日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

Giovanni先生の「サルデーニャ講座」に行ってきました(2020.3.7)@高円寺ピアッツアイタリア

2020年10月09日 | サルデーニャ・シチリア

Giovanni先生の「サルデーニャ講座」に行ってきました(2020.3.7)@高円寺ピアッツアイタリア


久々にお会いしましたGiovanni Pilliarvu先生!! サルデーニャ講座は盛況で 私はこのために前回のリポートを読み返して準備しました ^^) _旦~~

Giovanni先生は日本サルデーニャ協会会長でもいらして 今までにも様々な協会(通称: Isola)のサルデーニャイベントでもご一緒させていただきましたっけ...

Sardegna al centro del Mediterraneo  地中海の中心のサルデーニャ


サルデーニャはちょうど四国くらいの大きさで ざっと言えばコルシカ島の下です(笑) 人口は167万と少なく自然が豊か

国旗は クアトロ・モーリ (Quattro mori/4人のムーア人)」)の旗です 4つの顔は北アフリカ出身の祖先の顔を表しており 前は右向きではなく左向きで目隠しをしていたそうです

サルデーニャ語はラテン語から来ています サルデーニャ語の方言の地図を示しながら 北はコルシカ語(lingua corsa) 南はサルデーニャ語(lingua sarda)各種 そして北西のアルゲーロ(Alghero)はカタルーニャ語(Catalano)  南西の小島はリグーリア語(Ligure)...これはジェノヴァから流刑者が流れたためとのこと
 
「イタリア全土で公用語とされているのはイタリア語だが、サルデーニャではサルデーニャ語(Sardu)が広く使われている。サルデーニャ語はイタリア語の方言(言語変種)ではなく、ラテン語を起源とするロマンス語に属する言語である」(Wikipedia)

テレビの普及により全サルデーニャ人がイタリア語を話せるようになったとのこと
若い世代の先生ご自身は サルデーニャ語は話せないが 聞いてわかるそうです
  
サルデーニャ語にはイタリア語にはない X (ジ) Su Nuraxi (ス ヌラージ)という文字がありこれはフェニキア語から来ています
THARROS のH もフェニキア語からですって 

        *       *       *

まずはサルデーニャの歴史から:

 
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  いただいた資料 年表 言語分布地図 行政区地図

Popolazioni nuraghiche 1500 a.C.~  ヌラーゲ人 紀元前1500年~

サルデーニャ人の起源はさまざまありますが ヌラーゲ人は紀元前1500年頃からいて 紀元前238年に ポエニ戦争終結のあと ヌラーゲ文明は途絶えたそうです

「新石器時代からローマ帝国の時代にかけて、ヌラーゲ(Nuraghe)人が上陸し、生活しはじめた。この謎に満ちた民族は、紀元前20世紀頃、東地中海からやって来たものと推測されている。」(Wikipedia)

そのヌラーゲ時代のDomus de janas について説明してくださいました 40以上の墓があり ドアは異世界に通じるとされていました 
女は月と水と そして男は太陽 闘牛とつながっていたそうです 
ここでは水の道があり 最古のワイン作りの痕跡がヌラーゲで見つかっているそうです


Sardegna pre-nuraghica  サルデーニャ プレ・ヌラーゲ  


最初のそして重要なヌラーゲは Nuraghe Santa Antine  これは  sa domo de su re (イタリア語で「王の家」 "la casa del re") とも呼ばれていました

ヌラーゲは砦(fortezza)であった時代もあり  避難所(rifugio)として敵が来れば村人たちが中に住めたし 宗教施設として使われた時代もありました 井戸があり 女神に捧げられたもので 小さな入口をくぐり(神へのリスペクト)  中には死後の世界で使うものが置かれています

Santuario nuragico di Santa Cristina は 三角形の入り口をしたヌラーゲで聖なる井戸(pozzo sacro)でした 女神(la dea Madre)に捧げられ 春分・秋分の日に上の穴から光が入ります 水が今もあります

そして サルデーニャ唯一の世界遺産である スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ(Su Nuraxi di Balumini) 
詳しくは こちら

石の組み方も説明して頂きました 少しずつずらして乗せると崩れない 入口が弱いので大きな石で支えるそうです 

tomba dei giganti についても説明してくださいました  これは巨人が建てたかと思われるような重く大きな石で あの世のドアがあり 死後の世界を大切にしています
海に向かって建てられたそうで これは敵を威嚇するためですね

モンテ・プラ―マの巨人 これは紀元前6~9世紀に建てられた Oristano県Cabrasにある巨人の遺跡で 1970年代に発掘され カリアリの国立考古学博物館(il Museo archeologico nazionale di Cagliari)に展示されていますが 2~2,5メートルと 当初思っていたよりも大きくなかったそうです (足が短い)

サルデーニャは考古学ファンにはたまらないですね!!

