池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

そして、大森海苔のふるさと館

2019-08-22 18:52:02 | 見学・観賞

さて、昨日の大森ふるさとの浜辺公園に続きまして、

大人の夏休みの自由研究第五弾「大森海苔のふるさと館」の紹介です。

 

大森ふるさとの浜辺公園内、砂浜の方から歩いて来た時の全景です。

建物としては結構大きいのですが、中に入ると、展示は右側半分に寄っていて、割とこじんまりとしています。

三階部分も、休憩室ですし。

でも、内容的には充実していると思いました。

左側は、体験学習室(一階)、講座室(二階)で、海苔付け体験なので催し物が、毎月2、3回(8月は5回)行われています。

 

入口から入ります(当たり前か)

1Fの半分を占めるのは、海苔船(伊藤丸)。大田区に残る唯一、本当に使用された海苔船です。

まず、この博物館の凄いところは、

展示物が、”本物”ということです。

レプリカじゃないんですよね。

2Fに展示されている、様々な道具も「大森および周辺地域の海苔生産用具」の名称で国の重要有形民俗文化財に指定されています。

本物には、レプリカにはない、歴史のもの雰囲気が刻まれていて、迫力がありますね。

(レプリカや模型は、それはそれで想像を膨らますのに重要ですが)

 

ジオラマと呼ぶには大きい、実物大の”付け場”、母屋から張り出し作られた作業場。

中では、生産者ご夫婦が、海苔付け(抄き)をしています。

近づくと、この夫婦の会話が始まります。

冬場、深夜から早朝まで、電灯を灯して作業していたそうです。

海苔を刻んで、葦(よし)で編んだ、海苔簀(のりす)に海苔を貼っていったんですね。

 

これは縮小模型ですが、乾燥小屋です。ストーブの熱で海苔を乾かしていたそうな。

鈴木雅之のポスターがあったのですが、

大森海苔親善大使!

なんかイメージとしては、正直に言って、合わない。

祖父が、大森で海苔漁師だったと。

その祖父の船の上で、歌を歌うのがボーカリストの原点だった・・・って。

まあ、異論はありませんけど(苦)

 

1F奥の体験学習室に入ってみます。

ここで海苔付けが体験できるようです。

葦を使った、海苔簀作りも。

入口に飾ってあった海苔船の模型です。

沿岸に近いところで養殖している分には、小型のベガという船で良かったのですが、養殖場が東京湾の沖に方に広がり、房総とも行き来する必要ができてきたので、昭和になって、海苔専用船が造船され、海苔船あるいは親船と呼ばれたそうです。

 

2Fの企画展コーナーに進みます。

入口には、別の船の模型が。だるま船と言うようですが、これも海苔を輸送?

ではなく、沖の貨物船から、石炭を詰め替えて、着岸していたものです。

ふるさと浜辺の公園の内川河口にあった、なんとか丸が停泊していたところが、その港だったようですね。

 

続いて2Fの展示です。

大森の海苔の歴史・文化が常設展で、奥の方に企画展の展示があります。

現在の企画展は、大森ふるさとの浜辺の生き物たち 命を育む東京湾の浅瀬でした。

海苔って、イマイチ生態がわかっていませんでしたが、同株内で生殖を繰り返して、葉状体を広げていくんですね。

海苔は、冬に生産されるものと知りました(汗)。

乾燥した冬に、天日で乾燥させたら美味しくなるでしょうね。

でも、大量に買い付けた問屋は、梅雨を越さねばならないので、

こう言う焙炉(ほいろ)で火入れをして(一番下の段が火鉢みたいになっている)、湿気を除き、品質を維持する苦労があったのですね。

右手の海苔箱は、懐かし〜。茶箱もそうですが、こんなの実家の蔵にあったなぁ(懐)

 

こちらは海苔を乾かす道具、

1Fに展示されていた”付け場”で、海苔簀に海苔を抄いて、天日で乾かしたそうです。

海苔の付いた面から乾かすと、海苔が縮むので、簀の裏側から乾かしたそうです。

魚の切り身は、皮目から焼く、みたいなノウハウですかね(笑)

で、天気の悪い日は、1Fに模型があった乾燥場で、ストーブで乾かしていたと。

写真右手は、海苔切りの道具です。

海苔づくりの最初の作業は、1Fの”付け場”で、奥さんがやっていた海苔切りで、

昔は包丁で刻んでいたのが、挽肉を切る機械のようなものができて、だいぶ楽になったようですが、

天日で乾かすのが基本なので、朝日が出るまでに、海苔抄き、海苔干しを終えねばならず、

日中は日中で、海苔の摘み取り、ヒビ(海苔がかかっている竹や木)のメンテ、畑仕事もあったでしょうから、

一体、いつ寝ていたのでしょうか。。。

 

