池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

高知旅行記③(龍馬記念館、若宮八幡宮)

2020-01-24 17:04:45 | 遠足・旅行

さて、高知旅行記の第三回、

ちょっと段取りの悪かった桂浜(龍馬像が立っていない方の竜王岬)から、龍馬記念館に登ってきました。

(結構急な遊歩道で、疲れました)

 

ところで、福島出身の私は、このブログで度々、薩長への敵意を表わしていますが(笑)、

亡き祖父母から、嫁にもらってはいけないと言われた薩長より、

戊辰戦争で会津を後ろから撃った津藩、会津を犠牲に保身に走った慶喜に思うところが強く、

それは、あくまで戊辰戦争の顛末であり、

世界に目を向けて、近代日本を作るという明治維新については、

日本に必要な転換期であり、武士の世の終わりを日本中に理解させるには、

会津戦争は仕方がなかったとも思っています。

(ただ、それは会津ではなく、幕府か水戸がやれ!と思うのですが)

なので、倒幕、佐幕とかの話とは関係のないところで、

日本を近代国家に向かわせた、坂本龍馬という人物には惹かれるものがあります。

一応、言っておきます。

 

で、その龍馬記念館ですが、高知市のHPによると、

「坂本龍馬に関する貴重な歴史資料をわかりやすく展示するとともに,人柄や業績,考え方についても紹介している「龍馬への入口」とも言える記念館です。」

とのことで、坂本龍馬の人となり、考えの一端でも感じることができればと思います。

 

こちらが入口。

一昨年、リニューアルしたようで立派な、今時のお洒落な建物に見えます。

お隣に(むしろ入口っぽい)出口。

この時は気づきませんでしたが、”シェイクハンド龍馬”と書いてあり、確かに龍馬像が手を差し出していますね。

せっかくだから握手しておくんだった(笑)

にしても、館の内外、龍馬像が多いこと、多いこと。

 

館内に入ったところにある陶器の龍馬像。

ちょっと坂本(金八)先生っぽい。

こちらも、ちょっと頭と胴体のバランスが滑稽な龍馬像。

如何にも、なんとかぜよ、と言いそうな表情。

こっちは腕組んで写真撮っておくべきだったか(笑)

地下には、幕末に活躍した人物の写真がたくさん掲示されているのですが、その入口のパネル。

展示写真の撮影はできませんが、ここではパネルと一緒の撮影が促されています。

龍馬像がたくさんあるのも、ポスターなどに使われるのも、我々は、この立ち姿、佇まいに何か惹かれるものがあるのでしょうね。

 

入館時点に戻ります。

My遊バスの切符で入館料が団体料金の560円になりました(企画展のある時。無い時は400円)

 

さて、展示ですが、複製ながら龍馬の様々な書簡が展示されています。

そしてのその書簡の背景、現代語訳、解説も添えられているので、

読めない達筆の字を「ほ〜」と眺めるだけでなく、内容を読み取ることができます。

ちょっと思ったのは、よく歴史博物館とかお城の天守閣に展示されている戦国大名の書状と違って長いし、より日常に触れた手紙っぽい内容ですね。

まあ、戦国大名のは、指示とか交渉とか感状とか、行政、外交的なものがほとんどで、このような私信を見るのは少なく、書状から戦国大名の人柄とかはなかなか読み取れないのは残念。

(しかし、信長がねねに宛てた、秀吉の浮気に対する悋気をなだめる書状などないわけではない。)

 

それと、この記念館、洗足池に昨年オープンした勝海舟記念館に似た感じです。

(見学に行ったブログ記事はこちら

その人物と世の中の出来事の年表があって、映像とか、体感型の展示が多くて。

一人の人物の一生を綴るとなると、同じような記念館(博物館)の作りになるのかもしれませんね。

そして、詳しく知っている(知りたい)人向け、ざっとみたい人向け、子供向けと、一つの展示に鑑賞する人のレベル(?)に合わせた複数の解説があるのも同じかな(二日目に行った、高知城歴史博物館もそんな展示構成でした)

それと、私の好きなジオラマも(苦)

これは、龍馬が暗殺された近江屋の模型。

殺された左上の部屋の実物大復元(マネキンとかあれば、と思ったのは不敬だろうか)

 

一通り展示を鑑賞したので、屋上へ。

これは桂浜ではなく、先の竜王岬から反対側(西側)の浜辺。

桂浜の沖合は見えるのですが、、、

桂浜は見えず。。。

次に立ち寄る浦戸城址は、手前に見下ろせます(ん?こんなに小さい?)

