ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

浩宮と美智子さま

2019-05-24 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

ラストです。

 昭和35年10月、訪米を終え、生後8ヶ月の浩宮を抱く美智子妃。

皇太子が何となく及び腰になているような気がして。

「ちゃんとナルちゃん憲法は守ってくれたのかしら」


 昭和37年11月、フィリピンへ出発する皇太子夫妻。美智子妃はどこを向いているのか。

変な場所にブローチをお付けになって。浩宮のロンパースはベルベッド?

 

昭和37年11月、フィリピンから帰国。浩宮のお出迎え。

こうしてみると、美智子妃にとって浩宮は特別だったんだろうなと思います。

 

 昭和39年8月、軽井沢で静養。

おたたさまとお揃いなの。


 昭和39年10月、学習院幼稚園の芋ほり遠足。芋ほりするには綺麗すぎる服ですが。

見事な盛り髪ですよね。これぞ「息子を愛する母の姿」そのもの。

 

 昭和39年12月。タイへ出発する皇太子妃。

 

 

 昭和40年8月、軽井沢にて静養。懐妊中の皇太子妃。アンニュイな雰囲気。両手に花で私が主役です。


 昭和41年3月、氷川丸を見学。これって主役は浩宮だと思うのですが、常に美智子妃が真ん中でポーズとっているんですよね。髪型も若々しく、独身風に。夫と息子はお付き添い。

 

 

昭和42年6月、日英サッカー試合を鑑賞。浩宮とのこんな写真は一杯。でも礼宮のはあまり。

何ででしょうね。

 

昭和42年10月、東京・日本武道館で行われた国際親善剣道大会にて。

まさに華やかで美しい「母」の皇太子妃。服より盛り髪の飾りの方がすごすぎて。

しかも、斜めの「この角度から撮影してね」感満載です。真後ろから見たらネフェルティティのような感じなんでしょうね。

 

 


コメント (14)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 頑張った!?雅子皇后陛下 ... | トップ | 皇室ウイークリー »
最新の画像もっと見る

14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (とまと)
2019-05-24 07:57:24
お美し過ぎるミチコサマが、圧巻でした。
( ̄∀ ̄)
若かりしミチコサマ、
紀子様や雅子サマには無い、華やかさがあったのですね。。

でも、こんなに綺麗だった人が…

高齢になって、
一本眉、
爬虫類みたいな顔になったのか…
理解出来ずにいます。


記事をありがとうございました。
Unknown (ころろ)
2019-05-24 08:46:34
私の母親は美智子さまとほぼ同じ年齢ですが、
昭和のこの頃の時代に皇室とはいえかなり力の入った身なりをされてらっしゃいますね。
本当にモデルさんのよう。
常に三歩下がって・・・のような考えは終わり、たくさんの衣装をお持ちになって対等に歩く。
個人的には皇室は清楚で品よく、品格を持ってと期待していましたがこのお写真等からは感じられませんね。
Unknown (おむれつ)
2019-05-24 09:14:52
若い頃のお写真みてたらメーガンマークル思い出しました。自意識過剰なところが似てますね。
不思議です (happysadkei)
2019-05-24 09:20:47
上でも書かれている方がおられますが、本当に本当に不思議なんです。
これだけ美しかった(今振り返って見ると、冷酷な表情に背中がゾワっとしますが)方が、何故、般若顔に。
人は生きてきたように死んでいくと言われていますが、やはり晩年の顔つきはこれまで生きてきた道のりを現してますよね。
多分、境界性人格障害、自己愛性人格障害をお持ちでしょうから、仕方がないのでしょうか?
境界性人格障害の女性には、不思議とそれに魅かれる大人しい自己主張が苦手な男性が登場し、僕が守ってやらなければ!と張り切り、周囲の反対を押し切り、パートナーになり苦労する人が多いです。
上皇ご夫婦もその関係なんでしょうね。
秋篠宮家の誹謗中傷の報道には、未だに宮内庁から正式の抗議もないのに、上皇様が安倍首相を座ったまま見送ったとかいうフェイクニュースにはすぐ様抗議する宮内庁にはほとほと呆れて物が言えません。
Unknown (ゆうこ)
2019-05-24 09:34:48
あづかれる 宝にも似て あるときは
吾子ながらかひな 畏れつつ抱く

のミテコ様。浩宮様は特別なんでした
Unknown (はらちゃん)
2019-05-24 10:49:01
美智子妃にとって浩宮は特別。
その通りですねー
1959年4月のご成婚で、翌1960年2月に早々と皇位継承者をお産みになった。
いとも簡単に皇太子妃の最たる務めを果たし得た美智子妃ですが、それによって地位および発言力が確固たるに至ったことを思えば、ナルちゃんあってこその思いはひとしおかと。
しかも香淳様や高松宮妃秩父宮妃に対し優越感に浸るには、充分な存在です。

その大事な大事なナルちゃんに比べれば、礼宮様は臣下の扱いにみえます。(今もです)
この頃は礼宮様が天皇になるとは夢にも考えておらず、プライベートでもそういう育て方をされたのは当然かもしれませんが、兄は天皇、弟は臣下の扱いをされれば、秋篠宮様が現在に至るまで遠慮しているのは必然的な結果です。


