが、自分が死んでからの事も考えながら生きることはもっと大事だと思います。

 

何故なら自分の体は死ぬことが出来ますが、自分の精神は消えることなくずっと存在し続けるからです。この3次元で人生を生きるという意味は、消えて無くなる事の無い自分の精神を高めるためにある大切な時間なのだと思います。

 

人生で自分なりに一生懸命自分の精神を高めた人が成仏できるのでしょうね。後々のことを考えると、生きている間に自分の精神(心)を高めることは大切です。

 

合掌

 

仏光

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真に価値あるものは見えない

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日曜日は午前中また風が強かったので、ロードバイクは裾野方面にヒルクライムのトレーニングに行きました。昼食後また長男が借りている山の開墾をしてきました。昨日は今度小学4年生になる下の孫が山に来て作業を手伝ってくれました。

 

体が小さい割には、伐採した木などを運ぶのを手伝ってくれて結構役に立ちました。これからも時々手伝ってもらおうと思います。次回は小学6年生の体が大きくて強い上の孫にも手伝いに来てもらいたいです。

 

作業が終わった後は、みんなで弓矢の練習をしました。15m~20mくらい離れたところに的を置いて、それに向かって練習用の矢を放ちます。私は昨日長男の指導で初めて弓矢の練習をしたのですが、元々センスがあったのか100発100中で的に当たりました。下の孫も長男が作った子供用の弓で器用に矢を的に当てていました。

 

こんな歳から弓矢の練習をしていたら、きっと長男のように将来は凄腕ハンターになるでしょうね。3世代が一緒になって弓矢の練習をするのもまたいいものです。本当に日本がいざとなってどうにもならなくなった時は、弓矢で食料を確保することが出来ると思います。

 

勿論私達がそのようにして食べ物確保をしなければならない緊急事態は来て欲しくないと思っています。でも戦前京都の五条で呉服屋をしていた私の母方の祖父母が、第二次世界大戦中まだ政府が「日本は米英に勝ちに勝ってる」と国民に嘘の宣伝していた頃、アメリカと日本の国力を客観的に見て日本は負けると予想していたことを思い出しました。

 

祖父母は呉服屋をたたんで京都郊外に田畑付きの農家を買いました。呉服屋のおかみさんだった祖母は次の日から鍬で畑を耕していたそうです。戦況は祖父母の予想通りになりましたが、農家になっていたので戦後の食糧難でも家族が飢えることはありませんでした。

 

先日「自分はおじいちゃん、おばあちゃんと同じ事をしているのかなぁ?」と作業をしながらふと思いました。山を切り開いて畑を作るのは大変な重労働ですが、みんなでやっているとこれもまた楽しいものです。終わってからの弓矢の練習はもっと楽しいですね。

 

私が矢で的を百発百中で射抜いた時、「もしかしたら自分は過去生で縄文時代にも生きていて、そのDNAが残ているのかな?」なんて考えました。それほどうまく当たりましたね。凄腕ハンターの長男も褒めてくれました。

 

私は1万年にわたって争いが無かった縄文時代が好きです。その時代の自給自足の生活でもいいと思っています。そんな平和な時代だった縄文時代は人類史の中でも本当に異色な存在です。

 

でも縄文時代の平均寿命は30歳~35歳くらいだったらしいので、今年67歳になる私は、すでに死んでいなければならないことになります。

 

お金や社会的地位などに価値を置く現代社会より、今の私から見ると縄文人の方が寿命が短くても自然と一体となって、よほど人間的な平和な一生を送っていたと思います。

 

現状の日本では縄文の生活は絵空事です。でも私の祖父母ではありませんが、大災害や戦争のようなことが一旦起こると、お金や家など今まで価値あるものとしてきたものは一挙に価値を失います。

 

私は人間にとって一番価値のあるものは、健康をはじめ自分の身に付いたものだと思っています。それ以外のものは社会が崩壊すると価値が無くなります。お金をはじめ社会情勢によって価値が有ったり無かったりするものよりも、健康や能力など自分の身に付いたものは何があってもその価値を失うことがありません。

 

人間にとって物みたいに目で見える有形のものより、健康や才能など目に見えない無形のものに本当はもっと価値があるのですね。それにしても、世の中にはお金など有形のものを追いかけまわして一生を過ごしている人の何と多いことか。