続いて、海苔を摘み取る道具です。

ベガという小さい船に乗って、ザルを持って、素手で摘み取っていたそうです。(海苔が滑るので。しかも、収穫時期は冬)

こんな感じで摘み取っていたのですね。

(ただ、これはヒビではなく、海苔網を使うようになったからの風景)

郷土資料館の海苔コーナーに似た模型がありましたが、

”ふっきり拾い”という、ヒビ(海苔を付着させるもの)から落ちた海苔を拾っているところ。

こちらは高下駄を履いて、ヒビを立てているところの模型。

右端の黒っぽい枝が、木ヒビ。

中央の逆さにした竹箒のようなのが、竹ヒビ。

その前にあるのが、低めの高下駄。

左は、150cmもある高下駄。

奥のV字は、杖みたいなもの。

使い方は、模型のイメージを参照。

ヒビは高さが一定なので、満潮干潮の影響を受けるので(干潮時でないと採集できない)

戦後、海苔網が使われるようになって(満潮時も、海面に引き上げて採集できる)、ヒビが並ぶ風景はなくなったようです。

 

これはうっかり確認しませんでしたが、やはり海苔船の模型かな。

 

以上、大森乗りのふるさと館の展示でしたが、

大人の私としても、当時の海苔養殖がどのように行われていたのか、よく理解できました。

概ね、昭和初期のことなので、機械化されてはおらず、手作り感が強い、ひと昔前の産業という印象を強く受けました。

展示物は本物(文化財)なので、ノスタルジックかつ迫力のあるものでした。

ただ、当時の海苔漁の苦労は、道具や写真から伝わるものがあり、高度経済成長、東京湾の改修、水質悪化から、

昭和38年に、海苔漁を廃業せざるを得なかった、別の言い方をすると、伝統を捨てざるを得なかった苦悩は、想像しきれないものであったことかと。

 

他方、子供向けのコンテンツは、そこまで重く考えず、遊びながら勉強できるような工夫もありましたし、

内容そのものは、子供騙しではなく、大人が読んでも興味深い内容でしたので、親子で勉強するにいいかと。

2Fビデオ放送、そして1Fにはパソコンで、大森の海苔情報を深掘りもできます。

 

そして何より、体験できる催しですね。

大人だけで参加しちゃだめかな。。。

群馬にいる姪たち、遊びに来ないかな。上野の恐竜博にも連れて行くのに。

自分が行きたいだけだけど(邪)

 

最後に、3Fの休憩室からテラスに出て、3Fの上の展望デッキに登れるので、そこからのふるさと浜辺の公園の景色です。

 

当初は、大森海苔のふるさと館大森ふるさと浜辺の公園の後、

大森海苔問屋街を巡ろうと思っていたのですが、

アメ横や合羽橋のように、一本の通りにズラーっと並んでういるのではないのですね。

エリア的には、平和島、大森町、梅屋敷、そして京急蒲田にまでかかる広域に点在しているので、行くなら対象を絞って行く必要があります。

(流れを汲んだ海苔問屋ということであれば、近所(池上)にもいくつかありますしね)

 

さて、大森ふるさと浜辺の公園への往復は、まあ歩ける距離でしたが、

海と埋立地のみち」全域を加えると、流石に無理でしょうね。

海と埋立地のみち」はポイントが6つ指定されているので、それぞれ行こうかな。

  • ポイント1 せせらぎ公園(大井埠頭中央海浜公園、大田スタジアム)
  • ポイント2 東京港野鳥公園(東京都中央卸売市場大田市場)
  • ポイント3 平和の森公園
  • ポイント4 大森ふるさとの浜辺公園(大森海苔のふるさと館)
  • ポイント5 京浜島緑道公園
  • ポイント6 森ケ崎海岸公園

 

ポイント1 せせらぎ公園とポイント3 平和の森公園はセットでいいかな。今回と同じように歩いて来て、公園入り口で左、平和の森公園に入れば。

ポイント2 東京港野鳥公園はちょっと先ですが、大田区民大学でも見学に行くことを推奨された東京都中央卸売市場大田市場が近いので、早朝に行くのがいいかな。ただ、一番遠いので、この時ばかりはバイクシェア使ってみようか。ポートはあるようだし。

ポイント6 森ケ崎海岸公園は、何度も行っているので、呑川沿いに河口まで行き、その先の橋を渡ってポイント5 京浜島緑道公園に行くイメージはできますね。

じゃあ、こんな感じで。いつ行くかは未定ですけど(汗)

ではでは 



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