そう言えば以前から

少し気になることがあったのよ

覚えていますか?

大叔父の機関銃中隊の

中隊長 真崎 幸男 大尉

(本文では中尉としています)

の認識票のことを




★軽くだけおさらいしますね

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真崎中尉の認識票を持った伝令が

第15師団(祭)の野戦倉庫前で倒れて

真崎中尉の認識票を

「形見として遺族に渡してほしい」と

その場に居た経理将校に預けたが

その経理将校は

もしも自分が戦死した場合に

真崎中尉だと勘違いされると困るので

途中で認識票を埋めたと言う話



詳しくはこちらの過去記事から↓↓






誰かがせめてもの形見にと

真崎中尉が最後まで身に付けていた

認識票を胸元から取り出した

と想像するだけで辛かった





その経理将校を責めはしないが

真崎中尉やそのご遺族

そして伝令のことを考えると

遺族の元に届かなかったこと

が悲しかった





でも私は今まで認識票を遺品にした

と言う話を聞いたことが無くて

認識票について少し勉強してみた





そもそも認識票は遺品として

遺族に渡す物ではないと言う

本来は人事系統が戦死した者を

掌握するための物である





そのためその認識票を

兵である伝令が持っていた

と言うことは

機関銃中隊では人事係も

戦死して居なくなってしまったと

考えるのが妥当であろう


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★ここまではこれまでのおさらいです




続く…




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