 

心や健康、信頼などこの世では見えないものの中に本当の価値があるのです。それが分かっただけでも今までの一生を右往左往しながら生きてきた価値があったと思います。これからも死ぬまで私は見えないものを大切にして生きて行きますね。それが私のこれからの人生です。

 

合掌

 

仏光

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身体は心よりも正直

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今日は朝から雨。ロードバイクはもちろん室内でのローラートレーニングです。昼からは雨が止んで晴れになるみたいなので、昼休みは外でトレーニングの予定です。でも風が強そうなので、また裾野方面へのヒルクライムトレーニングになります。

 

私は今年67歳になりますが、もっとトレーニングしたいし、もっと仕事もしたいといつも思っています。「もう歳だから無理のないようにこれから先の事も考えて、トレーニングも仕事もほどほどに頑張りましょうね」などとはさらさら思いませんね。そういう考えで一日を過ごすのは私にとっては大変もったいないことであり、またつまらないことです。

 

私は今何かをする時に自分の歳などあまり考えていないと思います。とりあえず体力的にも、血液検査の数値的にも、私が30歳代の時より今の方が全然良いわけですから。だから今の私は私が30歳の時よりトレーニングも出来るし、仕事もできるはずです。

 

違うのは寿命の残り時間ですね。これは私が30歳の時より今の方が確実に短くなっています。私が幸せだなと思うのは、もっとトレーニングも仕事もしたいと思うのと同時に、明日死んでもこの世に何の未練も無いことです。

 

そして「頑張らなきゃ!」と思わなくても、周りからは結果としては頑張っているように見えます。例えば仕事の始業時間の9時半までにロードバイクで40~50km毎日走るというのは、私がとっても頑張って努力しているように思われます。

 

でも私自身はロードバイクに乗って思いっきり速く走っているのが面白くてやっているので、私の中では全然頑張ってはいないのです。むしろ楽しくてしょうがないといった感じです。

 

これは釣りの好きな人が一晩中寝ずに夜釣りをしていても。頑張って努力しているとは言わないのと同じで、ただ好きだからやっているだけのですね。私は面白いことを一生懸命するのは好きだけれども、嫌な事や辛いことを頑張って続ける努力をするのはまっぴらごめんです。

 

今の仕事も朝早くから晩遅くまでやっていても、仕事が辛いと思ったことは14年間一度もありません。反対に会社役員とは言え、サラリーマンをしていた頃の仕事は辛い時もありましたね。特に日本の会社では私の上司にあたる人間がアホな場合、その会社の仕事はとってもつまらなくて辛かったです。

 

だから私はさっさと会社を辞めて、今の仕事を起業したのです。まあ起業するとサラリーマン時代では考えもしなかった困難や、世の中の人の嫌な面も見なければなりませんが、それでも好きな事を仕事にしているので、この仕事を辞めようと思ったことは一度もありません。

 

常にどのようにしたら自分の事業がもっと良くなるのかいつも考えています。サラリーマン時代と一番違うのは、休日が欲しいと思わないことですね。サラリーマンの頃は休日は嬉しいものでした。でも今は「一日ゆっくり休みたい」などと全然思いません。もし一日も時間があるのならば、私はまずロードバイクに乗りまくって、それでもまだ時間があれば少しでも仕事をします。

 

「じゃあ休みが無いと心身ともに疲れて病気になるでしょう。」と普通は思われるのですが、私の場合毎晩熟睡すればそれが何よりの休みになり、一晩寝れば心身ともにバリバリ元気になります。

 

だから毎日朝の6時前からロードバイクで40~50km、狩野川の堤防をバンバン走れるのですね。朝起きてバリバリ元気でないと早朝からそんな距離をロードバイクで走れません。私にとっては毎晩の睡眠が何よりの休暇です。

 

こういう事は私がサラリーマンをしていた頃は無かったですね。結局人間が疲れる一番の原因は、肉体的な疲労よりも心的なストレスですね。心的なストレスが少ないというのはそれだけ心が平穏という事です。

 