そして、先ほどパネルの写真を掲載した、地下の幕末写真館をみて、シェイクハンド龍馬の出口から出てきました。

書簡とか、割と丁寧に読んでみましたが、その書簡が龍馬の書いたものとしての価値はあっても、歴史的な価値(そこから、歴史イベントの内情が読み取れるとか)はないかな。。。

あと、手紙から人柄までは。。。

とか、言ってしまっては身も蓋もない(省)

 

さて、竜頭岬の龍馬像を観に、もう一度桂浜に向かいますが、その前に、

私の大好きな戦国時代、長宗我部元親の築いた浦戸城址へ。

結構、大きめの山城をイメージしていましたが、

昨日のブログにも書いたとおり、海運管理事務所的なものだったと推察され、

岬自体が城であって、そのスケールは大きかったかもしれませんが、天守とかはそんな大きくはなかったのかも。

(豊臣政権の安定期でしたし、内外どちらにおいても、ちゃんとした天守は必要なかった?)

 

龍馬記念館の駐車場のところから入ると、

すぐ、天守台の跡があり、お社が建っているだけでした。

まあ、仕方ない。翌日の、岡豊城址に期待しましょう。

 

そして、龍馬像を拝みに行きます。

先ほどは、ここから右に行ってしまったのですが、龍馬像は左にあるようです。

ありました。

写真から、うまく立体化しているように思えます。

なお、ここでDQウォークの四国のお土産(龍馬像)をピックアップできます。

(ただ、無料なのは1個だけで、フレンドにプレゼントする分5個まで入手するには、有料のジェムが必要って、うわっ。。。余談でした)

 

さて、次は長宗我部元親ゆかりの若宮八幡宮に行く予定で、

My遊バスではなく、とさでんの路線バスで行きますが(My遊バスのチケットで、片道だけ乗り降りできる)

バスの時間が微妙。。。

桂浜での見学が効率的ではなかったこともあり、次のバスまで45分くらいあります。

桂浜から若宮八幡宮まで、地図で確認すると3kmくらいなので、歩いても、バスを待っても若宮八幡宮に着く時間にさほど差はなく、、、迷いましたが、

桂浜にいても仕方ないので、歩いて行くことに(苦)(もはや、歩くのは本能)

 

まあ、漁師町の情趣を感じながら、のんびり歩くのは正解で、

バスよりはちょっと早く、若宮八幡宮の入口に到着。

八幡宮の入口というよりは、参道?公園?の入口で、ここを八幡宮に向かって歩くと、

長宗我部元親像があります。元親といえば、やはり、槍ですね。

なお、長宗我部元親ゆかりと言ったのは、初陣の本山氏との戦の戦勝祈願を若宮八幡宮で行ったことからです。

 

ところで、歴代の”信長の野望”では、随分と長宗我部元親でプレイしたものです。

ただ、歴史通りと言いますか、四国を統一した後は、周辺に進出するより、信長とか他の大名(コンピューター)が、残りの地域を統一して、大群で攻め込んでくるのを待って、撃退しつつも、最後は玉砕する遊び方ばかりしていました(これも蝦夷の本能か)

歴史関係なく単なるゲームとして捉えると、長宗我部元親でプレイして、他の大名を家来にして、全国統一とかするのでしょうが、

とりわけ戦国時代の史実への思い入れが強いので、史実と異なる展開でプレイはしたくないんですよね(苦)

 

