珈琲貴族の31文字の酔ひ綴り__≪酔ひ月和歌集≫

珈琲貴族の31文字の酔ひ綴りを、和歌(うた)としてお月さまに描くことができたら・・・酔ひ月(よひづき)として・・・

「恋」と言う言葉の語釈について^^

2015年01月24日 | 和歌

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「恋」という言葉の語釈について

前回、和泉式部(5)で、恋について書いた。

今回は、その「恋」という言葉の語釈についてちょっと書いていこうと思う。

何度か映画の「舟を編む」について触れたが、本当に私の中では衝撃の映画であった。
物語は、辞書を編纂するという抑揚のそんなにない淡々と流れていく映画であるが、小学校から常に机に在った辞書が出来るまでなんて考えたこともなかっただけに、そんな映画と出会えたことが悦びであった。

日本で売れている辞書が、あらゆる本の中でもベストセラーだそうである。
考えれば、小中、高校、大学、社会人と進むに従って、その学力に応じて揃えるものであるから当然と言えば当然なのかもしれない。
もちろん、国語辞典だけじゃなく、漢和、英和、和英などすべての辞書を含んでのことであろうが。

その映画の中で、「恋」という語釈があった。
前回の和泉式部にも書いたが、再度ここに引用してみる。
「ある人を好きになってしまい、寝ても覚めても その人が頭から離れず、他のことが 手に付かなくなり、身悶えしたくなるような心の状態。成就すれば、天にものぼる 気持ちになる。」


私は、この歳になってこの映画を見るまで、それぞれの出版社の辞書の語釈が違うなんてこと思ったことがなかった。
多くの人もそうなのではないだろうか。
本当に衝撃であった。


そこでどのくらい違うのかを「恋」という言葉の語釈を調べたくなった。
私の机の上には、国語辞典は「広辞苑」と「岩波国語辞典」しかないので、PCで調べようとしたが、ほとんどほしいものが出てこない。
そこで、市立図書館で調べることにした。
と、言っても我が家から20mもない距離である^^。
私は、その市立図書館を、「私の書斎」と思っている^^!!(こらこら^^)


日本で最初に辞書を作った人は、空海であることは周知の事実であるが、私は、今の国語辞典の基礎は明治時代に文部省の命により編纂した大槻文彦氏の力そのものだと思っている。
それが、「言海」である。今は、改訂を重ね「大言海」となっているが。

その「言海(冨山房)」の「恋」の語釈は、
『戀フルコト。慕ヒ思フコト。戀愛。戀慕。』とあった。
シンプル イズ箱根である^^。(こらこら^^)
そして、さすが、明治の辞書である。「恋」も旧字の「戀」となっていた。

さて、やはり、日本を代表する国語辞典と言えば、「広辞苑(岩波)」と「大辞林(三省堂)」であろう。
それらにはどう語釈してあるか、どれくらい違うのかと考えただけで、ワクワクしてきた。

まず、我が家の「広辞苑(岩波)」で調べたのが、
『① 一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて切なく思うこと。また、そのこころ。
特に、男女間の思慕の情。恋慕。恋愛。
②植物や土地などに寄せる思慕の情。』
と書いてあった。

「大辞林(三省堂)」は、
『① 特定の異性に強く惹かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち。
②古くは異性に限らず、植物、土地、古都、季節、過去の時など目の前にない対象を慕う心にいう。』
とあった。

「ぎょえぇ~~」と、かなり違うことに結構驚いてしまった。

だったら、岩波や三省堂でないほかの出版社の小学館や角川や講談社などの語釈が気になった。

その小学館には、「日国」と呼ばれる日本最大の国語辞典がある。
「日本国語大辞典(小学館)」である。14巻もある。
今はそんな気はないが、昔はこの辞典がほしくてたまらないときがあった。
昔々付き合っていた女性が、国文学科の学生だったことで、なんだかんだと読んだ本や言葉の語源などのことでたびたび議論になった。とにかく負けん気の強い女性だったが、こっちが一途だったこともあり、ただその子に負けたくなかったのと見栄を張りたかっただけの理由であった^^(おいおい^^)!!

その「日本国語大辞典(小学館)」には、
『① 人、土地、植物、季節などを思い慕うこと。めでいつくしむこと。
②異性(時には同性)に特別な愛情を感じて思い慕うこと。恋すること。恋愛。恋慕。
③和歌、廉価、俳諧などで恋愛を題材にした作品。
④愛人。情婦。』
とあった。
この(時には同性)に、驚いた。いつから、この言葉が付け加えられたんだろう。
そして、「愛人。情婦。」である。
初めて出くわした解釈である。と、いうよりもそんな意味で使っている人に会ったこともなければ、聞いたこともないのある。不思議と言うよりも、私の中では、認めたくない語釈である。

可笑しかったのは、「恋すること」とあることである。
「恋」を調べているのに、「恋すること」を平気で載せる小学館は恐るべきと思わざるを得なかった^^。


角川の「国語大辞典(角川)」には、
『特定の異性を愛し慕うこと』
講談社の「国語辞典(講談社)」には、
『異性に心を強くひかれる気持。恋愛。』
とあった。
「これだけかぁ」と力抜けをしてしまった。


「広辞苑」は岩波であるが、同じ岩波から「岩波国語辞典」が出版されている。
同じ出版社でも、編者が違うと、語釈もまったく違うのある。
それにも、少し驚いてしまった。
その「岩波国語辞典(岩波)」には、
『異性に愛情を寄せること、その心。恋愛。
本来は(異性に限らず)その対象にどうしようもないほどひきつけられ、しかも満たされずに苦しい気持ちを言う。
「恋は楽し、野辺の花よ」のような言い方は、1910年ごろからのもの。」
とあった。

今から、100年前は、やはり恋は、苦しくて切ないもののことだけを言い表していたのかもしれない。
そういえば、和歌などを読んでも、成就した歌に恋という言葉は出てこないことを思い出した。


三省堂も「大辞林」の他にも、「新明解国語辞典(三省堂)」という人気の辞書がある。
この語釈に、思わず笑ってしまった。
『特定の男性に深い愛情をいだき、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくはないほどの満足感、充足感によって心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦燥に駆られる心的状態。』とあった。
いったい誰が語釈をしたのだろと、本当に図書館で笑ってしまったのである^^。

「大辞泉(小学館)」、「大きな活字の三省堂国語辞典(三省堂)」、「ハイブリッド新辞林(三省堂)」、「角川携帯国語辞典(角川)」など他にも当たったが、これって思う語釈に会うことが出来なかった。

引っ張り出した十数冊の辞書を仕舞い終わりかけたとき、幾つかの辞書の背に、「金田一京助 編」とあるのに気が付いた。

私も初めて買ってもらった国語辞典も金田一京助編であった。
小学校のとき、買ってもらったが、中学1年まで、「きんだいち きょうすけ」と読めずに「かねだ いっきょうのすけ」と読んでいた^^。(おいおい^^)!!
当時の学級委員だった武部君から、「お前、知らなかったのぉ!」と言われたことを今でも覚えている^^。!!

さて、その金田一京助氏は、実際にはどの辞書のどの言葉も語釈をしていなかったようである。
かなり前に息子である金田一春彦氏が、「名前を貸していただけ」とTVで言っていった。
ただ、金田一京助氏がいなければ、アイヌ語がすべて死語になっていたという。

そんなことを思いながら、図書館をあとにしたのであった。


「舟を編む」が公開されるときに、一般から「恋」の語釈を募ったようである。
それを知っていたら、絶対に応募しただろうって、なにか残念でならない^^!!

その中で幾つか私のお気に入りが出てきた。
『“あなた”がいるということ。』
『勘違いと妄想の偶然の調和。』
『心に手をあて「この人」と自覚してから「その人」が心から消える期間』
『心を酔わす酒のようなもの。すぐに醒める者もいれば、いつまでも酔い続ける者もいる。』
『相手に強く惹かれ、想うことで、心に四季がもたらされるもの。暖かな春、情熱の夏、センチメンタルな秋、凍てついた冬と、場合によっては1日のうちにハイペースで季節が巡る場合もある。』

みんな、上手く考えるものだ!

これを読んだ方の語釈もいつか聞いてみたい気がする。

私の「恋」の語釈を最後に
『寝ても覚めても、そのこと(人、動物、植物、物、事象など)だけを強く想い惹かれ焦がれ、常に独占したいと思うこと。』


と、いうことで次回へ~~~~^^!!

次回は、なにが飛び出すか^^乞う、ご期待を~~~^^!!
って、次回も和泉式部じゃないのかいな~~~~~^^!!(おいおい^^)!!




「あの時に 伝えることが できぬまま あの娘(こ)への想ひ 今も続かん」

「ただ想う どうしていいかも わからずに 歯痒さばかり 月と話さん」
 


おいおい^^和歌
「恋破れ 酒を煽りに 街に出る 朝のベッドに 見知らぬ女性^^」(おいおい^^)!!

「恋なんて 二度としないと 思うだけ 今日のあの女性(こ)に すぐ恋をする^^」(おいおい^^)!! 
 