本当に心が平穏である時間が多いと、少々肉体をこき使っても病気になることはありません。私の場合自主的に年に3回実施している39項目に及ぶ血液検査の結果がそれを物語っています。全項目正常値で、もし病気であれば何か異常値が出てくるはずです。

 

「心の平穏!フニャ~」とよく概念で口では言いますが、本当に平穏であれば血液検査や血圧、心拍数などの体の数値に正常値として現れます。。何か特殊要因が無い限りは、心が平穏であれば暴飲暴食や怠け癖などは無いので、検査結果は正常値になるはずです。

 

禅や瞑想などをしていくら口で「心の平穏!」などと言っていても、歳をとってからの体の数値が異常であれば、何かがおかしいのです。正しくないのです。それは「心の平穏」をただ概念で言っているだけであって、本当の心の平穏では無いのですね。

 

私などめちゃくちゃな糖尿病や痛風の数値から始まって、このように39項目の血液検査が全て正常値になったのは、適切な食事やトレーニングだけではなくて、昔と比べて心の平穏をより多く持てるような心の境涯になったからだと思いますよ。

 

本当に身体と言うのは正直だなと思います。自分の気持ちはごまかせても、自分の身体はごまかせません。若い時は大丈夫でも、歳がいけば心身の状態は必ず身体の数値となって出て来ます。それが自然の摂理であり、自分の心の境涯を科学的な数値として表すバロメーターなのです。

 

今のところ検査結果は100点満点なので、これからも心の平穏を求めて仕事やトレーニングなど私が好きな事をバンバン毎日していきますね。身体は心よりも正直です。ごまかせませんね。

 

合掌

 

仏光

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自分を救えるのは自分

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一昨日の日曜日は予定通りプロショップの練習ライドに参加してきました。皆さんロードバイクが強くて速いメンバーばかりで、もちろん私が最年長の参加者でした。旧国道一号線を富士川の手前まで平均時速30kmくらいで走りました。

 

でも行きは別にしんどいという事は無く、普通に皆さんと一緒に走れました。息が上がるという事は無かったですね。帰りは海沿いの堤防を沼津まで走ってきましたが、そこでは逆風の中、時速40km巡行になったので、先頭を走る元プロの店長から一人を除いてみんな遅れてしまいました。

 

帰り道で私の長男と同じくらいの歳の店長から「随分強くなりましたね」と言って貰えましたが、まだまだ伸びしろがあるようなので毎日の練習を頑張ります。

 

結局その日はプロショップのライドと山の自宅に帰ってから雨が降り出すまで家の周りでヒルクライムのトレーニングをしたので、トータルで75km走りました。今日は残念ながら雨ですが、室内のローラートレーニングでとりあえず30km走りました。

 

今の私にとってローラートレーニングは楽だけれども、やはり外で走ることを思うとつまらないですね。継続は力なりで、こつこつトレーニングをしていると、その時は全く自分が強くなっているとは感じないのですが、みんなと一緒に走る機会に自分の成長を確認することが出来ます。

 

今年67歳になるこの歳で自分の「成長」を確認できるというのもちょっと変な感じがするのですが、やはり私の体は強くなっています。これからの私の挑戦は「いったい何処まで成長できるのか?」ですね。これは現状維持では無く成長への挑戦です。

 

どうせ遅かれ早かれ寿命は来るのだから、死ぬ前の日までやれるところまでやってやろうと思うのです。今の日本では高齢化が進み、本人にとっても家族にとっても大きな問題となるのが認知症です。

 

みんな認知症にはなりたくないと思います。しかし現実は殆どの人が高齢化に伴い多かれ少なかれ認知症になります。これは年齢とともに脳細胞が死んでいくことから起こる症状です。他の要因でも脳細胞は死にますが、高齢になると老衰に伴い脳細胞が死滅していきます。

 

ある意味これも自然の摂理なのです。身体の細胞はある一定間隔で古い細胞が死んで新しい細胞に生まれ変わります。これを新陳代謝と言っていますが、脳細胞だけは生まれた赤ん坊の時からいくつになっても細胞自体が変わらないのです。これは私が学生の時、大学の授業で習ったことです。

 

