ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
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LIPAとリバプール大聖堂と夏の終わり

2018年09月30日 | いいことも起きるにきまってる旅行記

夏が終わり、 9月も終わりになろうかとしているので、そろそろイギリス旅行記も手じまいです。
手じまいはリバプールを再び。
(リバプールの後に訪れた湖水地方のことはまた後日。)

リバプールへやって来た!
マジカル ”ミラクル” ツアー

マジカル“ ミラクル” ツアー 後編

”残りの人生をどこで過ごそうと、リバプールでの日々はいつも君と共にある。(移動祝祭日 ~ La Mer )"

IN LIVERPOOL" BY PAUL McCARTNEY 

港町リバプールの朝、宿泊したA Hard day's Night hotel辺りまでもカモメが行き交っていた。

A Hard day's Night hotelのレストラン、Blakes。

此処に限らず、イギリスでの朝食はいつもこれがあった。
ケチャップ煮のような大豆、焼きトマト、
薄めのトースト、カリカリに焼いたベーコン。

壁に架かっているのはサージェント・ペパーズのジャケットに登場する50人を超えるという人物の写真だった。

ホテルからピア・ヘッドのあるマージ―河方面へと歩いていくと、
かつてリバプール城があったという場所にヴィクトリア女王像がある。

 

ロイヤル・ライバー・ビルディングと朝陽。
ライバーバードのことは前に書いたが、(リバプールへやって来た!)
朝陽の写真に写っているのは雌雄2匹のうち、雄のライバーバード。

雌は港の方を向いて船員の安全を見守り、雄は街の方を向いて市民の平和を見守っていると云う。
(間を取り持つように架かる月。)

( ↓ )マージー・ドック。ピアヘッドとアルバート・ドックの名前はあちこちで見るが、マージー・ドックというのは見ない。

( ↓ )マージ―河のフェリーボートに届かず。

( ↓ )朝はピアヘッドにあるビートルズ像に届かず。これは後姿だ。

Paul McCartney & Others Ferry Cross the Mersey 1989

届いた!

ピアヘッドにある産業革命の反映を物語ったような美しい3つの建物
(左からロイヤル・ライバー・ビルディング、キューナードビルディング、リバプール港ビルディング(ドックビルディング))
をスリーグレース(三女神)という。

リバプール博物館。

マージ―河が流れ込む先は大西洋ではなく、アイリッシュ海だ。
今となっては、この後お世話になったアイリッシュ海に面したホーリーヘッドへと、
繋がっているように見える。
(【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】ホーリーヘッドの試練)

( ↓ ) 港湾都市リバプールの面影が濃く残るアルバートドック。

 

アルバートドックの一角にある博物館”ビートルズ・ストーリー”。

アスコットには行けなかったが、”ビートルズ・ストーリー”にイマジンの展示があった。
(ロンドン郊外のアスコット、ケンウッド)

ルイス・デパート。
ポールはリバプール・インスティテュート中退後、ここで短期間配送の助手をやっていたというし、

ビートルズはキャバーン・クラブ時代にここの最上階で演奏したという。
ビートルズのマネージャーだったエプスタインの助手ピーター ブラウンはここのレコード売り場の責任者だったという。
地元ならではのエピソードの数々だ。

意味不明な像があった。

ひひーん。

 

ここから、
順不同で先に記事化した、パブ「Philharmonic Dining Rooms」で夕食を採るまで、
【2018年夏 ビートルズ巡礼の旅】半世紀後のアビイロードへ。)
ホープストリート方面へと長い散策。

帰国してから藤本国彦氏の本が発売されていた。(2018年8月15日 初版発行)
下はこの本に掲載されている地図。
これが旅のお伴にあったら、どんなにか分かり易かっただろう。
一方でこれを手にしていたら、ロンドン郊外では「トゥィッケナムの奇跡」は起きず、
フライヤーパーク(Friar Park) 」に足が向いたような気がする。

(右はロンドン編のみが発売されていた今回の旅のお伴。
ロンドンに限っていえば、分かり易さは兎も角、情報量は”歩き方”の方が多いように思う。
しかし、プレジデント・ホテルの前で一所懸命写真を撮ったが、”ここで生まれた”にあるように
あれはリージェントStのBBCパリス・スタジオ前が正解だったようだ。)

 

住宅街を歩いていると、庭がよく手入れされていてとても綺麗。
イギリスの気候に合っているのでしょう、
ここかしこで見かけたブッドレア。

紫陽花という呼称も綺麗なハイドランジア。

 リバプール大聖堂も見えてきました。

 

ポールが1995年から96年にかけて設立したLIPA(リバプール・インスティチュート・フォー・パフォーミング・アーツ)。
LIPAはポールとジョージが通った
リバプール・インスティチュート・ハイスクール・フォー・ボーイズの校舎を有効活用している。
私たちが訪れたのは7月8日だったが、
ポールは、7月25日に
ここで学生たちと語り合うQ&Aセッションを行なった。

LIPAをリバプール大聖堂側からホープ・ストリート側に抜けた所。
どちらが正門なのか分からない程に立派な門構え。

ジョン レノンが通ったリバプール・カレッジ・オブ・アートはLIPAの隣にある。、

( ↓ )ホープ・ストリートからマージ―河~リバプール市街中心部方向を見下ろす。

リバプール・カレッジ・オブ・アートの前に風変わりなオブジェがあった。
藤本氏の本によれば、「A CASE HISTORY」というオブジェで、
ギターのオブジェには"Sir Paul McCartney"と書かれている。
気づかなかったが、横になっているギターがそうだ。

  

 

 

ポール初のクラシック曲「リバプール・オラトリオ」が初演されたリバプール大聖堂教会。
~Ecce Cor Meum(エッチェ・コール・メウム。邦題「心の翼」)は「我が心を見よ」という意味のラテン語)もここで演奏された。
1900年代初頭に建築が始まり、完成したのは1978年というから、完成に要した期間の長さもさることながら、
建築された年代の新しいことに驚く。
(古代からそびえ立っているような威厳があるから。)

高さ101mのゴシック建築の大寺院で、ヨーロッパ最大級のアングリカン(英国国教会)大聖堂。
ペニーレイン傍にあるセント・バルナバス教会の聖歌隊のメンバーだったポールだが、
11歳の時に、ここの聖歌隊のオーディションには落ちたらしい。



リバプール・オラトリオ

Ecce Cor Meum/MccartneyとKate Royal

  

一見明るいですが、サマータイムのせい。
最終入場時刻の16時30分をとうに過ぎていた。

 

1991 McCartney Liverpool Oratorio Part 13/13

 

 

夏の終わり。

9月21日(金)の晩は立ち飲み屋(焼き鳥屋の串吟)で飲んでる最中に倒れて、
生まれて初めて救急車で御茶ノ水の病院に搬送された。
車中で血圧が60台にまで下がって、みるみる顔が白くなったらしい。
たぶんアルコールの降圧作用とアバスチン副作用の高血圧を抑える降圧剤の組合せなどで自立神経が混乱したのだと思う。
ミイラの祝福などではなく、やはり祟りだったのでしょうか。
あの記事が倒れた時の最新記事でもあったので、せっせと更新。
エジプトステーション的大英博物館 ~ ミイラの祝福

搬送先で血圧が正常に戻ってから、ピカードさんにタクシーで家まで送り届けて頂きました。

m(_ _)m

台風24号が来て日本女子オープンゴルフ選手権観戦予定が中止になった今日は9月最終日。
イギリスフィーバーの夏を終えて、秋へと。

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