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50年ぶり、三人の中の一人は!

2020-01-08 08:53:16 | 日常のあれこれ
夫の話である。

昨年、高校時代所属した山岳部の100周年記念の会をするにあたり
その100年ゆかりの品を集めて展示する係になった。

そういうイベントには張り切る夫は、
山の道具や、昔のスキー姿の写真、

山の写真等々集めて、足りないものは自分で撮影しに山に登ったりし、
よくぞというほど動き回って、その成果はご好評を頂いた。

それらの資料をそれぞれお借りしたところに返し、あわよくば
少しはスキーができるかと、白馬の細野に出かけた。

映画「スキーの寵児」の中の一場面の大きなパネルは飾ってあった宿に
古いスキー靴は、郷土博物館にと返却し、

ご招待したものの、ご都合でいらっしゃれなかった方には、
記念品を渡す等のミッションを終え、その日は対岳館に宿をとった。

ご存じの方は多いと思うが、対岳館は丸山庄司さんがなさっている。

今回、品々を借り受けるに際し、丸山さんのお世話にもなった。
その時のよもやま話で、

ほぼ50年前の遭難の話になった。
その頃、庄司さんはスキー界の大御所、
白馬のスキー学校を統括なさっていた。

夫は大学を卒業し、院生だったので
アルバイトでスキー場のパトロールをしていた。

上の方で雪崩がおき、大変だとの知らせに、
山の案内人として山を知り尽くしている定宿のご主人

皆が「おじじ」と呼ぶ方と一緒に、
とるものもとりあえず、ロープウェーに乗って救助にかけつけた。

その時、ロープウェーにもう一人いた気がする。
ここまでの話は、結婚してからも数回聞かされていた。

その時の遭難は、数人の死者を出し、大事件だった。

今回、よもやま話の中で、
昔の遭難の話になり、

雪崩の一報に、被災した方たちが庄司さんの宿に宿泊していたこともあり
とるものもとりあえず、ロープウェーに乗った、おじじと一緒だった。
他にもう一人いたと思うが、知らない人だった、という。

お互いが、それは私だと言いあい、
約50年ぶりにあの時の「もう一人」が、解明された。

会って話してみると、人と人のつながりは面白い。

そんなこんなで、すっかり仲良くなって、
いろいろな話がはずんだ。

スキー界を牽引されてきた庄司さんとの話は面白く、
共通の知人が多数いることに驚いた。

(続く)


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
八方尾根 細野 (母ちゃん)
2020-01-09 15:52:08
八方尾根の細野は懐かしい地名だなあ。学生時代の昭和40年ごろから4,5年、まい年スキーに行っていたっけ。夕方から大阪駅の中央コンコースのスキー列車の長蛇の行列に並び、12時ころに乗車、深夜の名古屋駅できしめんをかっ込み、朝に信濃森上に下りて、雪道をスキーを担いで宿まで歩いた。細野の岳明館と言ったっけ。東京女子美のスキー部のOB会が主催するスキー教室に入り、岩岳スキー場で練習し、時々ゴンドラに乗り八方尾根に登って滑ったっけ。今度シニアのスキーに行こうかなあ。

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