だから私たちは持って生まれた脳細胞で、一生をやりくりしていかなければならないのですね。新しい細胞に生まれ変わらないのだから、脳細胞は歳がいけばいくほどどんどん古くなっていきます。そして細胞単体の寿命を迎えて死んでいきます。

 

脳細胞が順次死んでいくのだから脳が正常に機能しなくなるのは当たり前で、それが認知症ですね。認知症にはなりたくないと殆どの人が思うのですが、その予防方法はごく最近まで分かっていませんでした。

 

だから色々な説があるにしても、実際のところは何をしたら認知症にならずに済むのか分かっていなかったのです。

 

私がアメリカで大学生だった頃、近くの湖にボートでバスフィッシングに行った時の話です。湖畔にある家の前でぼーっと湖を見つめている老人が居ました。その老人の奥さんらしき人が横に居て話しかけているのですが、老人は表情一つ変えずにぼーっと湖面を見つめたままです。、

 

ボートを運転していた友達のお父さんが、あの老人は有名な凄腕の脳外科医だったのだけれども、数年前に認知症になって今はあのような状態になっていると教えてくれました。その時は「有名な脳の専門家でも認知症になるのだから、この病気は防ぎようがないんだな」と思ったものでした。

 

ところが最近になって、私が大学で習ったことだけが真実では無いという事が分かりました。どうも脳細胞が再生する場合があるみたいなのです。これは確かアメリカのコロンビア大学の研究であったと思いますが、有酸素運動が脳細胞の再生に大きく関わっているらしいという事が分かったのですね。

 

成人男性が1日1時間有酸素運動を毎日続けると3ヶ月で脳の海馬にある毛細血管が30%増えたとの研究結果でした。30%とは凄い数値です。

 

この研究の考察では、海馬の毛細血管が大幅に増えたのは、新しく脳細胞が形成されてそこへ酸素を送るために毛細血管が増えたのだろうとの事でした。そしてこれが認知症の予防につながるのが明らかであるとの結論でした。

 

私が朝と昼に乗っているロードバイクは1日3時間くらいですから、図らずも私は自分の認知症予防を何も知らずに毎日やっていたみたいです。この調子で行って、もし私がボケなければこの学説は正しいことになりますね。

 

別に私は健康になる為とか、認知症にならないためにロードバイクに乗っているわけではありません。私には「○○のために…!」と思って努力を続けるような精神力はありません。ただ面白くて、もっと強く速くなりたいから毎日乗っているのです。

 

それが面白いだけでは無く身体の健康につながり、認知症まで予防してくれるとなると一石三鳥です。でもロードバイクは心も健康にしてくれるから一石4鳥ですね。

 

研究結果はちゃんと出ているのだから、何もせずにただ「認知症にはなりたくない」と思っているのではなくて、認知症になりたくなかったら毎日1時間の有酸素運動をすればいいのです。

 

ここでもお釈迦様が説く「自分が自分の救済者である。自分で自分を救済せずにいったい誰が自分を救済してくれるというのか!」が真理であることが分かります。多くの場合、やっぱり自分を救えるのは自分なのでしょうね。

 

傲慢な意味で言うわけではありませんが、霊障で具合が悪くても、私の所に来るのはその人の自由意思による決断です。

 

それで良くなればやはりその人も、私の所へ来ることによって自分で自分を救済していることになるのです。自分を助けるためには何事も行動あるのみですね。納得です。

 

合掌

 

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昨日は春分の日で祝日なので基本は休みなのです。風が強くなる予報だったので、朝のロードバイクトレーニングは風の影響が少ないヒルクライムにして、いつも通り裾野方面へ登って行きました。25kmほど走ると風が強くなってきたのでゲストハウスに戻り、その後特別に2人診て、仕事が終わってから山の自宅に帰りました。

 

昼食を食べて長男が借りている山に行って、午後はまた山の開墾作業です。昨日は竹藪もある程度整備しましたが、そこに生えている木の伐採を中心に作業を行いました。どうせ風が強くてロードバイクには乗れないので、私にとって開墾作業に午後の時間を費やすのはとても有意義な時間の使い方です。

 

昨日の作業で全体の30%~40%くらいの伐採が出来たと思います。昨日は作業が終わるまで休みを取りませんでした。まだまだ作業はいっぱい残っていますが、やれる時に精一杯やって行きますね。これで作業をするのが3回目になりますが、身体が慣れて来たのか、作業で起こる腰の筋肉痛はマシになりました。

