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テーマ:今日の出来事(287504)
カテゴリ:認知症介護
おはようございます♪
いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。 計画通り posted by (C)みえこ55 今の家に越してきて3回目の夏が来ました。 始めの年に植えたきんかんが、初めて実をつけました。 庭仕事をしながらきんかんをつまんでビタミン補給をする計画でした。 計画通りです。 さて、最近面白い事に気がつきました。 一年前から、新しいジムに通い始めたのですが、色々な人がいて面白いのです。 色々なタイプがいますが、まず大きく分けると、次の5つのタイプに分かれます。 1.スタジオに入るとき、必ず一番前でないと気がすまない人。 2.一番前は少し気が引けるので2列目がいい人。 3.まあいいか、と3列めで妥協する人。 4.最後列を好む人。 5.特に場所はこだわらず、空いているところに行く人です。 1の最前列を取るためにはスタジオ前に一時間以上も前に行って場所を確保しなければなりません。 2の場合も30分ほど前です。 2列目までは、鏡の見える場所に立てますが、3列目以降になると、 鏡が見えづらかったり、先生の動きもよく見えなくなります。 ですから、ガッツのある人や、レッスンに対してこだわりのある人は、 1~2列目にやってきます。 最前列に来る人を更に細かく分類すると、 少し失礼な言い方もありますが、ここだけの話、私の偏見と思ってお許しください。 1経験年数も長く、ある程度の技術がついている人 2経験年数は長いけれど、技術が伴わない人 3経験年数も浅く、技術もあまりない人 私はと言いますと、以前は違っていたのですが、ジム生活が長くなり、 ある程度自分の技術に自信がついてきたこともあり、 最前列を選ぶタイプになっていました。 自分で言うのも恥ずかしいですが、大きく分けたものも、細かく分けたものも1のタイプです。 なので、全てのレッスンではありませんが、自分が力を入れているレッスンでは、 一時間も早くスタジオに行き、場所を確保していました。 ところが、一時間も早く行って、ようやくお気に入りの場所を確保したというのに、 2と3のタイプ、失礼な言い方ですが、 あまり技術が向上しないタイプの方々に、 右往左往されてしまい、踊りにくいという結果になる事が多くなりました。 また、それだけならばいた仕方がないのですが、最前列を目掛けて来る人がには、 割り込みを平気でしてくる人がいるのです。 後からやってきて、最前列に割り込んで来るので、 レッスンが始まると、両手を広げて踊れなくなってしまいます。 そんな事になると、せっかく早く来て並んだのにと、いつもイライラしてしまう事になりました。 そんな折、ふと、後ろの方で楽しそうに踊っている人達を見て、 最前列に行くのをやめてみようと私は考えました。 母の介護もあって、時間がもったいないなとも思いましたし。 後ろの方で踊ってみると、これまでに見えなかった景色が見えるようになってきました。 昨日の日記で、前方にいて後ろから切り裂きジャックに切られた人が、 何が起こったかわからず倒れていき、後ろにいた人が事態を把握するというのと、とてもよく似ている状況だなと思いました。 後ろに来る人達は、自分の前後左右にいる人に気遣いながら踊らなければならなくなります。 ここいいですか?とか、人に寄りすぎた時は、ごめんなさいね。と言える人が多いです。 ところが、最前列にくる人の中には、後からやってきたのにも関わらず、 自分の位置を絶対に譲らない人がいて、必然的に、私は一歩下がるという事になりました。 全員ではありませんが、一言であらわせば、 「人に譲れない人」が存在するという事に気づいたのです。 「人に譲れない人」は、当然の事ながら、誰からも信頼されていませんし、 陰口を言われることもあります。 それでも、あまり気にしないのか、常にマイペースです。 譲らない人達の中で踊るのはストレスフルでした。 後ろに下がってみると、どうぞどうぞと言いながら、自分の場所をずらして下さる方が多く、 自分の姿や先生は見えにくくとも、実に気持ちよく踊れました。 踊る場所ひとつでも、ずいぶん心持ちは変わるものだということに気づいて、 私は変わったと思います。 今までは、早く行って並んで、それなりに技術があるのに、後からやってきて、 割り込んできて、なおかつ自分よりも技術が劣る人に、 ものすごい嫌悪感を抱いていました。 自分が正しくて、相手は正しくないから私の怒りは当然の事だとも思っていました。 しかし、相手は変わらないのだから、怒ってみても仕方がない、 自分が変わろうと思ってからは、今までと全く違う自分になれた気がしています。 お互い様という気持ちも忘れていたかもしれません。 なんて、タカビーで嫌なヤツだったのでしょうね。私は。 後ろで踊るようになってから、私はジムで友達が増えました。 いつも上手ねと褒めて下さる方も多いです。最前列にいると、 皆、負けず嫌いな方が多いせいか、褒められた事などありませんでした。 逆に自分も褒めたりなどしませんでし。自分が一番だと思っているわけですから。 ほんと、はなもちならないですね、私って! ああ恥ずかしい! 母の口癖は、「私は何でも一番じゃないと嫌なのよ」でした。 そう思う気持ちは決して悪い事だとは思いません。 そういう気持ちがあったから、母は72歳まで大きな病院で、 総婦長勤めていられたのですから。 それなりに、人知れず努力や我慢をして、頑張っていた事も知っています。 しかし、今の母を見ていると、私の目指す場所はそこではないと思いました。 これまでも思ってはいましたが。 知らず知らずのうちに、母寄りの思考になっていたのではないか? そんな事を感じるようになっています。 昨日もジムの帰りに母の面会に行きました。 隣に住んでいる方が、市内の人気店でプリンとシュークリームを、 母に持っていってほしいと持ってきて下さったからです。 私の分も下さって、行く前に食べたのですが、 高級感あふれる濃厚なプリンとシュークリームでしたが、 母はきっと食べないだろうなと思いました。 この7ヶ月半、毎日母の食事を用意してきた私です。 大体どんなものが好きかわかります。 私は、母の親友が送ってくれた、山形の特産品であるだだちゃ豆を少し、 茹でて一緒に持っていきました。 思った通り、母は始め、プリンもシュークリームもいらないと言いました。 とりあえず一口だけでも食べてねと、食べてもらい、 私に突き返してきたので、保冷バックに戻しました。 だだちゃ豆は、あれあれよと、全ての一人で食べてしまいました。 始めに、親友が送ってきてくれた事は伝えましたが、 食べ終わると、「これどうしたの?」と、親友が送ってくれた事は忘れていました。 その後は、「ここにいるのは3ヶ月よね?3ヶ月したら施設を探すの?」 と、同じ質問を繰り返すだけ。 今までなら、親友に何かお礼をしなきゃとか、電話しなきゃとか言う人でしたけど。 プリンも、誰がくれたかなんて忘れているでしょうね。 「お礼に何か送っておくね。」私はそう母に言いました。 山形に帰りたい、みえこの家に戻りたいと、言われる前に、帰らなきゃ。 そう思って、席を立ち、母に別れを告げました。 昨日のブログに書きましたが、 別れが辛くなるので、ホームでの見送りを断った時のように、 座ったままでいいよ。と母に言いました。 これまで、泣きながら車を運転し病院を後にしていましたが、 だいぶ私の心の痛みも軽くなって来たように感じました。 いつも長文にもかかわらず、最後までお読みいただき有り難うございます。 ←ポチっとお願いいたします♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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