|
テーマ:今日の出来事(287507)
カテゴリ:認知症介護
おはようございます♪
いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。 昨日の夜は少し蒸し暑かったです。 今朝は曇りで、今のところまだ涼しくて心地よいです。 サファイア王女 posted by (C)みえこ55 昔、というか、大昔になっちゃいますが、私が10代だった頃、 リボンの騎士の主人公であるサファイア王女に似ていると言われた事があります。 今は年をとって似ていなくなったからか、リボンの騎士を知らないあるいは忘れた人が多いからか、 言われる事はありませんが、誕生石がサファイアであることもあったりして、 このサファイア王女にはなんとなく親しみを感じてしまいます。 私はある年齢から、というか、物心ついた頃からかもしれない。 ある悩みを抱えて生きてきました。 小学校低学年の頃は、友達と仲良く出来なくて、いつも孤立していたような感じでした。 人が嫌いという訳でもなく、どちらかといえば人懐っこく、 一見人とうまく接しているようで、実はものすごく努力が必要でした。 なので、人といるのも楽しいし嫌いではなかったのですが、 どちらかといえば一人で過ごす方が気楽でいいと思っていました。 一人遊びに没頭する事も多く、自力で何かを習得する事が、 一つのライフワークのようになっていました。 自分で何かを発見するのがとても楽しい事になっていて、幼き頃からそれは変わらない性質のようなもになっています。 それに関しては、自分にとってプラスの性質となり今を支えてくれていると思います。 一方、私は中学生位から、何事も一生懸命にやり過ぎる傾向が出始めていました。 軟式テニス部だったのですが、ウォーミングアップにもかかわらず、先頭で全力で走ってしまい、後方の皆に文句を言われてしまったことがあります。 その時に取った態度は、皆はついてこなくていい。と、言った事を今でも覚えています。 テニス部ではそれなりの功績を残したのですが、そんな性格ですから集団で何かをする事は苦手だと思い始めていました。 軟式テニスはダブルスしかなかったので、ペアで行わなければならず、自分の技量とみあっていない相手と組まされるのも嫌でした。 しかしながら、私は多少なりとも、そこで誰かと協調して物事を達成する術を学んだとは思います。 小さなワンステップを踏んだのです。 しかし、高校では、自分一人の力でどうにでもなると思えた陸上部に入りました。 大学も陸上で入学したのですが、自分自身に限界を感じて、3年の時にやめてダンス部に入部しました。 ダンスをやっていた事から、ダンス部の先輩に引っ張られる形で今も、かなり細々とではありますが、続けている健康関連の仕事につきました。 振り返ってみると、何事も長続きせず、どれもドロップアウトした感じで終わっていて、 自分の中では、中途半端な人生だったという念がぬぐえないまま今に至っています。 ある程度まで人並み以上に一生懸命に頑張り、そこそこの功績を残しておきながら、最後に燃え尽きるというパターンが多かったと感じています。。 ある時、新しい事に出会うと夢中になり、頑張りすぎるのは何故だろうなと思ったのですが、 自分の性格が「タイプA」と言われる性格である事に気づきました。 ウィキペディアによれば、以下のような性格を指します。 「タイプAとは心理学の用語。 競争的でいつも急いでおり、怒りやすく攻撃的で過剰に活動的な人の特性を言う。 周囲に認められたい欲求が強い。 アメリカの医師フリードマンとローゼマンによって発見された。 タイプAの人は国や文化の違いに関係がないということがW.エバンスの研究によって発見された。 血液型のA型とは関係がない。 タイプAの人は心臓疾患にかかりやすい。 タイプAの特徴に当てはまらない人をタイプBと呼ぶ。」 以上、ウィキペディアからの引用です。 この事を知ったのは今から25年以上も前の事でした。 自分がまさに典型的なタイプAであることを知ってから、病気を防ぐためにはそういう生き方を変えなければいけないと思うようになりました。 ところが、長年染み付いた性格というか性質を変えるのはとても難しかったです。 無意識に、気がつくと何でも頑張りすぎて、へとへとになる。そして投げ出す。 これがいつものパターンです。 「わかっちゃいるけどやめられない。」それが私の特徴です。 