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和泉式部(5)恋について

2015年01月15日 | 和歌

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和泉式部(5)恋について

また、和泉式部に戻ってきた^^。
今回は、其の五になる。
と、言っても、風来坊で風の吹くまま気の向くままに、あっちの駄菓子屋、こっちのカフェと、また寄り道ばかりになりそうである。


和泉式部の艶歌に、今日こそ辿り着けるのであろうか。
なにかのっけから、無理っぽい気がしてきている^^。


「世の中に 恋といふ色は なけれども ふかく身にしむ ものにぞありける」
「人の身も 恋にはかへつ 夏虫の あらはに燃ゆと 見えぬばかりぞ」

勅撰集「後拾遺和歌集」の中に幾つかの和泉式部の恋の歌が載っているが、私は、この2首があまりにも対照的なのでどちらが本当の和泉式部であろうかと、若い日に読んだとき考えた記憶がある。

今思うことは、おそらく、この相容れない弱さと強さの想いが和泉式部の恋という概念であったのかもしれない。
もちろん彼女が詠んだ時の年齢にもよるが。
身を時の感情のまま委ねる。ただただ、恋にではなく、自分自身に正直で情熱的な女性だったのだろう。

最初の歌は、実に淡い歌である。今の世でも、男女関わらず誰でもが感じているものではないだろうか。
※ 世の中に恋という色はないけれど、深く私の身に想いという色が染みてきます。

それに比べて、次の歌は、酸いも甘いも知り尽くした以上に恋に執念を感じてならないのである。
※ この我が身を、恋のためにすべて犠牲にしてしまった。炎の中に飛び入った、蛾のようなもの。ただ、誰の目にもこれは見えないでしょう。

蝶でなく、蛾と自分自身を喩えているのである。
夜行性の蛾に自分自身を置いてしまうこの女性に強さをやはり感じてしまう。
そこが、私の好きでたまらないところなのかもしれない。


そういえば、平安文学を読み始めたころ、和歌の中に「恋」という言葉が当時からあったことに驚かされた。
中学高校で「恋」を含んだ歌を習ったかもしれないが、あの頃は、古典なんて所詮受験勉強の科目の一つだったからどうでも良かったし、それに気を止めることもなかった。
それが、和歌と言うものに興味を持ち、読み始めたときに、言葉の一つ一つに惹かれていくようになった。
「恋」という字が含まれて詠まれた和歌に、ことさら当然のように惹かれていった。

「こい」と言う言葉は、平安時代それよりも前からあった。
万葉集では、「恋」ではなく「孤悲」と表現している歌が少なからずある。

山部赤人の万葉集の1首がある。
教科書などは、漢字とひらがなを併せたものを歌にしているが、万葉集はもともと漢字ですべて書かれていた。

「明日香河 川余藤不去 立霧乃 念應過 孤悲尓不有國」

この歌にも「孤悲」という漢字が見えている。

訓読みは、
「明日香河 川淀さらず 立つ霧の 念(おも)ひ過ぐべき 孤悲にあらなくに」となり、
※飛鳥川のよどみにいつも立ちこめている霧のようにはかなく想いが消えていく孤悲とは違うのです。それはそれはもっと深いものなのです。

となると思うが、この歌の意味が問題ではなく、山部赤人もまた「孤悲」を使っているのである。

多くの解釈本は、「孤悲」のところを、現代に使われる「恋」として意訳しているが、果たしてそうなのであろうか。山部赤人が、「ひとりぽっちで悲しむ」で「孤悲」と表現したのであったとしたらどうであろう。
私は、それが常識になりつつあることに大きな懸念を抱いている。

と、平安文学学者や古文研究家でもない私が言ったところで、戯言にしかならないであろう^^。

横道にちょっとずれるが、ってもう十分にずれていて、早く元の道に戻らねばと思っているが、なかなか障害物があって、自分で書いているのに何故か、戻るのが遅くなってしまいそうである。

そうそう、ひらがなが出来たのは、平安の初めである。それより以前は、万葉集などのすべての書物が漢字で書かれていた。
ひらがなが、公的な書物に現れたのは、あの「古今和歌集」が最初なのである。そして、その選者は、紀貫之である。
その紀貫之が「土佐日記」を女性の振りをしてひらがなを用いて日記を書いた。
日記と言っても、「土佐日記」は虚構を交えての作品であり、日記と言うよりも文学書なのかもしれない。
ただ、土佐で娘を亡くしたという悲しさ故に、事実だけを書き連ねていくことができなかったと思うと、余興交じりのあの書が、私には紀貫之の金字塔の書なのかもしれないと思うのである。

女性が使うものとされていたひらがなを、何故あの紀貫之が「土佐日記」で書いたのかと、よく文学談などで話題に出されるが、私は、紀貫之という人物が、漢字というものが、心の奥をどこまで細かく伝えることが難しいのかを知っていたのではないかと思っている。
漢字は硬く、そこに柔らかさを感じることがあまりない。優しさや哀しさ、寂しさをどうしても伝えたいがために、ひらがなを使ったのではないかと思うのである。
それが、紀貫之が、娘をなくした親としてせめてもの娘への供養だったのではないだろうか。
そう思ってならないのである。
タイムマシンが在ったら、一度会って、真意を聞きたいものである。

「恋」、「孤悲」の他に「乞い」から来ていて、何かを願ったり、求めたりする言葉として使われてきたと言われる。
それが、平城、平安の時代に入って変化してきたと昔読んだ何かの文献に書いてあった。

ついでになるが、「恋」を、昔は「戀」と書いた。
「糸」と「糸」の間に「言」を入れて「心」を下に持ってきた。
これを「いとし いとしというこころ」と、けっこう女性が好みそうな解釈をされているが、元来「糸」を使う漢字は、縺(もつ)れるとか絡(から)むとかに使われてきたものである。
だから、糸が2つありそこに心を入れることで、「心が縺れて乱れ、自分を抑えることができない。」それが本当の解釈だと思うのである。

「愛し 愛し と 言う心」と「相手の気持ちがわからず心が縺れて乱れ、どうすることもできない。」、どちらも同じように見えるが、自分本位なのか、相手本位なのか、大きく違うと思うのである。
頑なに否定しようとは思わない。どちらも間違っていないと思うからである。

まぁ、どちらも恋。というよりも、恋そのものが難しいと思うのある^^。


「舟を編む」という映画があった。
2013年公開の映画である。松田龍平と宮崎あおいが主演の、辞書を編纂するという映画であり、私のお気に入りの映画の一つである。

その中で、「恋」の語釈を、「ある人を好きになってしまい、寝ても覚めても その人が頭から離れず、他のことが 手に付かなくなり、身悶えしたくなるような心の状態。成就すれば、天にものぼる 気持ちになる。」
と表現していた。

映画を観ながら、言い得て妙だと感心してしまった。
あの和泉式部が、この語釈を読んだとしたら、どう思ったのであろうか。
また、和泉式部なら、どんな語釈になるだろうか、そう思うだけで楽しくなるのである。


さてさて、そろそろ横道から大通りに戻らなければ、なかなか前に進めないから戻ろうと思う。

「男好き浮かれ女」とまで今の世になっても言われ続ける和泉式部であるが、どれくらいの男性と深い関係になったのであろうか。


というところで、続くのである^^!(おいおい^^)!!

ゲロツ!!ほとんど和泉式部の話でなくなってる^^!!
ど~しよ^^!!

和泉式部(6)こそ、恋の遍歴とそれに纏わる艶歌を書き綴っていきたいと思う。

乞う、ご期待をである^^!!



「君想ひ 眠れぬ夜に 恋を詠む 心騒いで さらに眠れず」


「ひらがなに 心の襞(ひだ)を 委ね詠む 小さなことさえ 君に伝えん」
 


おいおい^^和歌


「ひらがなで 愛しているよと 綴(か)いてみる くすぐったいと 指を払われ^^」(おいおい^^)!!



「恋焦がれ 恋に恋して 身を焦がす そんな自分に 誰より溺れ^^」(おいおい^^)!! 
 




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「私と映画(2) 私のお気に入り平成の邦画」

2015年01月11日 | 和歌

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「私と映画(2)私のお気に入り平成の邦画」

昭和の映画の話をし始めたら、幾日あっても足りないだろう。
それが洋画であっても邦画であっても。

ただ、私が映画と呼ぶのは、あくまでも映画として製作されたものである。
人気TVドラマが、映画化されたものは私は映画とは呼ばない。
それは、あくまでもTVドラマの延長戦にしかないと思うからだ。

そうは言っても嫌いではなく、それはそれでめちゃくちゃ楽しんでいる^^!
「相棒」と「 踊る大捜査線」シリーズは全部、「名探偵コナン」はほとんど、他にも「HERO」「アンフェア」「ガリレオ」「大奥」「外事警察」「トリック」「ハゲタカ」・・・・と数知れず観た。
そのどれもがTVドラマの延長として観れば実に面白かった。
古くは「あぶない刑事」なんかも4本か5本、映画館に足を運んだ。
そういえば、あの寅さんの「男はつらいよ」も最初はTV番組だった気がする。

ケーブルTV加入のおかげもあって、全然タイトルも聞いたことがない邦画をランダムに録画して休日に暇つぶしに観るようになった。
それが、実に面白いのである。
最初は、本当に暇つぶしのためだったが、今は、楽しみで観ている。

もちろん、前知識はない。
事前にPCで調べたりは極力しないで観るようにしているから、見終わったあとに、「あ~観なければよかった」と思うものも少なくはない。
でも、当たりの数も同じ数くらいある。
当たりの映画に逢うと、本当に得した気分以上にとにかく幸せで何日かは心が暖かいままでいられるのである。

私のお気に入りは、邦画興行ランキングの上位に入っているものが数が少ない。
なんか、「えっ、私の感性ってみんなとずれてる~??」って思ってしまうのあるであるが、所詮趣味趣向は他人と違って当たり前なのである!!