      *       *       *

歴史: 先史時代 → 石器文化と黒曜石(ossidiana)の時代 → ヌラーゲ文化の時代 → サルデーニャにおけるフェニキア人、カルタゴ人、そしてローマ人 → 中世 → サルデーニャ王国の誕生から現代 (Wikipedia)

「エジプトを侵略した海洋民族シャルダナ (Shardana) とサルデーニャとのつながりは真偽が疑わしいが ノーラ遺跡の石碑は フェニキア人がこの島をShardenと呼んだ証拠となっており、これがSardiniaという名前の由来となっている。 」(Wikipedia)
サルデーニャ民族の起源を調べていると サルデーニャの国の名前の起源が 「シャルダナ」というアジアから来た最古の海洋民族につながっているとは...ロマンがありますね💛

また フェニキア人(i fenici)についても語ってくださいました 
紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出し 地中海全域を舞台に活躍し カルタゴの街を作ったのですね 
サルデーニャはそのフェニキア人と その前はギリシャ人(i grechi)と貿易していました 

フェニキア人のあとに 紀元前500年ごろカルタゴ人(Punici、ポエニ)がサルデーニャ周辺の地中海の覇権を確立しました カルタゴの影響はサルデーニャのほぼ全域に及んでいます 

紀元前238年 ローマ人がサルデーニャの島を獲得しました 
ローマはカルタゴとのポエニ戦争に勝利し 戦後にカルタゴの傭兵が反乱を起こしたため ローマはサルデーニャを占領しました その時点で既にサルデーニャには社会基盤と少なくとも平野部では)都市化された文化があったのですね

そしてサルデーニャはシチリアとともに エジプト征服までのあいだローマの穀倉地帯(granai di Roma)のひとつでありつづけたのです (エジプトは肥沃な土地があった)

「フェニキア・カルタゴ文化は ローマ人の支配下にあっても 紀元後数世紀まで根強く残lり Tharros(ターロス)、Nora(ノーラ)、Bithia(ビティア)、Antas(アンタス)、Monte Sirai(モンテ・シライ)は 建築と都市計画の重要な考古学遺跡となっている」 (Wikipedia)

ざっと年表にすると:

Fenici  フェニキア人  (700-200 a.C.)
Romani  ローマ人   (238-476)
Vandali ヴァンダル人 (476-533)
Bizantini  ビザンチン(東ローマ帝国)人 (533-827)
Giudicati (900-1323) 4つの領国 giudici 領主 「審判による統治」を意味するジュディカーティ(Giudicati)という制度 

giudicatiとは 自分たちを守るために勝手に作った国だ (普通はimperatore(皇帝)や神から権力をもらって国を作るが)とのこと

アラブ人に対抗するために 海洋共和国のピサとジェノヴァに守ってもらったのは 彼らも次はやられるのでということらしい
アラブ人(i arabi)だけはサルデーニャに入りませんでした スペインを通して来ただけとのこと

「ローマ帝国の滅亡後、サルデーニャは何度と征服の対象とされている
456年北アフリカのヴァンダル人に占領され  711年からはサラセン人による沿岸部の都市への攻撃を受け 1063年から 東ローマ帝国の政治行政組織を踏襲する形で 審判による統治を意味するジュディカーティ(Giudicati)という制度が形成された
同じ時代、アラゴン=カタルーニャ王国(Catalani Aragonesi )の影響が大きくなり、これはアラゴンによるサルデーニャ占領まで続いた。当時のスペインの影響の強さは、今でもアルゲーロ周辺でカタルーニャ語の方言が使われていることからも伺える」(Wikipedia) 

スペイン人(Spagnoli)がいた頃(700年間)は一番暗い時代だった 長い中世だった とのこと
スペインはサルデーニャをとろうとして 発展をストップさせた 700年もの間...
ロマネスク教会は多いそうです 1300年~ 他の新しい建築はあまり入っていない

そして引き続きサルデーニャ王国(Regno di Sardegna)の話に入りました
「スペイン継承戦争でサルデーニャがスペインからオーストリアに渡った後、1720年にシチリア島との交換によりサヴォイア家が領有してからイタリア統一の1861年まで、サルデーニャはピエモンテとサルデーニャ王国を形成していた。本拠はサルデーニャ島ではなく大陸のピエモンテにあり、首都はトリノであった。
1861年にサルデーニャ王国がイタリア統一を果たして国名を「イタリア王国」と改めた。」(Wikipedia)

これでサルデーニャの歴史はおしまい! 一番たいへんなところです(*ノωノ)


  *       *       *

次は伝統 Tradizioni

 
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   サルデーニャのお祭りの地図

お祭り(le feste):


1月16、17日 
 S.Antonio Abate (聖アントニオ・アバーテ祭り) Dorgali /ドルガーリ:
16日の夜 聖アントニオ・アバーテに献じるローズマリーで作った松明がともされ 17日は見学者に手作りパンや蜂蜜ベースのお菓子が配られます 聖アントニオは火あぶりの刑で亡くなりました

2月のオリスターノ(Oristano)でのSa Sartiglia 騎馬祭り 
村ごとに伝統があり これは子孫繫栄を願って 2人の騎手がアクロバットで馬を駆り 吊り下げた星の穴を刀で刺すという祭りです 服も自分で着てはならない シャーマンのようですね

5月の最期から2番目の日曜日 La Cavalcata sarda (Sassari) パレードのような祭りで 1000年にサラセン人に打ち勝った歴史を記念してパレードや歌 舞踏でにぎわいます 

カーニバルの時期の Mammuthones (Mamoiada) これは黒い仮面 背中に鐘を下げて鳴らしながら 自然を起こすダンスを踊り行列します けっこう不気味です...