盛り髪は、、当時の流行でしたからとやかく言うつもりはありませんが、いかんせん全体的にセンスがないかな〜
帽子も服装も現在よりは全然マシですが、やけに若作りしたり少女趣味だったりなんてのもあり、陛下よりお姉さんに見えるのを気にしていたのかな〜なんて(笑)
デザイナーがいるんだからって仰っる方がいますが、我を通す美智子様ですから(結婚後すぐの輪っかのドレスや今のガンダムスーツがいい例)。
何にしても拘りが強過ぎでいらっしゃいますね。

あまり上品そうではありませんでしたが、それは仕方ないでしょう。それでも若い頃はお綺麗でした。
Unknown (ドンキ)
2019-05-24 11:12:12
低開発国時代の写真を見るようなーーー

ふぶき様、今まで多くの写真を有難う御座いました。
今に続く、又、雅子様に続く、日本古来の数々の麗しき伝統を、
自分たちに都合が良いように、改革の美名の元に、
役人や御用達マスコミを使って、破壊を断行されてこられたのですね。

最後の仕上げで? 行く行くはスライドされて、
新たな? 法王様のーーー何とお呼びすれば良いのでしょうか?

日本国民の多くは、もはやかの北の国のメンタリティーでは無いと思われますので
いつまでも老害を、老醜を晒さないで頂きたいものです。
Unknown (べいびー)
2019-05-24 13:11:34
そりゃーもお、スパーっとお世継ぎ男子をお産みになったのですから、周囲は何も言えません。
跡継ぎの長男以外は冷や飯食い、部屋住みと言われて一段低く見られた遺風が、さして財産もない庶民階級ですらまだ色濃く残って居た時代ですもの。
昭和60年ころ、子供を産めないことが解って、跡継ぎに産まれたばかりの甥を養子に迎えた女性がべいびーの母を訪ねて来て、「子供を産んだことがそんなに偉いか!男を産んだことがそんなに偉いか!」と泣いていた姿が忘れられませーん。よっぽどいじめられていたんでしょーね。
庶民階級にまで広まった直系男子主義の陰で泣いた女性も(男性も?)多かったのではないかと思いますー。
なんでー、万世一系に「なんだかんだ言っても男ばっかりで続いたってすごいじゃん!」以外の意味も見出したいべいびーでーす。ま、べいびーは弱いと言われるものの見つけちゃったけれどね。
浩宮様が将来の天皇としてどれだけほーちゃかほーちゃかされていたかを知っているべいびーは、悠仁様の扱われかたがやけに粗末だなーって思われてならないのですよねー。

>浩宮とのこんな写真は一杯。でも礼宮のはあまり。
>何ででしょうね。

はーい!浩宮様は長男で跡継ぎ、礼宮様は次男だからでーす。
庶民の家でも遺風を重んずる家では当主と長男には夕食に一品余計に付くのは当たり前だったし、客人を当主が長男だけを伴って持てなすのも当たり前でしたー。


べいびーは子供のころから美智子様にはどことなく自然じゃ無い感をずーっと感じていたけれど、お綺麗だったことは否定できませんねー。
でも、結局、絶頂期のお綺麗な姿のままで、このシリーズも終わってしまうのねー。
美女が安達ヶ原の鬼婆に変る瞬間が見たかったなー。
ご優秀ではなさそうな (いっちょかみ)
2019-05-24 13:46:47
ふぶきさん、お写真たくさん明快な解説つきの記事、楽しく拝読しました。
美智子さんと徳仁氏の関係は、お小さい頃から、他のお子さま方とは明らかに接し方や扱い方の違う点は、特筆すべきですね。
美智子さんの、なるちゃんだけはトクベツよ!の表現のくどさは、今の、愛子テンノーはダメですか?の、布石をみるようで、現在に繋がってくる真実が、そこに隠されているように思います。
なるちゃんは男子ですし、テンノーになるのにごゆっくりでも問題はない、血筋ありきなのだから。
まあ、夫人がああでも百歩譲って、早く終わるのを祈るくらいしかできません。
ただ、あいちゃんテンノーは、あり得ません。
今の、秋篠宮ご一家貶めはみえすいたプロパガンダですね。
般若顔 (いもこ)
2019-05-24 14:59:18
美女が般若になってしまったのではなく、
もともと般若が、美女に化けていたのではないでしょうか。
監禁されていたわけでもなく、実家にもよく帰っていたそうですし、
自由にいろいろな人を呼んだり訪問したり、電話もある時代です。

富美さんとどういう会話をしていたのか、
日々、GHQ、或いは修道女や神父たちカトリックの面々、
その他、入内に尽力した人脈と(朝日の記者とも昵懇でしたね)色々作戦を練っていたのかも。
もともと般若が、整形もして美女に化けていただけと思っています。

これからもまだまだミテミテをやる気で、うんざりします。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本人なら絶対に知っておきたい皇室」カテゴリの最新記事