1993年6月25日 長野県の老人ホームにて
「とても表情ゆたかななまずさん」(BY紀子妃)
1993年6月19日 映画「REX」鑑賞
1993年6月26日 群馬県の火山博物館新装落成式
1993年6月 新潟県佐渡市訪問
1993年7月8日 東京サミットで各首脳を招いての雅楽鑑賞会
宮中晩さん会
女性自身1993年7月23日号
「はじめてのご一緒の旅行で素晴らしい思い出を・愛らしい紀子様から殿下の愛に包まれて・眞子さまスクスク水遊びとおままごとが好き
1993年7月 トヨタ博物館訪問
1993年7月16日 信州博覧会開会式
1993年7月26日~30日 全国スポーツ少年団大会
1993年7月29日 大分県訪問
1993年8月 全国高校生・大学生による手話スピーチコンテスト
1993年8月20日軽井沢静養
有名なマーク君とのふれあい
眞子さま :犬さーん
マークがとびついてほっぺにキス
眞子さま:こわいーー
紀子様:お友達になりたかったのね
多分に飼い主は青ざめた瞬間だったと思いますが、紀子様のお言葉でその場が和やかに。
1993年8月30日 紀宮さまご旅行の見送り。寂しくてないてしまった眞子さま
例えば、愛子内親王が外遊すると、皇嗣家もお見送りしないといけないんでしょうかね・・・・それともこの時は、いかに秋篠宮家と紀宮さまの仲の良さを引き立てた場面ということでしょうか。
1993年9月3日 ヨーロッパ訪問をする両陛下をお見送り
こうやって見ると、毎月何回も公務をまじめに勤められていた紀子さま、静養しか脳がなかったエム子さまの違いが手に取るようにわかりますね。
特にサミットの晩餐会で、気合いの入ったドレスで出席したものの、周りから浮いているのが如実ですね。外交官時代はお父さんの影に隠れてなんとか凌いでいたものの、皇室では通用しなかったというか、お父さんより頼りない夫で、あてにならなかったのでしょう。
仮病を理由に公務をサボる気持ちもわかる気がしますが、そうならせめて子作りくらい頑張るべきでしたね。
懐かしいお写真をありがとうございます。
こうして拝見する度に、お若い頃から真摯にご公務に励まれる秋篠宮様紀子様に頭が下がります。
今の皇嗣殿下ご一家の素晴らしいお振舞いが、どこで培われたものかは一目瞭然です。
幼い眞子さまのお可愛いこと。 拝見していると思わず口元が綻んでしまう映像ばかりです。
香淳様にお似ましだと、よく祖母が言っておりましたが、本当に表情豊かでいらして、愛子様との差がわかります。
そして、いや~久しぶりですわ。
雅子様の東京サミットの「ゼニゴケドレス」。
週刊誌がエレガントの極みとか絶賛していましたが、目立ったのはゴテゴテしたドレスと、一人でモタモタ歩き回るだけのなんちゃって外交。
シンプルなドレスを装い、要人相手に外国語を流暢に操る紀子様のたおやかさが、皆に認識されましたっけね。
縁起が悪いとでも思ったのか、「ゼニゴケドレス」はあれ以後見かけませんが、美智子様のドレスに負けないと、雅子様ファンがいうのだからさぞお高かったでしょう。
是非、愛子様がこ公務を始められたら、秋篠宮様ご一家の皆様のように、リフォームしてお召しになって頂きたいものです。
美智子様はヒステリー性失声症罹患者
雅子様は適応障害罹患者
ということで、マスコミも恐る恐るな対応。
でもきっと紀子妃なら、どんなにたたいても大丈夫と。
飯の種だからたたかせてもらいまっす。みたいな。
でも。
強い方ほど、折れたときにはもう、元には戻れない、あるいは非常に戻るのは困難となる。
だから紀子様。
お強くなる必要はありません。
いっそ、(演技的にでも)一度お倒れになってみせるほうがいいんじゃないかとさえ、私は思っています。
和かな笑顔に、ときおり憂いの色が表れるようになったのは、この頃からでしょうか…。
その笑顔はいまもお変わりありませんが、、長く批判と中傷の嵐にお耐えになっていらっしゃいます。
お労しくて仕方ありません。
殿下も最近は、かなりおやつれのご様子。心配です。
今回のものは伏し目がちのものが載せられてますけど、ふぶき様のご配慮でしょうか。
自分の結婚の宴で、招待客を会話でもてなしてくれてる義妹に感謝こそすれ、メンチ切ったような目で見据えるなんて。
雅子さん、この頃から、なかなかの根性でしたよね。