 

伐採が終われば重機を入れて根っこなどを掘り起こし土地をならしていきますが、長男が友達の業者からラジエターが壊れたユンボを貰えるかもしれないと言っていました。長男は機械エンジニアでもあるので、もし貰えたら自分でラジエターを直してエンジン調整して使うそうです。

 

あと土地の上の方に灌漑用水としてため池を作る予定で、防水シートなどは用意してあるので、ユンボで掘ればすぐにため池は出来ます。それ以外に井戸を掘ったり、害獣除けのフェンスを作ったり。本当に尽きないほどいっぱい作業があるのですが、私は結構楽しんで作業しています。

 

基本的には今年の夏まで農地を作る作業が続くでしょう。昨日私は作業をしていて、「人間にとって何が一番価値のあるものなのか?」という事が本当によく分かったと思います。それらは今の物質文明にどっぷりつかって生きて来た人間が失った価値あるものです。

 

だから作業が楽しいのですが、人間にとってまず大事な資質は、「健康で労働が出来る」ことです。生きて行くには体が強ければ強いなりの労働があり、身体が弱ければ弱いなりの労働があります。それから食べ物を獲得するための道具やノウハウです。

 

大災害など今まで想像もしなかったような災害が起きて、そのまま体一つで放り出されれば、お金や物に頼らずに何とか生きて行かなければなりません。その時に必要なのが健康と食べ物確保のノウハウです。

 

これさえあれば生きて行けます。いざとなればお金や資産、社会的地位などには何の価値もありません。それは今までの物質文明がずっと続くという前提で、みんな少しでも楽して生きて行きたいからそういうものを「もっと、もっと」と欲しがりますが、その前提が壊れればお金や資産、社会的地位など生きて行くのに糞の役にも立ちません。

 

緊急事態では勿論の事、今のような社会でも健康と食物確保のノウハウがあれば、人生でとっても役に立ちます。世の中はいざとなったら糞の価値も無いものを求めて躍起になっていますが、本当に人生で求めなければいけないのは、健康とノウハウのようにどのような状況に陥っても価値が在るものでなければならないのだと私は思いました。

 

今のところまだ緊急事態でも無いので私も一応生活するために働いてお金を作っていますが、いざとなれば私の仕事はその日から農作業や狩猟などの労働に変わります。同じ一生を過ごすのに、緊急事態において糞の価値も無いものを得るために過ごすのと、いざとなれば本当の価値が出てくるもののために人生を過ごすのでは一生の使い方や価値観が随分変わります。

 

この歳になっても山の開墾が出来る強い体があって本当に良かったと思うし、アメリカに住んでいた頃からハンティングをはじめ色々アウトドア系の事をやっておいて良かったです。今日もいつものようにロードバイクトレーニングをしました。こんなに面白くて、身体は健康になるのだからありがたい話です。

 

健康もノウハウも自分の身に付くもので、生きていく為には大切なものです。お金とか家とか社会的地位などは、盗まれたら無くなるし、火事になったら無くなるし、退職したり失脚したら無くなります。

 

でも身に付いたものは無くなりません。いつまでも自分に付いて回ります。そしてそれがあることによって、安心からより心の平穏が得られやすくなります。それこそが人生にとって一番価値あるものなのですね。今回山の開墾をしたおかげで、自分にとって一番大切なものがよく分かりました。ありがとうございます。

 

合掌

 

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日曜日は予定通り友達と西伊豆の大瀬崎までロードバイクで往復約70kmを走ってきました。私がずっと先頭を走って風よけになっていたのですが、この日は調子も良くて高速で西伊豆の海岸に面した道を走りました。

 

帰りにコンビニで休憩しましたが、実質走行時間は2時間半くらいでした。特に大瀬崎についてからの帰り道は平均時速が約30kmくらいで走っていたと思います。速い所では時速40kmで走っていました。

 

朝の8時に私の仕事場を出て大瀬崎まで走って、帰りにコンビニで25分くらい休みましたが、それでも11時には帰ってきました。これは私のスピード新記録になりました。もちろんそれなりに疲れますが、とっても気持ちの良いライドでした。

