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~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

不憫第2弾

2018年10月07日 | エッセー
 最近、私の心をキュンキュンさせてしまう二つ目の出来事があった。この出来事は、彼が生きている限りずっと続く。
 その彼(もしかしたら彼女?)とは・・・・そう、プーちゃんをわが家から追いやったマツコの子。
 マツコは、4月30日に5匹の子猫を産んだ。
 いろいろあって、わが家で、5匹の中で一番かわいい子猫ちゃんと一番さえない子猫ちゃんの2匹を引き取ることにした。しかし、その一番かわいい子猫ちゃんは、飼うと決めたその2週間後に、四男の友達が踏み殺してしまった。悪気はなかったのだけれど・・・・。器量で癒される度合いが違ってくるという自分の心が情けないのだけれど、しばらくは、その喪失感で胸がキュンキュン傷んだ。
 一方、一番冴えないもう片方の存在感は、薄かった。からだが貧弱で、お顔も貧相で、おまけにしっぽの先っちょが折れているのか変な感じで、本当に申し訳ないけれど、名前を付けるのにも時間がかかった。一言でいうと、影の薄い猫だった。私自身、猫好きというより、苦手な方だったので、なおさら。
 愛着感情って湧いてくるものなので、これはどうしようもない。湧いてこないんだもの。どこか湧いてくるものがないかと、一生懸命子猫を見つめても、貧相な顔は私の心を動かしてくれなかった。
 ところが、子猫が2~3日家に帰ってこなくなった。大丈夫かな?車に轢かれたんじゃないかな・・・と心配していたら、戻ってきてほっとしたのもつかの間、右足がおかしい。
車に跳ねられたかな?右足首をそねって、その他の足でひっこひっこしながら歩く。

 骨折しているので、添え木をしてみたけれど、すぐに外す。
 病院に連れて行っても、手術そのものが難しそうだし保険をかけていないので、高額になる。それは無理。
 ごめんね。あなたは、一生、その右足(手?)で生きていくしかない。

 不思議だ。
 それまで、存在感が薄かった、そして、私の心に愛おしさみたいな気持ちを湧き出させなかったこの猫が、不憫という気持ちから、急に私の心の中で存在感を増していった。
 
 不憫になると、愛おしい存在になる。

 赤ちゃんが泣くと不憫に感じて抱っこして泣き止まそうとせずにはいられない心理と、多分、おんなじ。

 やっぱり、このママの心の奥のどこかに、いつか誰かに植え付けられた、泣くことはいけないことという正しさが、しっかり存在するんだろうなぁ。泣いてもいいよ。弱音を吐いてもいいよというような空気の中で育っていないのか、もともと負けづ嫌いの性分なのか・・・。
 赤ちゃんが泣くと、必死で泣くまいとこらえて、封印していた結界に穴が開きそうになる。だから、いくら、赤ちゃんは泣くことが唯一のストレス発散法であり、唯一の運動で、心も体も元気になれると理屈をお話ししても、届かないのかもしれない。結界レベルだと・・・。4本足で走り回れる子猫と泣かない赤ちゃんには不憫さを感じない。でも、3本足でゆっくりしか走れなくなった子猫と泣く赤ちゃんには不憫さを感じる。どちらも、ついつい抱っこして抱きしめたくなる。だとしたら、理屈では泣くことはいいことだとわかっていても、それを行動に移せないとしたら、無意識の世界では、不憫さを感じていたいのかなぁ。

 

 私は、心理カウンセラーでも精神科医でもないので、それ以上の働きかけはできないし、危険なのでしない。
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