そこで、私の最近観たお気に入り邦画を紹介してみようと。
ただ、こればっかりは、人それぞれ趣味と嗜好が違うので、「是非!!」って絶対に薦めるものではない^^。


最初は、よくこんなアホらしい映画を作ったな!!って、とにかく呆れたものが、
「鴨川ホルモー」(2009)である^^!
実にくだらない!本当にくだらない!!
そう言いながら、4~5回と飽きずに観ている私が一番アホかもしれない^^。
とにかく、山田孝之・栗山千明・濱田岳・石田卓也らがキャストなのだが、これに出演したキャストとおそらく興行成績を無視してこんなものを真剣に作ったスタッフやこの映画に携わった一同への賛辞を私は惜しまないのである。

ミッキー・カ―チスこと五十嵐信次郎と吉高由里子と濱田岳のキャスティングの「ロボジー」(2012)は文句なしに楽しめた^^!
今、思い出しても微笑ましくなる映画である。

佐藤浩市・妻夫木聡・深津絵里、監督脚本が三谷幸喜の「ザ・マジック・アワー」、これは、映画館で爆笑しまくった映画だった。
きっと周りの人は、私の止まらない爆笑に怒っていたんじゃないだろうかと今になって思うほど、笑った!!
監督脚本が同じ三谷幸喜の前作「THE 有頂天ホテル」があまりにつまらなくて、この映画もそんなに期待はしてなかっただけに、喜びもまた一入であった。

そういえば、くだらなかった映画がもう1本あった^^。
阿部サダヲ・柴咲コウ・堤真一の「舞妓Haaaan!」(2007)である。
見終わったあとに、実に無駄な時間を使ったと実感する映画である。
でも、私は、嫌いではないけっこうお気に入りの映画である。

「舟を編む」(2013)
これは、一人でも多くの人に観てもらいたい映画である。
私は滅多に自分の趣味や嗜好を薦めないのであるが、この映画は本当に観てもらいたい1本である。
松田龍平・宮崎あおい・オダギリジョーらが出演している。
物語は、淡々としていて最後まで静かなのだが、終始人肌の温かさを感じさせてくれるのである。
松田龍平と宮崎あおいの絡みもまた微笑ましいのある。
見終わったとき、この映画に出会ったことに喜ぶと同時に感謝した映画であった。

宮崎あおいと言えば、「初恋」(2006)も捨てがたい1本である。
1968年12月10日に発生したあの3億円事件が素材なのだが、平成の映画でありながら、オーバーな表現かもしれないが、若松孝二や寺山修司らのアングラの世界観を思い出させてくれた映画であった。

大竹しのぶ・黒木瞳の「阿修羅のごとく」(2003)もお気に入りである。
私が20代のときにNHKで放送された向田邦子作品である。
当時、四女の咲子役が、大好きな風吹ジュンだったこともあり、すべてのシリーズを見ていた。
それが、四半世紀以上経って、映画化されたのである。
ずっと昔の時代、谷崎潤一郎「細雪」の世界を、よりざっくばらんにしたのであろうか、意味が通らないかもしれないが一言で私がまとめるとしたら、「あり得ない普通の家族」の映画である^^!

他にも、鈴木京香・西田尚美の「木曜組曲」(2002)、田中裕子・岸部一徳の「いつか読書をする日」(2005)、豊川悦司・小池栄子・仲村 トオルの「接吻」(2008)、藤原竜也・大沢たかお・松嶋菜々子の「藁の楯」(2013)も、私のお気に入り映画の上位にランキングされている^^!!


俳優と言えば、今、妻夫木聡の映画を次から次に観ている。
「ザ・マジック・アワー」で、好きになった俳優である。
「ジャッジ!」(2014)、「黄金を抱いて翔べ」(2012)、「悪人」(2010)、「ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜」(2009)、「憑神」(2007)、「きょうのできごと a day on the planet」(2004)、そのどれもが私には面白いのある。
昨年2014年、7本の映画が公開された。まだまだ、これからも妻夫木映画を楽しめそうである。

先日観た「さよなら渓谷」(2013)は、真木よう子の演技に魅せられた映画であった。
大西信満もまた良かった。
ただ、この映画は、好む人と好まない人が大きく分かれそうな作品であろう。
私は、観終わったあと大きくため息をついた。そのため息は、満足のため息であった。
真木よう子という女優が、大きく大きく見えた映画であった。


最後になるが、おそらくこの映画は、世間ではB級を超えたC級映画なのかもしれない。
興行成績も散々だったみたいである。
でも、私にしたら、超A級映画である。
あった。はなく、ある。にしたのは、今以て、私の中では超A級の座は揺ぎ無い映画だからだ。
何十回観たかわからない。好きな場面だけなら、百回はゆうに超えている。そして、同じところで涙ぐんでいる。
とにかく私の壷、ど真ん中のストレートだった映画である。
セリフも全部覚えていると言っても過言ではない映画である。
箱根駅伝をテーマにした「風が強く吹いている」(2009)である。

箱根駅伝を高校時代から愛して止まないからかもしれないが、とにかく好きとか言う言葉をはるかに凌駕した映画なのである。
また、観たくなってきた^^!!



また、機会があったら邦画の話をしようと思う。
さて、そろそろ今週は、「和泉式部」に戻ろうかなって思っているが、どうなることやらである。




「小遣いで 初めていった 映画館 『おさな妻』観た 中二の春に」

「歳を取り 涙腺緩く すぐに泣く 泣くとこあった?と 連れに笑われ」
 




おいおい^^和歌
「エロ映画 タイトルだけで 発情し そんな時代に 二度と戻れず^^」(おいおい^^)!!


「何見ても 出ている女優に すぐ惚れる どんな恋愛 しようか妄想^^」(おいおい^^)!! 
 




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「私と映画(1) 序章」

2015年01月09日 | 和歌

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「私と映画(1) 序章」


このブログ、一年以上休んでいて、昨年末からまた書くようになった時、何かにつけて私に絡んでくる奴から「今度はいつまで続くやら^^!」と言われた。
確かにちょくちょく休んでいる。飽き性ではないけど、疲れ症なのかもしれない^^!!
ただ、その言葉に、「今度は続けてやる~!!」とちょっと子供みたいに剥きになっている^^!


ブログは、いつも夜遅く書く。100%アルコールが入っている状態である。
時には、許容量の150%200%入っている場合も多々ある^^!!
だから、翌朝必ず推敲をするようにしている。
案の定、支離滅裂なところを見つけたり、酔っているせいか、自分でも驚くような禁止用語を使っているところを見つけたりする。
推敲なしで投稿したらと思うとゾォ~とすることもしばしばである。


今回は、話題を「私と映画」で書いてみようと^^!
そして、「お気に入りの邦画」と続けていこうかと。

「平安文学や和泉式部はど~~した!!」って、お声も聞こえますけど、これはこれでライフワークとしてじっくりと私自身も納得いくものを書いていこうと思う!!

ブログにしても寄り道ばかり、人生に於いても私の場合、そうかもしれないと思うことがある。
でも、それも悪くないと思っている。
このブログも、とどのつまりは、私に変わりないのであろう。


さてさて、今回は、映画の話で進めて行く!

ケーブルTVJ-COMに数年前に加入したこともあり、映画を録画して観るようになった。
本当は、プロ野球のパ・リーグのソフトバンクの試合とテニスのATPツアーが観たいがために加入したのだが、映画のチャンネルが7つもあり、結構放映する番組も充実しているのである。
ただ、一ヶ月に何度も何度も同じ映画を繰り返されることもあり、すべて満足というわけではないが・・・^^!

昔から映画は和洋問わずによく観てきたが、最近は洋画はめっきり観なくなった。
若いころは、洋画だけで年間30~50本は観てきた。
今はもうそれは出来ない。

きっと、字幕スーパーと同時に映像を見るのに疲れたんだと思う。
かといって、吹き替えを観ようとは思わない。
やはり、洋画を日本語で観るのは、私の中での映画そのもののイメージが崩れてしまうのである。
だったら、観ないほうがましである。

それと絶対に観ない映画もある。
怖い映画は観ない。
幽霊とかお化けとか、怪談ものは観ない。
逆に、どうして「怖い怖い」と言いながら観るのだろうと思うばかりである。
昔、当時付き合っていた彼女に「悪魔のいけにえ」を観にいこうと誘われ断ったら、「弱虫!」と言われ、それから疎遠になり別れたことがあった。
考えてみたら、もう一人いた。
それは、おそらく映画よりも怖い怖い女性であったと思う。
彼女は、容姿端麗だからと言って選ぶものではないと思い知った女性でもあった。
私の女性への見方が変わった26歳の夏であった。

でも、どうして女性は、ホラーが好きなんだろう!
今以て、わからないままである。

今でも「怖い映画を我慢して観て彼女とこのままずっと仲良しこよし^^」か「彼女と別れるか」と言われれば、間違いなく「別れる」方を採るだろう^^。
だから、私と別れたければ、怖い映画にしつこく誘うことで後腐れなく別れられると思う^^!

まぁ、今さら、私と付き合いたいという御仁が現れそうにはないが^^!!


昨年、健さんと文太が逝ってしまった。
昔から、高倉健は「健さん」と呼ぶが、菅原文太は、「文太」と呼ぶ。
どちらも大好きな役者だったが、私にとっては「文太」と呼び捨てるのは、ある意味、菅原文太が青春だったからだろう。

健さんの映画は、任侠物も含めてたくさん観てきた。
有名な作品はほとんど観たと言っても過言でない気がする。頭にすぐに浮かぶものでも枚挙に暇がない。


「網走番外地」「昭和残侠伝」シリーズはもとより、「八甲田山」「海峡」「南極物語」「新幹線大爆破」「動乱」「山口組三代目」「駅」「鉄道員」「あなたへ」「幸せの黄色いハンカチ」「冬の華」・・・・と本当に観てきた。
今でも、「冬の華」の時のあどけなさいっぱいの池上季実子を思い出すし、「動乱」の吉永小百合の凛々しさは忘れることができない。「八甲田山」の真に迫ったあの顔もまた全身を凍えさせるものがあった。
どの映画も、健さんでなければ出来なかったのではないかと思う。

文太、これは私には、「仁義なき戦い」シリーズがすべてと言っても過言ではない。
菅原文太には悪いが、ヤクザ映画以外の文太映画は観たことがない。
ヤクザなんて、昔から今でも人間の屑だと思っているが、文太のヤクザは私の中では別格なのである。
とにかく、文太は、私の中では最高の筆舌を越えたヤクザなのである^^!!
それも、憧れとしての文太なのである。

学生時代、都内のどこかでこの映画が掛かると、オールナイトで必ず観にいった。
多くは下宿の仲間だったが、一人でも観にいった。
新宿、池袋、神楽坂、三鷹、どこへでも行った。
今でも、そのすべてのシリーズが言える。
「仁義なき戦い」「仁義・・広島死闘篇」「仁義・・代理戦争」「仁義・・頂上作戦」「仁義・・完結篇」「新仁義なき戦い」「新仁義・・組長の首」「新仁義・・組長最後の日」である。
文太が、主役でなくても、出演する映画はほとんど観た。
文太が出ると、どんなB級ヤクザ映画もA級ヤクザ映画になってしまう^^!!
それくらい、私の中では存在価値があった。
そのくせ、「トラック野郎」とか他の主役になった映画は一本も観ていない。
観にいこうと思ったこともなかった。