 

来月は136kmの富士山一周をしますが、最初から50kmくらい登りが続くのでペースを落として走ります。それでも前回みたいに何回もコンビニなどで休まないで、朝6時に出て昼過ぎには帰って来たいと思っています。

 

日曜日は大瀬崎へのライドの後、昼食をとってまた長男と山に入って木を切ったり藪を払ったりして農地の開墾作業を日没近くまでしてきました。午前中に約70km高速で走っているので、作業が終わったら体はかなり疲れていました。

 

夕食の後8時には寝てしまい、2回ほどトイレに起きましたが朝の5時半まで9時間半寝ました。もちろん腰などに筋肉痛はあったのですが、前回の作業の時よりましでした。身体が作業に慣れてきたのと、やはり作業用の安全ブーツを履いていたのが良かったのだと思います。途中竹の枝がバチンと目にあたったのですが、透明の作業ゴーグルとヘルメットのお陰でけがはありませんでした。

 

今日の朝は気温が低く2℃くらいでしたが、いつもの狩野川沿いの守山公園まで往復30km走ってきました。昼休みはまた裾野方面に20kmほどヒルクライムをしました。毎日コツコツ練習しているとやっぱりそれなりに身体が強くなっていきます。

 

振り返ってみると、60歳近くになって遺伝要素が大きかったとは言え、重度の糖尿病を発症して自分でこの糖尿病を治すと決めたおかげで、今の強い体があるのですね。前にも言いましたが、病院では「糖尿病は一生治りません」と言っているので、自分の糖尿病を治すのに病院には行きませんでした。

 

「治らない」と言っているところに自分の病気を治しに行くなど、私にとってはあり得ないことです。大体病院の言い方も悪いと思います。「糖尿病はこの病院では治りません」と言うべきですね。食事を変えて運動を始めたら半年もたたずに血糖値は正常になりました。

 

ダイエットなどは一切しませんが、栄養バランスの取れた適切な食事とロードバイクトレーニングのお陰で、今は血液検査の結果も66歳にして39項目すべて正常値で、糖尿だけでは無く痛風も完治しました。適切な食事と言っても今は甘いものも含めて何でも食べています。これこそ災い転じて福となるですね。

 

今は人様の健康を預かる身なので、先ずは自分がピカピカの健康体であることが大切です。歳など関係ないのです。自然の摂理に従って自分が理にかなったことをしていると、多くの場合は病気を治すのに病院は不要だと思います。

 

オートファジー機能を含め自分の体に備わった回復機能がちゃんと働くようにすれば大概の病気は治ります。もちろんそのためには色々学ぶことも大切です。ちゃんとその病気の生理学的な本質を理解してやるべきことを実行すれば、多くの場合誰でも自分で自分の健康を守ることが出来ると思います。

 

考えてみれば66歳のこの歳になってこんなに強い体になれたのは、重度の糖尿病を患ったおかげとも言えます。糖尿病にならなければ食事の管理もしなかっただろうし、ロードバイクにも乗っていなかったと思います。

 

お陰様で今は健康だけではなく、ロードバイクで速く走ることが出来るようになりました。人生では色々な災いが起こります。病気もそうですね。でもそのお陰で今の健康があるわけですから、これこそ「災い転じて福となる」です。

 

私は今のこの生活を死ぬ前の日まで続けていくつもりです。「災い転じて福となる」は病気だけでは無くて人生で起こる全ての災いにも言える事だと思います。災いに遭うのは生きている限り仕方が無いことです。でも災いに遭った時に、如何に積極的な心でその災いに対処できるかが今後の人生を決めるのですね。

 

「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」という言葉は真理です。人生ピンチの中に大きなチャンスの芽があるのだと私は思っています。だからピンチでもへこむことは無いのです。そこに大きなチャンスが隠れているのですから。こう考えると生きているのもそう悪くはないですね。人生は「災い転じて福となる」です。

 

合掌

 

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最近は天気も安定していて、毎日朝と昼休み合計で60~70kmの自転車トレーニングをしています。明日は友達と西伊豆の大瀬崎まで往復70kmのライドをします。来月は同じ友達とまた136kmの富士山一周をする予定になっています。今からとても楽しみです。

