――この宇宙で、生命は、たった1回しか誕生をしていない。
との仮定よりは、
――少なくとも地球上では、生命は、たった1回しか誕生をしていない。
との仮定のほうが、いくらか穏当である――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
今、
――この宇宙で、生命は、たった1回しか誕生をしていない。
を「仮定A」とし、
――少なくとも地球上では、生命は、たった1回しか誕生をしていない。
を「仮定B」とします。
仮定Aが仮定Bよりも妥当性が低いとみなせる理由は――
仮定Aが、少なくとも見かけ上は、
――宇宙原理
に反するからです。
――宇宙原理
については、9月15日の『道草日記』で述べました。
――宇宙は、十分に大きな規模で観測をすれば、均一的かつ等方的である。
という考え方のことです。
宇宙原理に基づけば、太陽・地球のような恒星・惑星は、この宇宙には無数に存在をしているはずです。
太陽・地球のような恒星・惑星は極めて特殊であり、他に存在をしていないと考えるならば、宇宙原理を否(いな)むことになります。
宇宙原理の拒否は――
なかなかに高い障壁だと感じます。
それよりは、
――この宇宙で、生命が誕生をしえたのは、今から 42 億~ 35 億年前くらい前にあった僅かな期間だけである。
との仮定を受け入れる方が、はるかに穏当でしょう。
これを「仮定C」とします。
仮定Cは、仮定Bを宇宙原理に基づいて一般的に述べ直したものです。
生命の誕生を探るときは――
仮定Aと仮定Bや仮定Cとを同列に扱ってはいけないように思えます。
6月27日や6月28日の『道草日記』で、
――オッカムの剃刀(Occam's razor)
に触れました。
――生命の誕生は1回限りであるように思える。
という現代生物学の知見から、直ちに仮定Aを設けるのは、
――オッカムの剃刀
の深剃りでしょう。