私の時代、渥美清の寅さんが、邦画の代名詞になっていた。
マドンナが決まると、ニュースにもなった。
「正月は寅さん!」と、型があるかのように毎年繰り返し繰り返し世間は喜んでいた。
私は、その寅さんを映画館で観た事ことがない。
TVでは、何度か見ているが、私の中では、「どうして世間は寅さん寅さんと騒ぐのだろう。」とむしろ不思議でたまらなかった。
確かにTVで見ると、面白いことは面白かったが、何もお金を払ってまで観にいくものではないと。
だからと言って渥美清が嫌いなわけでなく、むしろ好きな役者だった一人である。
ただ寅さんという半端者に全く興味がなかったのである。
それは、今でも変わらない。


高倉健、菅原文太。
その二人が逝ってしまった。
哀しいのはもちろんであるが、それ以上に感謝の「ありがとうございました!」である。
どれだけ、楽しい時間で潤わせてくれたか、それだけで本当に感謝ばかりである。


最近、お気に入りの邦画が増えた。
感動物から、あまりに下らなくてただただ笑うばかりの物と。

「私と映画(2)」は、そのお気に入り邦画を幾つか書いていきたいと思う。


で、次回に続く



「映画観て スクリーンの中 錯覚し 主役気取って 街に出て行く」

「健さんも 文太も浩二も もういない 怖さ教えた 今は昔に」
 


おいおい^^和歌
「初めての デートに誘った あの映画 その気にさせて お酒でトドメに^^」(おいおい^^)!!

「泣く映画 調べて彼女を 連れて行く そっとハンカチ 逆に出される^^」(おいおい^^)!! 
 




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「中森明菜 歌姫の復活」

2015年01月08日 | 和歌

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「中森明菜 歌姫の復活」

昨年2014.12.31の「紅白歌合戦」に明菜が出演した。
どれだけ待っただろう。

明菜が夢に何度か出てきたことがある。
それは、明菜のことを忘れかけようとしたときに、夢に出てくるのである。

今でも覚えているのが、
レコーディングに私と打ち合わせしている夢と何かおしゃれなテラスのカフェで笑い合って話をしていた夢である。
その2つの夢の明菜の顔は、今でも不思議なことに覚えている。

それこそ、明菜と一緒になんては、夢のまた夢なのであるが^^!

小野小町の和歌の古今和歌集に、夢の歌が出てくる。
古今和歌集には、18首選ばれているが、その中の6首が夢を詠んでいる。

「思ひつつ 寝ればや人の 見つらむ 夢と知りせば さめざらましを」
「いとせめて 恋しき時は むばたまの 夜の衣を かへしてぞ着る」
「うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは たのみそめてき」

「夢路には 足もやすめず かよへども うつつに一目 見しごとはあらず」
「うつつには さもこそあらめ 夢にさへ 人目をよくと 見るがわびしさ」
「限りなき おもひのままに 夜も来む 夢路をさへに 人はとがめじ」

その中でも、「思いつつ・・・」と「限りなき・・・」の2首が、明菜の夢を見て、朝起きたときに感じたものであったのかもしれない。

「思いつつ・・・」
※あの人のことを思いながら眠りについたから夢にでてきたのだろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうものを。
「限りなき・・・・」
※果てしないあなたへの思い――この「思ひ」の火のままに導かれて、暗い夜だって、あなたのもとへ来ましょう。夢路までも人は咎め立てしないでしょう。

って、書けば少し言い過ぎの感があるのかもしれない^^!!
しかし、これに近い思いは確かにあった気がする。


ただ、本当に、もしかしたら、このままもう中森明菜は私たちの前から永遠に姿を消してしまうのかもしれないと思っていただけに、こうして復活の兆しを見せてくれたことは、中森明菜をデビューから応援してきた私にとっては言葉にならないくらいの喜びであった。

第一声は、小さな声で「ごぶさたしています。 中森明菜です。」だった。
それだけでもやはり嬉しかった。


明日の1月9日、夜10:00からNHK総合で、特番「中森明菜 歌姫復活」が放映される。
昨年末の「第65回 紅白歌合戦」出演のための舞台裏や海外で行われてきた新曲など製作風景などの番組になるという。
どんな内容であろうと、私には嬉しい限りである。
明日という日が、今から待ち遠しい。

私のこのブログの2011年2月15日に「歌姫 中森明菜のこと^^!!」を書いて載せているから、「歌姫 中森明菜」の登場は2回目となる。
↓が、2011.2.15の私が明菜のことを書いたブログである^^。

「歌姫 中森明菜のこと^^!!」2011.2.15記←クリック

当時の記事を今一度読見返してみたが、あれから想いは一切変わっていなかった。
本当に今でも好きでたまらない歌手である。


紅白で歌った新曲は、「rojo -Tierra」で、スペイン語らしい。
訳せば「赤い大地」のようだ。
作曲は、浅倉大介氏&鳥山雄司氏である。
新曲を聴いたときに、いやにデジタルぽいって思ったら、案の定浅倉大介氏の作品であった。
私は、T.M.Revolutionのときからになるが、あまり好みではない。
おそらく私が、若くないからであろう。どうしても好きになれないのである。

作詞は、Miran:Miran氏と川江美奈子氏との共作のようだ。
Miran:Miranは、明菜の作詞ネームであるから、再びということである。
川江氏は、今井美樹、一青窈、平原綾香に楽曲を提供しているシンガーソングライターであるが、ずっと以前に「赤い花」や「紡ぎ唄」「嘘つき」などですでに明菜とタッグは組んでいるのである。
本来、作詞作曲までして楽曲を提供してきた川江氏にとって、作詞だけってことは珍しいことである。
だから、他人の作曲に戸惑いを感じ、言葉に少しのズレが見えるのであろうか。
それと川江氏の作詞は、従来、もっと情緒に溢れていながら乾いている気がするのあるが、この詞は、無理に言葉を繋げていて、それでいてからっとしたものに仕上げようとしてるが、妙に湿っているようにしか思えないのである。

そういうこともあるのだろうか、私には明菜復活の新曲「rojo -Tierra」は、どうもしっくりこないのである。

と言っても、所詮、私の感想にすぎない。
何度か聴いていけば、この楽曲もまたいいと思うときがくるかもしれない^^!

と言っても、やはり明菜の歌声を聴けたことには変わりはない。
それだけで満足すべきなのかもしれない。

「一日も早く、完全復活してほしい!」と言う気持ちと、「ゆっくりでいいから、歌いたいときに歌っていってほしい!」との気持ちである。



「年の暮れ テレビに映る か細さに 何を思ひて 君は唄わん」

「明けた年 菜に陽が当たり 春模様 初夢見るは 君の歌声」
 


おいおい^^和歌
「rojo –Tierra(ロホ ティエラ) 「老女-ティアラ」と 錯覚し どんな歌かと 少し怯える^^」(おいおい^^)!!

 




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和泉式部(4)

2015年01月04日 | 和歌

 

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和泉式部(4)

 

年が明け、2015年

今年はどんな一年になるのだろうか。

なにか大きいものが来そうな予感が!!

 

今年に入って最初のブログとなる。

 

新年早々は、明るい話題もと思ったが、やっぱり和泉式部のことをもう少し書いていこうと思う。

和泉式部(3)の続編である。

ただ、彼女の濃密和歌思わせ歌は、また今度にと思う。延期の連続である。

いったい、いつになるのだろう。楽しみにしていた読者のみなさんには、ごめんなさいである。

またまた、「乞う、ご期待!」ということで!!

 

 

さて、和泉式部は、いつ生まれたのだろう。

 

その出生が未だにわかってないのである。

974年    与謝野晶子説

976年   上村悦子説

977年  玉井幸助説

978年   藤岡忠美説

978~979年 山岸徳平・村上治説

と、さまざまである。

 

与謝野晶子を除くその誰もが日本を代表する国文学者である。

昭和女子大初代学長の上村女史、王朝文学と言えば藤岡氏、和泉式部全訳を執筆した村上氏など錚々たる人たちなのであるが、はっきりとした誕生年がわからないのである。

一番支持されているのが、978~979年とした山岸徳平・村上治説である。

 996年に橘道貞と結婚。997年に娘の小式部内侍を出産。その小式部内侍が藤原道長の子である教通との間に産んだ静円の誕生年が1017年であったために、おそらく和泉式部は18~19で道貞と一緒になったのだから、978~979年に産まれたのだろうと。

この根拠も、私如きの分際で、高名な先生方には大変申し訳ないが、実に曖昧と言えば曖昧、いい加減といえばいい加減なのかもしれない。

出生に関して、付け加えると、和泉式部の幼名は「御許丸(おもとまる)」である。

まぁ、ここでそんなに論じることでもないので、次に話を進めていこうと思う。(おいおい^^)!!