 

今日の朝はスタート時には体に少し疲れを感じていていましたが、走って行くと体調は完全では無いけれどもある程度戻りました。今日の昼休みはまた西伊豆の静浦にあるカフェに行ったので35km走りました。朝と合わせて75km走ったことになります。

 

明日は昼頃までに70kmのライドを終えて、午後から長男と山を切り開いて畑を作る作業をします。まだこの作業に身体が慣れていないので疲れが残ります。でも今回は作業用のブーツやヘルメット、手袋など装備が整っているので、もう少し作業の体への負担が減ることでしょう。

 

今日の朝、狩野川の堤防を走っていて心底思ったのですが、「もし自分ががんにかかっていて体のどこかに異常を感じていたら、今このようにしてロードバイクで走れないだろう。それを考えると今日もいつものように走れているのはとってもありがたいことなのだなあ!」という事です。

 

私は自分を人と比べることは一切しません。多くの人が意識的にまた無意識に自分と人を比べますが、そういう心の癖は人生にとって全く無駄なことです。でもそういう人は「みんなそうだから、私が自分を人と比べてもそれが普通です。」と思っています。

 

何か問題があって自分が落ち込んでいる時に、「でも世の中にはもっと可哀そうな人が居るのだから、それと比べたら自分はまだましな方なので文句を言わずに我慢しよう」と思って自分の落ち込んでいる気持ちを挽回しようとする人も居ます。

 

これは一見正しいように見えます。そういう風に子供を諭している親も居ます。でも私はこれも間違っていると思います。これも自分を人と比べているのです。このメンタリティーの中には、自分より状態の悪い人と比べて自分がまだましであると思うようにしているだけなのです。

 

これはこれで自分と人を比べているし、悪い時はその比較の中で今の自分を良く思うという事になりますが、逆に自分が調子良ければ、自分よりもっと良い状態の人間と比べて不満を感じたりします。これが良い時も悪い時も自分と他人を比べる心の癖を持つ人間の思考パターンです。

 

私は自分の評価は人では無く、自分で決めるものだと思っています。世の中では赤ん坊の時から人と比べられて育つので、それが当たり前と自然に思うようになるのですが、この当たり前が人生間違いの元なのですね。

 

このようなメンタリティーから、人に自分を認めてもらいたいという自己承認欲求が生まれ、そしてその自己承認欲求が不幸の種になるのです。人に認められたら嬉しくて、認められなければ悲しいという、自分の幸せが人任せになるのですね。

 

このメンタリティーにより「人から後ろ指を指されたくない」と本人は他人の事を気にしながら一生暮らすことになり、またそれが当たり前で正しいと思う間違いを犯すのです。だから良いことも悪いことも人と比べてはいけないのですね。それは自分の人生ではなく、人の人生を生きることになります。

 

だから比べるのは今の自分と過去の自分とか、想定でもいいから不健康な自分と元気な今の自分とか、あくまで自分と自分を比べるのです。私は自分ががんになってしんどくてロードバイクで走れないことを想定して、それと比べてガンガン走れている今の自分は何と幸せなのだろうと思うし、自然に口から「ありがとうございます」という言葉が出ます。。

 

勝負する相手は他人では無くてあくまで自分なのですね。私は過去の自分と今の自分を比べて、今の自分の方が100倍好きなので本当に幸せな人生だなと思います。決して他人と自分を比べないことです。普通の世の中の人間は、あなたが困った時に1000円すら貸してくれません。

 

ではなぜ1000円も貸してくれない他人の事を色々気にするのですか。そういう他人をいくら気にしたところで、他人は決してあなたを幸せにしてくれることは無いです。一番確実に自分を幸せにしてくれるのは、一生懸命自己ベストで毎日生きている自分です。

 

これがお釈迦様が言う「自分が自分の救済者である。自分で自分を救わずして一体誰が自分を救ってくれるというのか!」の真意ですね。自分は他人より相当確実に自分を幸せにしてくれます。比べるのであれば、自分と自分を比べる。人生の主役はあくまで他人では無く自分なのです。だからしっかり自分の人生を自分で生きることですね。

 

合掌

 

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