私自身も体を壊してまでやる意味はないと思っているので、ある程度のところでブレーキを踏む事は意識はしています。 しかし、気がつくとやり過ぎになる傾向はなかなか変えられないようです。 さて、こうした性質がどうやって出来上がったのか? という事を自分なりに分析すると、幼い頃からの母親からの影響が大きいと考えています。 母は厳しい人。というよりも、気分屋な人でした。優しい時はとても優しいのですが、ひとたび気に入らない事があると激高する人でした。 激高した時は、一言で言うと「手がつけられない状態」になりました。 内外と関係なくトラブルも多く、親戚から父、全くの他人と大喧嘩をしてきたのを何度も見てきました。 「この人を敵に回したら大変な事になる」 と、周りにいる人は誰もが思ったと思います。 とにかく口が達者で、どんな相手でもやり負かしてしまうのです。 それがMAXになったのは、先月、私の家を出ていった日でした。 認知症になっても、周りの人達をやりまかす事だけ忘れない、そんな感じでした。 それと、母は人を誉めないというのも大きな特徴でした。 私の記憶では、母親に誉められた事がありません。 母側の記憶ではそんな事はないと言うかもしれませんが。 何度も私を誉めてはいました。私を誉める時は、決まって赤の他人に向かって話す時だけです。 その事が小さい頃から恥ずかしくてとても嫌でした。 なぜ今会ったばかりの人に娘の自慢話をするのだろう?そう思っていました。 それでも、やめてくれとはなかなか言えず今に至ります。 母が私を誉めるのは自分の自慢話の一つのツールに過ぎないのです。 最近、私は懸垂をはじめました。はじめは微動だにしなかったものが、 徐々に自分の腕の力で自分の体を引き上げられるようになり、 やがて一回出来るようになり、今は4回まで出来るようになりました。 その事を私は息子に凄いでしょ。と自慢したところ、 「すげえな、でもお母さん何目指しているの?」と、冗談混じりに言われて、 自分でも何を目指しているのだろう?と考え込んでしまいました。 そして、自分なりにその時に思い付いて息子に返した答えは、 「お母さんねえ、人にオー!って言われるのを目指しているんだよ。」と答えたのです。 要するに、人から称賛されたいという事です。 もちろんそれだけでやっているわけではなく、努力することで何かを達成できる事が、自分の大きな喜びにもなっていて、 ただただ、出来なかった事が出来るようになるのが楽しいという事もあります。 親に認められなかった事がこういう頑張りすぎるタイプAにつながってきたのではないかと、自分では思います。 今でも、母に「お母さん、私皆に若いって言われるの。」言うと、 母は「そう。」とだけ言って、凄いわね、そうねとは絶対に言いません。 その後に言う言葉は決まって、「私も皆から言われるわ。」から始まり、延々と自分の自慢話が続きます。 話を終わらせるためには「お母さんは凄いわね。」と言うのみです。 このような母親を「毒母」と言うらしい事を知ったのは最近の事です。 「毒母」に育てられた子供は、同じく「毒母」になる事が多く、 そうならないように、悪の連鎖を立ち切らなければならないと、ある本にも書かれていました。 幸い、今のところですが子供達を見ていると、頑張りすぎたり、我慢ばかりしているとは見えないのですが、 親に異常に気を使っているようであったり、生きづらさを感じているような事があれば、 私自身の接し方に問題がないか考える事も必要かと思ったりもします。 母を引き取ってから、色々な事に気づかされました。 2月に受けた人間ドッグでは、心電図の異常も見られ、再検査もうけなければいけないし、血尿も出て、血圧や血糖値も上がりやすくなっていることから、 今一度、自分のタイプA的な生き方を見直す必要があると感じています。 ちなみに、一つの解決方法としてヨシとされている方法があります。 タイプAの人は同じタイプAの人となるべく距離を置くのが良く、 そしてなるべくタイプBの人達と交わるのがいいそうです。 幸いな事ですが、我が家には私以外タイプAは誰もいません。良かったです。 仲のいいダンス仲間もにもいないです。 環境は整いました。後は自分と向き合うだけになりました。 また、攻撃的で批判的な母とは距離を置かなければならないと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[認知症介護] カテゴリの最新記事
|