 

それでは、どんな女性だったのか、当時一緒に生きていた女性二人からまったく違う二つの評価がある。

 

あの紫式部は、和泉式部のことを「紫支部日記」の中にこう評している。

かの清少納言を、「したり顔した中身のない才女ぶった女性である。」とまで酷評している紫式部である。

 

その紫式部の和泉式部評を現代意訳にすると

 

「和泉式部という人は、趣深く手紙のやり取りをした人であります。
それにしても、和泉は、男にだらしなく感心できない面があります。でも、文章の方面の才能が見える人で、言葉の艶やかな魅力があるようにも思います。
だけど、確かに彼女の歌は趣向を凝らしていますが、知識やしっかりとした見る眼がなく、ただ目につくような言葉を思いついたように詠んでいるとしか思えません。

人の作品を評価したとしても理解が深くないからあてにはなりません。
みんなが、凄いなって思うような立派な歌人だとは思えません。」

と、清少納言よりも柔らかであるが、かなり厳しく評価しているのである。

 

ただ、私から言わせると、紫式部の歌は、心が通っていないものが多い気がしてならない。

自分の才に溺れているのは、むしろ紫式部のほうだと思ってならないのである。

もしかしたら、紫式部自身、そのことを知っていたのではと思うのである。

だから、この評は、嫉妬なのかもしれない。

 

ここに「無名草子」がある。

平安時代に書かれた「草子」で、清少納言の「枕草子」のように多くは知らないと思われる「草子」であろう。

実に面白い書であるから、平安文学に興味のある人にはお奨めの一冊である。

 

「草子」とは、一般的には日記や物語、歌本などの総称で、紙で綴じているものを言うが、通俗書物などを草子と呼ぶ場合も多い。

「枕草子」は日記の類であろうが、よく耳にする「御伽草子」はどしらかと言えば通俗書物に類するのかもしれない。

「御伽草子」の中には、「一寸法師」「浦島太郎」「物くさ太郎」「酒呑童子」などがある。

 

この「無名草子」、藤原俊成女(むすめ)が書いたと言われる物である。

その中の一説に「ただ一言葉にても、世の末にとどまるばかりのふしを書きとどむべき、とはおぼゆる」とある。これからもずっと残したいという作者の覚悟が見える書物である。

 

後世にまで残したいというその書の中に、和泉式部評があるのである。

 

現代意訳

「和泉式部は、多くの歌を詠んできているけど、どれもが優れていて秀逸である。これは前世との因縁でしょうか。現世だけの巡り会わせとは思えないのです。

男性問題にしても貴船神社に縋るようなかわいい女性でした。

せめて、和泉式部のような才がほしくてたまらないのです。晩年の和泉式部は、男に捨てられたとき貴船神社に慰められたり、そして大往生していきました。和歌の力は、和泉式部を歌神様にしたのですね。」

 

と紫式部とは真反対の絶賛である。

 

いったいどっちの女性像に近かったのであろうか。

そう考えるだけでも、和泉式部に一度会ってみたいのである。

 

いずれにしても、藤原道長、藤原公任から高い評価を受けていた歌人なのである。

 

 

この辺で次回に続く。

ちょっと中途半端だったかも。

まぁ、いつものことである。

 

 

 

「紫に 焼餅妬かれ 何思ふ 男遊びと 思へば思へよ」

 

「捨てられて 貴船に飛び込み 情け乞う 木造船なら 沈んだままに」

 

 

おいおい^^和歌

「紫は 女魅せるに 乏しいか ムラムラ来ないし 咲きも見えない^^」(おいおい^^)!!

 

 

 

 

 

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和泉式部(3)

2014年12月27日 | 和歌

 


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和泉式部(3)

第三回となり、ふと気づいたことが・・・。
和泉式部って、どんな素性で、どうしてそんな名前なんだろうかと思う人がけっこういるのではないだろうか!
事実、紫式部、清少納言、小野小町が、平安時代の女流文学家のペンネームだと思う人がけっこういるのである。

今回は、和泉式部の思わせ薬について書いていこうと思っていたが、それはまた今度にして、彼女の人生の大まかなことを書いていこうと思う。

平安貴族の時代、もちろん、生まれてきた女性には名前があったが、貴族世界の文壇では、女性の下の名前を呼ぶという慣習はまったくなかったのである。
「蜻蛉日記」の作者にしても、藤原道綱母となっている。
「更級日記」にしても菅原孝標(たかすえ)女(むすめ)となっている。

 

まず男ありきなのである。

 

 


「式部」や「少納言」「伊勢」「和泉」などは官職名であり、「枕草子」の清少納言も苗字が清原であったために清と官職の少納言をくっつけただけの名前なのである。ただ、清少納言の少納言は、親族に少納言の官職に就いたものがいないために、何故、少納言となったかは、未だに不明なのであるが。
紫式部に至っては、父が式部省の式部大丞の藤原為時の娘であったために、当初は、藤式部と呼ばれていた。それが、「源氏物語」を執筆したことで、その中の登場人物である「紫の上」の「紫」を採って紫式部と呼ばれるようになったと言われている。
だから、紫式部と世間が呼ぶようになったのは、ずっと後のことなのである。

ここに、話を和泉式部に戻すと、和泉式部は、そこそこ身分のある家の出であり、しっかりとした教育はされてきた女性である。
最初の結婚相手が和泉守橘道貞だったから、和泉守の和泉を、そして父親の官職が式部であったために和泉式部と呼ばれるようになったのである。式部省とは、今の文部科学省のような仕事だったと思われる。

それから、道貞と離婚をして、幾人もの男性と愛を重ねていくのである。

和泉式部にはその道貞との間にできた娘がいた。それが、小式部内侍(こしきぶのないし)である。
母親と同じ、中宮である彰子に出仕したために、母親の名前と区別するために小式部と呼ばれた。
この娘もまた、母親と同じように歌の才はあった。そして、母親と同じように位の高い多くの男性と浮名を流した。
血筋であろうか。

ただ、悲しいことに、小式部内侍は20数才の若さで母親よりも先に逝ってしまったのである。

このときに、母親である和泉式部は、後拾遺和歌集に載っているが、あまりにも哀しい歌を詠んでいる。

「とどめおきて 誰をあはれと 思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり」

※ 娘の小式部は、親である私と自分の子供をこの世に残して死んでいった。娘は、いったい誰を一番不憫に思っているでしょうか。やはり、自分の子供を思う情の方がまさっているでしょう。私自身も自分の子供を思う情の方がまさっていると分かりましたから。

どれほどのショックだったか、娘が死んでからのことは、いつの間にか居なくなったようで、どの文献に目を通してもあまり詳しく出ていない。

その後しばらくして、出家をして、京都中京区の新京極にある「誠心院」の初代住職となって往生したことはわかっているのだが、その没年もわかっていない。戒名は誠心院専意法尼となっている。


ただ、それでも、晩年に詠んだとされる歌が残っている。
それは、あまりにも有名な百人一首の歌である。
「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」

※もうすぐ私は死ぬでしょう。この世での思い出として、今もう一度だけお会いしたいものです。

死の瀬戸際まで、女としての強い魂が泳いでいたのである。
しかし、この歌を誰に贈ったのかは、未だ不明である。

確かに女としての執念はあったが、私には、これが、多くの人が言うような「浮かれ女」とか「男好き」とはやはり違うように思えてならないのである。

それにしても、私は、彼女のどの歌も、当時の女流の詠い手にはない、生身の体当たりを感じてならないのである。
だから、恋歌にしろ、哀傷歌にしろ、生々しく艶かしく思えるのかもしれない。


保田與重郎の「和泉式部私抄」では、「和泉式部の歌は、あの時代に輩出した紫式部、清少納言、赤染衞門、相模などなどの稀代の才女、天才の中にあっても、それらの才女を容易に凌ぎ拔き出るものであった。」とある。


次に続く^^!
和泉式部(4)は、思わせ薬の歌に入っていきたいと・・・・さて、どうなりますことやら^^!
そして、いつになりますことやら^^!!

乞う、ご期待です!



「生身見せ 歌に残した 人生に 艶かしくも 生々しいかな」

「恋渡り 恋上手には 程遠く 世間の噂に 違う絵を見る」
 


おいおい^^和歌
「何思ふ この世のほかの 思い出に もう一度だけ あと一度だけ^^」(おいおい^^)!!

 



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和泉式部(2)

2014年12月26日 | 和歌

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和泉式部(2)


恋多き女、男好きと宮中であれこれ噂され、それに反抗する場面もあったようである。
かつてどの文献だったか忘れたが、そのようなことを書いていた書物を目にしたことがあった。

後拾遺の歌の中に、「ぬれぎぬと 人にはいはん 紫の 根摺りの衣 表着(うはぎ)なりとも」とある。
※あなたが表でなにを言おうとも、どうぞどうぞです。私は、濡れ衣だと堂々というつもりですから

ただ、この歌は自分自身のことではなく、娘がある男にへんな噂を流されそうになって母親として毅然たる態度を歌にしたものであるが、自分自身のこともこの歌に託されているように思えてならないのである。


自分では、恋多き女とは決して思っていなかったのではないだろうか。
逃げて逃げて逃げたこともあった。
それでも、どうしても自分を求めてくれる男が現れたから、その男のために尽くした。という、実に女女(おんなおんな)していたのではないのだろうか。


彼女自身は、運命の男を待ち続けたと言っても過言ではない気がするのである。


確かに愛した男はいた。
だけど、本当にその男は運命の男だったのであろうか。


そのことを思わせるような歌が残っている。
「つれづれと 空ぞ見らるる 思う人 天降(あまくだ)りこん ものならなくに」
※ついぼんやりと空を見てしまう。思う人が天から降りてくることはないのだけど。


師宮(そちのみや)没後に詠んだ哀愁説や恋人がどこかに行って傍にいなくなったことを嘆く説など幾つかの説があるが、私は、架空のいつか天から降りてくる運命の男を待ち望んでいると思うのである。
高木和子氏著の「和泉式部」の中に、私と同じようなことを感じてるところを見つけたときは、なんとも言いようのない嬉しさが込み上げてきて、「やっぱり!」と思わず叫んでしまったことを思い出した。

師宮(そちのみや)のことは追々書いていくつもりである。
おそらく和泉式部が、生涯の中で一番愛した男である。


彼女は、男好きではなく、男をその気にさせる勘違いさせる何かがあったのだろう。
彼女は、贈答歌を得意としていたから、その歌の中に思わせ薬でも入れていたから、男はコロリとなったのかもしれない。

和泉式部は、自分の言葉にそんな強烈な思わせ薬が潜んでいるとは、全く感じていなかったのかもしれない。


私の和泉式部の好きな歌のひとつに、「思はむと 思ひし人と 思ひしに 思ひしかとも 思ほえしかな」がある。

和泉式部が道長の選によって、一条天皇の中宮(中宮=天皇の妻)の彰子(しょうし)に仕えることとなったときにすでに伊勢大輔(たいふ)が仕えていて、妙に気が合って長々と話をしたあとに、和泉式部が贈った歌である。

上の「思はむと・・・」の注釈は
※仲良くなりたいと思える人だなと思っていましたが、実際に会ったら思ったとおりの人でした。
となる。


こんな歌をもらったら、みなさんはどう思うのだろうか?
私なら、もう頭のなかが下心でいっぱいになることは確かである。


すぐに伊勢大輔から返歌が、「君をわれ おもはざりせば 我をきみ 思はむとしも 思はましやは」
※私のほうこそあなたのことを考えていたのです。 そうでなければ、私があなたのことを気にしているとはお気づきにならなかったのではないですか?