ちなみに前に作った「サルデーニャのお祭りリスト(Il Calendario delle feste in Sardegna)」は こちら

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音楽 musica:

Canto a tenore ヌラーゲの時代から歌われており 1人がメロディー 3人がベース (低音は牛 中音は羊 高音は風) ユネスコ無形文化遺産ですね

ラウネッダス(launeddas) 頬の中で吸って吐いてを同時に行うという高度な技術 fiato continuo 目の前で聞いたことがあるのですがすごいです!
バグパイプを自分の口でやるという感じかも...

演奏は こちら (音が出ます)

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   サルデーニャの工芸品の地図

Artigianato 工芸品


絨毯 金細工 家具 珊瑚 ナイフ 仮面等 村ごとに違います
儀式のパン(pane rituale)は 冠婚葬祭や祭り等でふるまわれるパン細工です

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Alimenti tipici  特産品



サルシッチャ・サルダ(Sarsiccia sarda)
 これはサラミのようですね プロシュートは最近です
ドルチェは 中でもセアダスカフェで食べられるテリッカスは ザザッパ(ぶどうの搾りかす)を使った 死者の日に作るお菓子とのこと

イタリアでからすみ(Bottarga)と言えば サルデーニャのからすみです シチリアがマグロですね

クスクスに似た粒状パスタ「フレグラ(fregra)」は今も手作りという これは南のみ
ニョッキ状の「マロレッドゥス」 (Malloreddus) もニョケッティ・サルディとして有名
堅く焼いた薄いパン「パーネ・カラザウ(Pane carasau)」は長期保存が可能な食材
パーネ・カラザウとトマトソース、ペコリーノ(羊乳のチーズ)とをラザニア状に重ねた「パーネ・フラッタウ」 (Pane frattau) があります

お酒(bevande alcoliche)/
ミルト酒は キンバイカで作られるリキュール
グラッパ ビネガー リモンチェッロ などなど...
ワインはマルバージァワインが有名 ヴェルメンティーノ・ガルーラ カノナウ... 

チーズ(formaggi)/

「サルデーニャ島では牧羊が盛んなことから、羊乳を用いたペコリーノが多く生産される、「ペコリーノ・ロマーノ」にはラツィオ州・トスカーナ州とともにサルデーニャ州も生産地域としての指定を受けている。「ペコリーノ・サルド(pecorino sardo)」(サルディニアのペコリーノ)はサルデーニャ産のペコリーノにのみ認められた名称である。

このほか、サルデーニャではカチョカヴァッロなども生産される。
サルデーニャ島のユニークなチーズとして、チーズバエの幼虫の働きでペコリーノの発酵をすすめたカース・マルツゥ(casu marzu)がある。」(Wikipedia)

    *       *       *

Turismo  観光

海が美しく シチリアは造りすぎたがサルデーニャの海は人工的ではない
8月は人がとにかく多い 海岸にはスペイン時代の砦もある

Sardegna Turismoは こちら

サルデーニャ出身の政治家ではアントニオ・グラムシエンリコ・ベルリンゲル ノーベル賞作家で グラツィア・デレッダ(Grazia Deledda)という女流作家がいます 女性では珍しいのですよね

山は1700メートルくらいで 動物もここにしかないものがいて 白いロバ 鷲 野生馬のジャーラ馬などがいるそうです

時間が過ぎてもずっと私たちの興味津々の質問に答えてくださいました Grazie💛 
帰りもGiovanni先生のサルデーニャ・ツアーの貴重なお話を伺いながら帰りました~ ^^) _旦~~


前回の講座のリポート『「ジョヴァンニ先生のまるごとサルデーニャ」のセミナーリポート ヌラーゲからフレグラまで盛りだくさん♪(2016.11.26)@高円寺piazzaItalia』は こちら

サルデーニャ講座のお知らせは こちら

* 魅力ある講座を開催してくださいましたピアッツアイタリア様に心よりお礼申し上げます

ちなみに 11月29日(日)13:00-15:00 zoomで 陣内秀信先生とGiovanni先生による サルデーニャのセミナー「サルデーニャ聖と俗の空間 風景から読む」が開催されます@朝日カルチャーセンター

詳しくは こちら




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