閑話休題。

四月に行われる豊穣祈願の”どろんこ祭り”の田んぼ。

女性が男性の顔に泥を塗って、塗られた男性は無病息災とか。

公園?参道?を通り抜けると、ちゃんとした?参道があり、この先が拝殿、本殿です。

山門をくぐって、

拝殿からお参りしました。

なお、右手に見える鉄の棒が、写真撮影の邪魔だな、とか思ってしまったのですが、これは槍で、

元親が槍の名手で、初陣の戦勝祈願で、祈願文を輪に書いて、槍に通した由縁があり、

参詣する人も、社務所で輪をもらって、槍に通してみてくださいという説明板がありました。

(輪投げみたいに、上に投げて、槍の石突き(底)まで通れば願いが叶うらしい)

 

なお、この槍は、元親の槍の三分の二の長さと書かれてありましたが、

この槍が、私の身長の倍くらいはあるように見えるので、元親は三間槍(5.4m)を扱っていたのかな?

でも、信長が導入した三間槍って、先頭の足軽が上から叩くための長さだったし、騎馬武者が馬上で使えたとは思えないが。。。

 

左奥の本殿を確認して、

次は、ここから1kmくらい離れた(とさでんのバス停がある)元親の墓所へ。

元親公史跡前というバス停まで歩いて、路地を入ると、

元親のお墓がひっそりと。。。

まあ、関ヶ原の後、山内氏による江戸時代の土佐の治世では、やむなしと言ったところでしょうか。

しかし、江戸時代は仕方がないとしても、

現代においては、長宗我部元親って、高知でもっと英雄扱いされてもおかしくないはずですが、そうでもないんですよね。

どうしても幕末の英雄、坂本龍馬がトップなので、併せて幕末の人物が取り上げられがちですが、

戦国時代の英傑の扱いがイマイチで残念です。

 

日も傾いて、次はホテルにチェックインなので、近くにあったスーパーのベンチで、日曜市で買ったおはぎの残りを食べつつバスを待って、市街地に戻ります。

 

はりまや橋で降りて、ホテルまで歩くのですが、17時を過ぎたところだったので、ちょうど、からくり時計から”よさこい節”が流れていました。

 

そして、高知城に近いところで予約したホテルへ。

楽天トラベルの写真とは明らかに異なる実際のホテル(笑)

でも、一泊三千円ちょいで、しかもポイントだけで泊まるし(現金支出なし)、一人旅には十分。

年季の入ったビジネスホテルの感ですが、

部屋はきれいでしたし、サービスはほぼセルフでしたが、不都合は全くありませんでした。

(必要なアメニティはフロントやエレベータホールにあるし、コーヒーとか洗濯が無料とか(洗剤も)、返って気楽で、便利)

コスパが非常に良くて、当たりでした(感)

 

そして、本日の〆は、ホテル近くのひろめ市場へ。

もっと、市場然としているのかと思いましたが、

フードコート、シンガポールのホーカーみたいな感じと仕組み(それぞれのお店で買って、テーブルに陣取って食べる)でした。

それと、そんなに広くはないです。でも、そのごちゃごちゃ感がいいのでしょうね。

予定としては、ここで高知の名物料理を食べるか、テイクアウトしてコンビニでビールを買ってホテルで食べるつもりだったのですが、、、

残念ながら、この雰囲気で、不安障害が出てしまい、、、テイクアウトのためにお店に並ぶことすら我慢できず、退散せざるを得ませんでした。

で、結局は、ファミマでビールを惣菜を買って、テレビで麒麟がくるを観ながらホテル部屋飲み(哀)

でも、なんか、ハノイ赴任時の、ホーチミン出張で、空港からホテルに向かう途中、運転手にファミマに寄ってもらって、ファミマのなかったハノイでは買えなかった惣菜とビールを買って、ホテルの部屋で食べた至福のシチュエーションを思い出し、それはそれで気分よく高知の夜は深けたのでした(苦)

次は、二日目、高知城からスタートです。

ではでは



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