伊勢も嬉しくてしょうがなかったはずである。


伊勢大輔が女性だったことが残念ではあるが!
でも、女が女にこんな歌を贈るくらいだから、男にはもっと思わせ薬の入った歌を詠んでいたのではないかと。


彼女の魔性は、きっと彼女自身も知らなかったのではないだろうと思うのである。



と、いうことで次回に続く^^!

次の回に思わせ薬がどんなに強烈であったかを書いてみようと思うが、そうでないかもしれない^^!!

乞う、ご期待ってことで^^!!





「ぼんやりと 空を眺むる その顔に 我は惹かれて 君を眺むる 」

「宵ごとに 君を恋いうる 歌を詠む 酒薄くなる ばかりなりけり 」
 


おいおい^^和歌
「天降(くだ)り 現われし女(ひと) 運命と 酒の席での くどき文句に ^^」(おいおい^^)!!

 




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和泉式部(1)

2014年12月25日 | 和歌

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和泉式部が好きである。
和泉式部の詠んだ多くの歌が好きである。
あの恋多き女性と言われている和泉式部が。

今、再び和泉式部を読み始めた。
私が、30代に読んできた和泉式部
私が、40代に読んできた和泉式部
そして、50代に入って読んできた和泉式部

私は、もしかして世間が決め付けてきた天才歌人の和泉式部の表面しか読んでいなかったのではないかと、50代の後半にしてまた読み出した和泉式部に感じるようになった。

こうして改めて和泉式部の「和泉式部日記」や彼女が詠ったひとつひとつの歌を辿ってみると、彼女の死後から現在に至るまでに作られてきた虚像が見えてきたのである。

ただ、それは私の勘違いなのかもしれない・・・!


だから、このブログはしばらく和泉式部を書いてみようと思う。
どれくらい続くのか、続かないのか全く先が見えないが。


あっ、書くたびに和泉式部ってわけでなくて・・・・
横道には相当入ると思うし、きっと道草ばかり食っているかも^^!
くだらないけど書きたいこと、かなりありそうだし^^!!(おいおい^^)!!


それでも、50代後半で詠んで感じた大好きな和泉式部を期限を区切らないで書き綴っていきたいって思う。
それだけ、私にとって清少納言と並んで魅力的な女性だと!!


さてさて、
藤原道長が、彼女の扇に「浮かれ女の扇」と書き付けたことや、彼女の産んだ子に「親は誰なのか」と面白がっていう宮中の男たちに、和泉式部自身もどこかで楽しんでいたのではないかと思うのである。
いわゆる「言いたい奴には言わせておけ!」と。

そうは言っても、本当でない噂に彼女は悩んでいることも確かだったようだ。

どう確かだったのか!


今回はこれでおしまい^^!(こらこら^^第一回なのにもう終わるんかい!!←by 読者^^)
それでも和泉式部 第二回に続く^^!!




「恋多き 女と言われ 千年の 良しき悪しきに 継がれる和泉」

「風評に 右往左往と する現代(いま)に いずこも同じと 天で笑わん」
 


おいおい^^和歌
「恋ひとつ ただそれだけで 生きていく そんな男に 我はなれない^^」(おいおい^^)!!

 




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百人一首(2)清少納言

2014年12月20日 | 和歌

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藤原定家が撰した百人一首、女流歌人は21人である。
内訳は、天皇1名、内親王1名、女房17名、公卿の母2名である。
女房とは、今の時代の妻を表すものでなく、貴族社会において皇族などに仕える部屋付きの女性のことを呼ぶ。
ただ、炊事洗濯などの雑用は一切しない、今の世で言えば、省庁に入って大臣などの世話をする秘書なのかも知れない。
百人一首などに出てくる女性は、おそらく有閑マダム的な特権階級であったのだろう。
私は、その一人であった清少納言が好きでたまらない。

彼女の随筆「枕草子」は、1000年以上経った今でも彼女の息遣いが聞こえてくるほどである。

私が平安時代に生きていたとするなら、街を歩くなら小野小町、付き合うなら清少納言、妻にするなら赤染衛門、浮気をするなら和泉式部、そして老後は伊勢と歌を詠みながらにしたいと思う。

付き合うなら清少納言、それは何より鼻っ柱が強い。そこが清少納言の魅力なのである。

百人一首の中で、定家は清少納言の歌
「夜をこめて 鳥のそら 音ははかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」
を選んだ。
私はどうしてこの歌を百人一首に定家が撰んだのか、わかる気がする。

この歌は、司馬遷の「史記」の中にある孟嘗君の故事からの応用である。
この故事を知らないものが読んだら、おそらく意味がよくわからない歌なのである。
私も「史記」を読むまでは、表面、そしてこの歌の持つ清少納言の一流さがわからなかった。

当時、漢詩を女性が読んだり書いたりすることは珍しく、清少納言や紫式部はそれが出来ていた。
そのことが、定家の目に留まったのかも知れない。
そしてそれは、定家自身の漢詩の造詣を誇示するために故意に撰んでの自信の表れだったのかもしれない。
あの世で定家に会うことができれば、是非に聞いてみたいと思う。


私が撰者であれば、
「もとめても かかる蓮の 露をおきて 憂き世にまたは かへるものかは」
と「枕草子」にもあるようなものを安易に撰んだかもしれない。

「故事談」、鎌倉時代の初期の説話集に清少納言がでてくる。
「故事談」、どこまで本当のことが言い伝えとなって書かれているのか疑問であるが、かなりおもしろい逸話説話集である。

その中で、晩年の彼女は、荒れ果てた屋敷に住み、昔の面影もなかったらしい。
ある日、天上人の行列で清少納言の屋敷の前を通ったときに、その天上人は「少納言は無下(むげ)にこそ成りにけれ」と言った。
無下とは、みすぼらしく落ちぶれたことを言う。
彼女はそれを聞き漏らさず、その言葉に「駿馬の骨をば買はずやありし」と返した。

これも中国の戦国策の逸話から来ている。
「主人に千金の駿馬を求めて出掛けたものが、死馬の骨を五百金で買ってきた。主人は死馬を買ってきたことに怒り心頭である。」が、その死馬を買った郭隗は平然と「駿馬を求めて、死馬でさえ五百金で買おうとする者の許には生きた駿馬が多く集まってくるだろう。」と答えた。
結果は、郭隗の言うとおりに。

どんなに落ちぶれようと、清少納言は清少納言であってほしい。
何よりも自分自身を買って、自分自身を愛した清少納言、あっぱれである。

剃髪をし、出家したところまでわかっているらしいが、没年は不明である。
だったら清少納言は、まだ生きているのかもしれないと、そんな妄想戯言もまた楽しいものである。


次回は、良妻賢母と言われる赤染衛門とその百人一首に触れてみようと思う。


「殿方に 負けたくないと 意地だけの 清少納言の 息遣いを聞く」

「己(おのれ)才 自分に溺れる 少納言 零落であろうと 我ここにいる」

 


おいおい^^和歌
「清ちゃんと 平安京の 夜を過ごす 枕の相思で 朝までイチャイチャ^^」(おいおい^^)!!

 




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百人一首(1)藤原定家

2014年12月17日 | 和歌

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今回はよく遊んだカルタをまず題材にあげてみようかと。

そのカルタの元になった「歌がるた」である百人一首からちょっとずつ書いていこうと思う。
初っ端は、百人一首と藤原定家(さだいえ)を書いてみる。

百人一首は、この定家が選者となって出来上がったものである。

私は、季節を問わず京都が大好きである。
とにかく、京都は一人で歩きたい。
一人で歩く京都は、私だけの京都になる。
好きな場所に気兼ねすることなく、何時間でも佇んでいられる。
それが、私が一人での京都に固執する理由である。

かと言って、京都の多くを知っているわけではない。
所詮は、観光客に過ぎない。
足を運んでいないところは数多くある。
むしろ、そっちのほうが多いのであろう。

私の性格であろうか。
気に入ったところを、同じところを何度も何度も歩くのである。
そして同じところで佇む。

とりわけ嵯峨野路は私の一番のお気に入りである。

渡月橋から嵯峨嵐山までの土産店がずらりと並ぶ小路で立ち止まっては試食したりする時間も愉快である。
そこからゆっくりと幽雅閑寂の常寂光寺に向かい、そして二尊院に歩く。

二尊院から北東にちょっと歩くと厭離庵(えんりあん)というところがある。
門まで深い竹の林の中を歩いていく。

ここが、藤原定家が、百人一首を撰したところである。
この厭離庵は、今はどうか知らないが、昔は電話か郵送での予約が必要であった。
一度、京都に行ったら是非に立ち寄ってもらいたいところである。

そもそも「百人一首とはなにか」、であるが、定家の子の為家の妻の父が、嵯峨の別荘の障子に和歌の色紙を貼ろうとして、近くに住んでいた藤原定家に選歌を依頼したものである。


今で言えば、金持ちの道楽なのであろうか。
それが、進化に進化を遂げてここまでになった。
宇都宮頼綱もさぞ満足であろう。


定家の歌は、九十七番目である。
定家が選んだのは九十七首だったからである。
選者だけにやはり一番後ろにしたのであろう。
何故、百首になったかと言えば、あと三首増えたのは、息子為家が付け加えたものだからである。

定家は選者でありながら、自選している。

「来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」

どうして定家は、この一首を選んだのだろうか。

この歌は、万葉集にある歌から取ってきた本歌取りである。
おそらく、定家は、選んだ歌人たちに遠慮をして凡作を選んだのではないかと思ったのであるが、定家は、この一首を晩年の自賛歌としても挙げている。

私には、不思議なのである。

もちろん私などの門外漢が、定家のような今も時を超えて燦燦と生き続ける歌人に疑問を呈することなど恥知らずなのかも知れない。

ただ、私は、定家が35歳のときに一人で詠んだとされる「韻歌百二十八首」のほうが面白くて好きである。
29歳のときに詠んだ、花五十首と月の五十首もまた私には嵌る歌集である。

その中でも私の定家の取って置きと言えば、

「雲さえて 峯の初雪 ふりぬれば 有明のほかに 月ぞ残れる」であろう。

そこに定家の描きたい色が見えてくるからだろうか。
何度詠んでも、色の重なりがなんとも言えないのである。

百人一首に選んだものよりも断然優れていると私が言い切るのは、やはり間違いであろうか。
それでも、私は敢えて言い続けるであろう。

これを書きながら、今年は久しぶりにまた厭離庵に行きたくなった。



※参考までに百人一首に興味がある人は、右京区にある時雨殿か上京区にある冷泉家時雨亭文庫に行けば、定家の直筆日記「明月記」などの国宝や重文などを見ることが出来ます。





「定家の 恋の歌詠み 月を見て 若きあの日と 比べて笑う」

「古の 歌がこの世で 色褪せず 千年の時が 昨日と思ふ 」
 


おいおい^^和歌
「歌かるた 好きな歌だけ 覚えてる 知ったかぶりで あとは野となれ^^」(おいおい^^)!!

