上久保一里塚と、妻籠城跡と ~旧中山道 ~長野県木曽郡南木曽町の史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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202110月9日の旧中山道 妻籠宿・馬籠宿・落合宿・中津川宿レポの続き。

 

神明神社」と、木曽義仲・巴御前ゆかりの「かぶと観音」をお参りした後は、更に旧中山道を進んで行き、「上久保一里塚」に向かいました。

 

 

神明神社・かぶと観音・巴御前袖振りの松のレポ

 

 

 

 

 

かぶと観音」から、旧中山道を更に歩きます。

 

 

 

 

しばらく歩くと、街道の右側に、こんもりした小山の上に石碑があって…

 

 

 

 

石碑には、「一里塚」と刻まれていました。

 

 

 

 

こちらは、「上久保一里塚」。

慶長9年(1604)から17年(1612)にかけて一里(約4km)毎に築造されたもので、基準は五間四方(約9m)、高さ一丈(約3m)で塚上に榎や松を植え、街道の両側に対に築造され、旅人に安息と利便を与えました。

 

 

 

町内には、十二兼・金知屋・上久保・下り谷の4ヶ所に一里塚がありましたが、現在原形を留めているのはここだけで、江戸から数えて78番目の塚になります。

 

 

 

 

上久保一里塚」を通り過ぎ、振り返って…一里塚らしさが残っていますね~♪

 

 

 

 

更に旧中山道を進むと、案内板と石碑を発見。

 

 

 

 

案内板には、「良寛碑」とあります。

木曽路にて「この暮れの もの悲しきに わかくさの 妻呼びたくて 小牡鹿鳴くも」

この歌は手まり上人と言われた良寛が木曽路を通った折に詠まれた2首の内の一首です。

 

 

 

 

奥に見える石碑に近づいて…こちらが「良寛碑」になるんですね。

 

 

 

 

台石には、由緒書きが刻まれていました。

 

 

 

 

旧中山道には、所々に案内看板があって、分かり易いんですよね(^^)

 

 

 

 

昔ながらの御宅が見えて来て…

 

 

 

 

御宅の前には、池がありました。

 

 

 

 

旧中山道を更に進みます。細い山道と杉木立が、旧街道らしさを醸し出してくれています♪

 

 

 

 

中山道蛇石」と刻まれた道標。

 

 

 

 

由緒書き「妻籠宿 郷土環境保全地域

この地域は、中山道妻籠宿周辺一帯の歴史的自然環境を守るために指定されたもので、南木曽町の林家住宅、藤原家住宅、妻籠のギンモクセイなどは、長野県の文化財に指定されています。

 

 

 

 

妻籠宿を目指して更に歩くと、古い建屋が見えて来て…こちらは「しろやま茶屋」というお茶屋だったようです。

 

 

 

 

この先、二股に分かれている場所があります。

 

 

 

 

この分岐の所に、「妻籠城址」という由緒書きがありました。

いつ誰によって築かれたか明らかではなく、室町中期には築城されていたと推察され、天正12年(1548)小牧・長久手の戦いの折、ここも戦場となり、木曽義昌の家臣山村甚兵衛良勝(たかかつ)が籠って、徳川家康配下の菅沼、保科らの軍勢を退けています。

 

 

 

慶長5年(1600)関ケ原の戦いの時も、軍勢が入ってここを固めましたが、元和2年(1616)廃城となりました。

典型的な山城で、空堀・帯曲輪、南木曽岳に延びる妻の神土塁も備えており、規模の大きな構えであったことが分かります。

 

主郭へは徒歩10分で、北は木曽川と遠く駒ケ岳を望み、南は妻籠宿から馬籠峠まで一望できます。

 

 

この上に、「妻籠城跡」があるのか~折角なので、行ってみましょ♪

 

 

 

 

妻籠城跡」と刻まれた石碑。

 

 

 

 

坂道を上って行きます。

 

 

 

 

途中、「土橋」という案内板があって…1600年頃は木橋、それを1900年時に土橋に変えました。

 

 

 

 

更に進んで…まさに山道!

 

 

 

 

平らな空間もあって…かつての曲輪でしょうか…

 

 

 

 

帯曲輪」の案内板。本丸の周囲に巡らした防衛陣地。

 

 

 

 

高台の周りに通路のような空間が続いていて…こちらが、帯曲輪のようです。

 

 

 

 

更に上って行くと、広い平らな空間が…中程に石碑が2基見えますね。ここが「妻籠城」の本丸になるようです。

 

 

 

 

こちらにも石碑があって…「木曽谷恩賜金由来之碑」とあります。

 

 

 

 

中程に見えていた石碑の裏側に回ると、「御嶽山大権現」と刻まれていて…

 

 

 

 

右手の小さな石碑には、「八海山神社」とありました。

 

 

 

 

後ろに見える建屋。休憩所のような感じもしますが、神社の社殿のようにも見えますが…

 

 

 

 

林君紀念之碑

 

 

 

 

本丸からの眺め。結構高い場所になりますね~ま、あれだけ山道を登って来た訳ですから…

 

 

 

 

由緒書き「妻籠城跡

伝承では木曽家村が室町時代に築いたと言われていますが、戦国時代に木曽氏の南の押えとして木曽義昌に整備されたと思われます。

 

 

 

 

帯曲輪を今一度、じっくりと拝見。

 

 

 

 

上久保一里塚」を通り、「妻籠城跡」を見学した後は、更に旧中山道を進んで、「妻籠宿」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

上久保一里塚

長野県木曽郡南木曽町渡島10付近

 

 

妻籠城跡

長野県木曽郡南木曽町

 

 

 

 

 

 

 

 

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