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カテゴリ:混在
木本の街並みを考えると戦後になると記念通りに中心が移り、市の後で熊野市が駅裏に敷地を確保すると色んなものが駅裏に移ってっきました。
その間の経緯としては記念通りに中心が移りだしたのですが、延長が短いのと、木本小学校を抱いていたので街づくりとしてはあまりよろしくないものでした。 上木本に「第三相互銀行」「東映」「山下商店」「こまや百貨店」「主婦の店オークワ」「セブンストアー」などが並んだのですが、木本小学校が商店街としては邪魔でした。 町の構造からして。「木本小学校」を他へ移せませんでしたからね。 おまけにその時代の木本小学校は在校生が1000人を超す大所帯でした。 そんなこんなで記念通りは大きく育つことなしでおわりました。なっていま 映画館は無くなって「東映プラザ」として残っていますが、建物の一部だけが残されたかたちです、 権勢を誇った「山下商会」も権力が消えると同時に普通の家になってしまいました。 威容を誇っていた「こまや百貨店」も当主さんが無くなると同時に建物を取り壊しました。 時代を受けて流行っていた「スーパーオークワ」も手狭まということもあり、井戸の方に引っ越してきました。 大きなもので残されたものは「吉野熊野新聞社」だけくらいになっています。 それでも記念通りが熊野市を代表する商店街として頑張っている?様です。 「いこらい市」というイベントが続いていますからね。 と言うより、「商店街」と言うものが育ちませんでしたから…
記念通りでは「振興組合」が作られていて。一応活動はしているようですが、創設メンバーが卒業してしまったようです。 「いこらい市」とか「太鼓のフェスティバル」などが活動の中心かな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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