 




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フランシーヌの場合^^!

2014年12月16日 | 和歌

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昨夜、My Best Collection Fork を聞いていたら、「フランシーヌの場合」が流れた^^!!
私が自分で作ったベストだから流れて当然なのだが^^。(おいおい^^)!


私は、今でもこの歌をよく口ずさむ。
政治的な背景うんぬんよりも、ただ単に、このメロと歌詞が好きなのだ^^。

この歌ができたのは、1969年。
新谷のり子が、昔、歌ってHITした楽曲である。
私は、まだ中学生だった。
だから、この歌の背景に何があるか、まったくわからずに歌っていた^^。

フランシーヌと言う、当時ハイカラな名前に憧れていただけなのかも知れない。

歌が出て、40年と少し。
今でも、私が一番よく口ずさむ歌である。
何かにつまずいたときは、自分の名前をフランシーヌに替えて歌うこともあった^^。


フランシーヌ!
実話を、作詞をいまいずみあきら、作曲を郷伍郎が描いた。

フランシーヌ・ルコントの記事^^


上は、3月30日朝のパリで、フランシーヌ・ルコントという30歳の女性が、焼身自殺をした、という記事である。
この女性は、ベトナム戦争やナイジェリア内戦に心をいため、自殺した時は、ビアフラの飢餓についての切り抜きを持っていたということを書いていた。


今でも、そんな背景を重く感じて口ずさんではいない^^。


下に紹介したYOUTUBEは、新谷のりこが歌っている「フランシーヌの場合」である。
新谷のりこ歌唱「フランシーヌの場合」^^


数人が、このあとカバーを出しているが、私は、北山修の歌に、この歌の真髄が出ていると思っている。
北山修が歌う「フランシーヌの場合」が、私は大好きなのである。
どれくらい聴いたか、わからないほど聴いた^^!!


北山修の歌を聴きながら、新谷のりこの歌と違って3番と4番の間に長い間奏があった。


その間奏に私がどうしても歌詞を描きたくなった。


『思いのすべて云っても 永遠が見えない   
思いのすべて云っても 振り向いてくれない                              三月三十日の日曜日                                        
パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ』と^^!!


いつか私が勝手に作った4番を入れた歌を、北山修に歌ってもらいたいと^^!!!


フランシーヌの場合

1.
フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ

2.
ホントのことを云ったら オリコウになれない
ホントのことを云ったら あまりにも悲しい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ

3.
Francine ne nous reviens plus Pauvre carriere l' enfant perdu                    
Francine s'est abandonee  A la couleur de fraternite
Au petit matin du 30 mars  C'eat dimanche
Une vie s'enflamme pour son eternite  A Paris Francine

4.(珈琲貴族詞)
思いのすべて云っても 永遠が見えない                                思いのすべて云っても 振り向いてくれない                              三月三十日の日曜日                                         パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ

5.
ひとりぼっちの世界に 残された言葉が
ひとりぼっちの世界に いつまでもささやく
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ

6.
フランシーヌの場合は 私にもわかるわ
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ




本当は、こんなことをすると著作権の侵害になるのだろう。


それこそ、

珈琲貴族の場合は あまりにもおばかさん
珈琲貴族の場合は あまりにも軽率

なのである^^!!





「フランシーヌ 意味わからずに 歌ってた 今も変わらず 歌い続ける」

「焼身で 世論に問いた フランシーヌ 果たしてそれが 正しかったかと」
 


おいおい^^和歌
「フランシーヌ フランダースと フラダンス やっぱり私は フラダンスだね^^」(おいおい^^)!!

 




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太宰治を散歩する^^!

2014年12月08日 | 和歌

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先日、三鷹の「みたか(旧 江ぐち)」のラーメンがまた食べたくなったので、三鷹に出向いた。
店が昼休みで閉まっていたので、その辺を歩いてみた。
昔、住んでいた街である。

少し歩いていくと、太宰横丁がある。
太宰治が、よく通った居酒屋があったから名づけられた横丁である。
三鷹に住んでいた5年間、この横丁の飲み屋で何度か飲んだ記憶があるが、決して華やかではない。
そこらへんの街にある昔ながらの殺風景な飲食街とさほど変わらない。
太宰が、通ったという店の名前は忘れたが、今は存在しないと、当時、店の女将から聞いたことがある。

そこをぶらぶらしているうちに、太宰の最期の場所まで久しぶりに歩きたくなった。


太宰の全集は、何度も読んだ。
それは、その時好きだった女性(ひと)が、太宰大好きだったからで、だからといって特別に太宰の作品が好きというわけではない。

太宰の作品は、私には二重人格に見えて仕方なかった。
多重人格なのかも知れない。
読むことが辛くなることも度々あった。

「人間失格」、「津軽」、のような自らを逃げ場のないところに持っていく自虐人格。
かと言えば、「走れメロス」や「ヴィヨンの妻」などの爽快まではいかなくても、読み手に安堵を与える作品もある。
「御伽草子」は、ユーモアに溢れた作品であった。
私は、「これも太宰か!」と思ってしまうような作風に驚いた。
「富岳百景」は、そんな太宰自身が自分の破壊的な性格から抜け出したいがために書いたものであろう。
そこには、まだ太宰が、自分の能力を信じている部分が強く映し出されているように思った。

「斜陽」は、太宰の作品の中では好きな作品であった。

人から尊敬されようと思わぬ人と遊びたい
けれども、そんないい人たちは、僕と遊んではくれやしない。

この一節は、今でもはっきりと覚えている。
痛烈であった。


三鷹の駅から東に玉川上水が流れている。
そこを吉祥寺の井の頭公園に向かって歩いていくと、太宰治が、入水自殺をした場所に着く。
今は、小さな川である。
晴れ続きの日なら、川水の嵩は足首ほどしかない。
本当にこんなところで、愛人山崎富栄と入水をしたのかと思わせるところだ。
当時は、けっこう深かったのであろう。

太宰の死は、愛人が仕組んだ無理心中説や、死ぬつもりはなかった狂言説があるが、遺書が残されていた。
「小説を書くのが嫌になった」と書かれていたそうである。
それは、当時の文壇の人間関係がそうさせたのかも知れない。
太宰の評論の「如是我聞」に、文壇を痛烈に非難していることでも読み取れる。
自由に書き続けていきたい太宰には、文壇という組織が合わなかったのであろう。

太宰の遺体は、愛人と一緒に昭和23年6月19日に川岸に上がった。
死んだのは、それより6月13日である。
遺体が見つかった日は、太宰の誕生日であった。

その日を、「桜桃忌」と呼ぶ。
三鷹の駅から少し離れた南のほうにある禅林寺に眠っている。

今回は、禅林寺まで足を運ばなかったが、ここに住み始めて何度も行ってた。
僕の散歩するときのコースだったから。


太宰が、ここに眠ったのには、理由がある。
「花吹雪」という短編の中にその禅林寺が出てくるのである。
それは、森鴎外が先に眠っていたお寺である。

「花吹雪」の中の一節に

そのすぐ近くの禅林寺に行ってみる。この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓が、こんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓地は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持が萎縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した。私には、そんな資格が無い。立派な口髭を生やしながら、酔漢を相手に敢然と格闘して縁先から墜落したほどの豪傑と、同じ墓地に眠る資格は私に無い。お前なんかは、墓地のえり好みなんて出来る身分ではないのだ。はっきりと、身の程を知らなければならぬ。私はその日、鴎外の端然たる黒い墓碑をちらと横目で見ただけで、あわてて帰宅したのである。

とある。

太宰の妻である津島美知子が、夫のこの「花吹雪」を汲んで、森鴎外の斜めに墓を作ったのだ。
太宰は私小説作家である。この妻は、その太宰作品の中によく登場していた。

そんな太宰を、三島由紀夫は、生涯嫌い続けた。
三島の作品の中の「小説家の休暇」には、

太宰が持っていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術は煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。

と書かれている。

その太宰嫌いの三島に、大藪春彦から「御伽草子」を否定しろと言われたとき、三島は、一言も言い返すことができなかったという逸話を読んだときには、大笑いをしてしまった^^。
それでも、最後の最後まで三島は、太宰が嫌いでたまらなかったらしい。

皮肉なことに、私の本棚には、太宰治全集の隣に三島由紀夫全集がある^^。

三島もある種の病気であったが、私は、三島文学の方を愛して止まない。
それでも、やはり太宰治は、好きではないが、私にはいつも気になっている小説家の一人である。

そんなことを考えながら、そろそろ開くであろう「みたか」に向かった^^。




「筆折って 何を思うて 入水(じゅすい)した 「道化の華」のよな 道化を望むや」

「世の中を 斜(はす)に見るから 陽(はる)が来ぬ 孤独の中に 何を求めん」
 


おいおい^^和歌
「常にエロ 太宰と飲んだら 言われそう お前のほうが 人間失格^^」(おいおい^^)!!

 




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月シリーズ、作詞3作掲載^^!

2014年12月04日 | 和歌

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私は、月の始めに私が登録をしている音楽サイトMUSIC TRACKのアバターを替える。
そして、そこには必ず月の名前を入れる。

その多くが、私自身が作った月の名前である。
今月は、「雪時雨月(ゆきしぐれづき)」とした。

先月は、年の初めということで、「夢架月(はばたきづき)」と作った^^。
こじつけもいいところだ^^!!

一般には「如月(きさらぎ)」という。
これを、「衣更着」と書くこともある。「更に衣を着る」と2月の寒さに合わせた漢字を当てたのであろう。
実に的を得ている。

でも私なら、「妓更来」にするかも~~^^!(おいおい^^)
だって、芸妓がさらに私の周りに来て集まるって^^!!(こらこら^^)


月が、星よりも好きである。
月を見ていると、そのままずっと見入ってしまうこともよくあった。
別に、ロマンチストでもセンチメンタルでもない。
ただ、月が好きなのである。

作詞も「月」を幾つも描いてきた。
自分で勝手に「月シリーズ」と名づけて^^!

幾つかはすでに歌になっている。

傾月(けいげつ)
笑月(しょうげつ)
詠月(うたげつ)
などが歌になった。

ほかには、
枯月(からげつ)
綾月(あやづき)
姫月(ひめつき)
問月(といづき)
砂月(すなづき)
絵空月(えそらづき)
詩月(うたづき)
異床月(いしょうつき)
眠月(みんげつ)

とまだまだ続く^^。

いったい、幾つ描いたのだろう^^。
完成しているものもあれば、推敲をしていない荒い作品もある。

月を描いているときは、何故か嬉しくて仕方がない^^。
一番どれが好きと聞かれてもなかなか難しいが、「傾月」、そしてまだ楽曲化されてないが、推敲前の「枯月」と「眠月」、「姫月」になるのかもしれない^^!!

その推敲前の作詞を、今日は載せようと思う。
「枯月」、「眠月」、「姫月」である。


「枯月(からげつ)」
1.
女 枯らして 泣く夜は
喉を 嗄(か)らして 歌唄う
知らん顔して 沈む月
私は朝まで唄ってた

届くわけない 涙声
ソラで覚えた この唄は
あなたが作った 「わたし唄」

別れの歌詞に 言葉が詰まる
「お前を唄った歌じゃない」
あのとき あなたは そう言った

私の歌になるなんて
今の私になるなんて
誰も知らないそんなこと
知っていたのは お月様

2.
明日 枯らして ぼんやりと
心 涸(か)らして 夢唄う
知らん顔して 眠る月
私は昨日のままでいる

演歌でないのに 掠れ声
ソラで覚えた この唄が
私に唄える ひとつ歌

二番の歌詞に 言葉が出ない
「お前に唄わす歌じゃない」
あのとき あなたは 笑ってた

私の歌になるなんて
今の私になるなんて
誰も知らないそんなこと
知っていたのは お月様
知っていたのは お月様


「眠月」
1.
「もう 死にたい」と 本気で泣いた
貴方に壊(こわ)され
貴方に捨てられ
行き場を無くし
橋の欄干(らんかん) 座ってた

きっと いつかは馬鹿話し
きっと どこかで痴話話し

こんなときなら 川面(かわも)に月が
独りと 女と 上弦の
舞台が揃えば 飛び込むはずが
運がないとは トコトンで
月も出ないし 川底見えて
「そこで 止まれ」と言われたみたい

「ゆっくり休め」とお月さん
眠月 眠月 
「私も眠る だからお前もお帰り」と
暗い夜空に聞こえたの

2.
「また 逢いたい」と こころが呻(うめ)く
貴方を恨めず
貴方を憎めず
コブシを握り
橋の欄干(らんかん) 叩いてた

いつに 話せる馬鹿話し
どこで 話せる痴話話し

どうにもならず 川面(かわも)に靴(くつ)を
ポイと 蹴り上げ 弧を描かす
想いと一緒に 流れるはずが
艶(いろ)も失くして なにもかも 
泥にまみれて その場で沈む
「ここで 終わり」と言われたみたい

「ゆっくり休め」とお月さん
眠月 眠月
 「私も眠る だから裸足でお帰り」と
暗い夜空に聞こえたの

「ゆっくり休め」とお月さん
眠月 眠月
 「私も明日 だから今日はお帰り」と
暗い夜空に聞こえたの


「姫月(ひめづき)」
1.
鏡に写した蒼衣装
十五夜 姫月 伽具夜色(かぐやいろ)
久しぶりなの この紅(べに)も
引いて 貴方に見せましょか

今宵の月は満ちる前
待ち宵月と人は言う
十(とう)と四日(よっか)の小望夜(こもちよる)
恋しい想いの おんな月

姫月 姫月 伽具夜色
ひとりぼっちが寂しくて
貴方(ひとり)に 貴方(ひとり)に 抱かれたい


2.
涙を隠した月化粧
姫月 姫月 伽具夜色
微笑みひとつ 無理をして
泣いて ホントを見せましょか

左の端が欠けた月
待ち宵月と人は言う
明日(あす)は満月(みちづき) 望み月
愛しい限りの おんな月

姫月 姫月 伽具夜色
枕に落ちる悲しさに
貴方(あなた)に 貴方(あなた)に 抱かれたい

姫月 姫月 伽具夜色
爪の先まで暖めて
貴方(ひとり)に 貴方(ひとり)に 抱かれたい


月シリーズ、まだまだ描いていきたいと思ってならないのである^^!



「満ち欠けの 蒼い光の その中に 絵を描きながら 文字を作らむ」

「上弦の 月に座りて 詩を描く 揺りかごの中 子守歌かな」 

 

おいおい^^和歌
「満月に 変身するは バンパイヤ 私好きなの おっぱいぱいや^^」(おいおい^^)!!

 




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描くことを空海から教わった^^!

2014年11月28日 | 和歌

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昨日、おいおい^^和歌で、あの弘法大師空海を皮肉って書いた。

ちょっと反省の意味もあって、その空海のことを書こうと思う。
若い頃、空海の密教について、ずっと勉強していた時期があった。
昨年、その空海をまた読みたくなって、違う方向で、空海に関する本を読み漁った^^。
やはり、当時と一緒で、ほとんどが難しくて、私の理解力が成長していないことを知った^^!
そして、改めて自分自身の凡人ぶりを痛いほど味わった^^!

当時、空海の書を読んではっきりと覚えていることがある。
空海が、文章を書くということをどのように思っていたかについてだ^^。

空海の書物の中に「文鏡秘府論」というものがあった。
実際これは、著作ではなく、編集者と言うべきかも知れない。
中国の六朝の時代から唐王朝に至る詩の理論をまとめたものを、空海が完成させたものである。

「文筆眼心抄」は、それを要約したもので、これは空海の著である。

その「文鏡秘府論」の中で、空海は、思い切り主観を混ぜて語っているが、その一言一言が私にとって実に的確なのである!

「書くとはこういうものなのか」と興味深く、読んだ記憶がある。
そしてそれは、今も私のどこかに「書く」ということの根本になっている。


まず、序は、
「然らば則ち一は名の始めと為し、文は則ち教の源である。」
…「一」が言葉の始まりとすれば、「文」は教えの始まりである。…

(ほうほう^^そっかそっか^^!)
私の最初の感想であった。


そして、
「詩は志に本づくものなり。心に在るを志と為し、言に発するを詩と為す。」
…詩は「こころざし」そのものである。心の中に存在するものを「志」といい、言葉の外に表現されたものを「詩」という。…

(なるほど!これは、なるへそソラシド~~だ^^!)
と、空海に拍手を送った^^!


「若しくは也た情清煩労し、事由寂寞として、強いて自ら催逼すれば、徒に辛苦を成す。・・・略・・・止だに作文の至術のみあらず、抑も亦た養生の大方なるのみ。」
…もしも考えに疲れて文章が書けないならば、強引に書こうとしても辛いだけだ。そんなときは心が澄んでくるのを待ってからペンを持ちなさい。また、創作意欲が沸くはずである。これは、単に文を書くことだけでなく、人生にも通じることなのである。…

(うんうん^^!もっともだけど、空海が言うと重みがあるよね^^!)
と、読みながら気が楽になった^^!


「古語及び今の爛字旧字を用いる莫れ、他の旧語を改めて、頭を移して尾を換う。此の如きの人は、終に長進むせず。」
…書くとしたならば、古い言葉や流行の言葉を安易に使うな。他人が使い古した言葉を使うことは、人の後ろについていくと言うことである。それでは、最後まで成長はしない。…

(いいこと言うじゃん^^!空海さん^^!)
と、またもや拍手を送った^^!


「詩に意好く言真にして、今に光き古えに絶れたるも有れば、則ち須く之を紙に書くべし」
…作品が素晴らしく言葉が真であって、古今を通じて優れた文章は必ずその場で書き写しなさい。…

(そっか、それじゃ、これをすぐに書き写さないと!)
と、ペンを取って書き写し始めた^^!


まだまだあるが、めっちゃ長くなりそうなので最後に^^!

「凡そ詩は意を立つるに、皆な傑起険作して、傍らに人が無きが若くて、須く怖懼すべからず。」
…詩を書くときは、奇想天外大胆な発想で、人の目を気にせずに恐れずに書きなさい。…

(よし~~これだ!!!奇想天外~~!トイレは店外~~!!)
と、気合が入った^^!


私の描くという思いは、空海の「文鏡秘府論」から始まったのかも知れない。(おいおい^^ほんまかいな^^)!!




「描(か)くことに ひとつの教え 教授され 肩の力が 少し緩まる」

「空海を 知れば知るほど 奥を見る 理解を超えて ただ呆然となる」
 


おいおい^^和歌
「弘法は 筆を誤る ことがあり 私は道を 誤るばかり^^」(おいおい^^)!!

 




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