月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

誰にむかって書くのでしょうか

2020-11-12 00:33:00 | コロナ禍日記 2020






 

  

ある日。8月1日(土曜日) 晴れ

 

 きょうは午後1時から5時まで編集とは何か。「一冊の本ができるまで」と題し、若松英輔さんが講師を務める(今回は編集者主催)『読むと書く』主催のzoomを受講した。

 

 心に残った言葉は、編集者の視点とは「むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことをおもしろく」井上ひさしさんの言葉を心に留めて編集すると良いと話されていた。

 

 この文章は誰に届けたいのか。対象は具体的で、ひとりにむかって書き、編集するとよいでしょうとも。理由は書き手の軸がぶれないから。とある。

 誰にむかって書いているのか、伝えているか。ここのところずっと考えているテーマだ。この日記もそうだが誰にむかって書いているのだろう。

 仕事案件(たとえば会員情報誌)は、取材対象者とインタビューなどを通じて接するので、届ける人の顔も具体的に読めたりするのだけれど。広告の世界でいうターゲットとは違う、だれかひとりのために書く、編集することはもっと特定してもいいのではないだろうか。

 

 ドイツの詩人リルケ「若き詩人への手紙」や、ナタリア・キンズブルグ「ある家族の会話」などを読めば、明白だ。ミツバチがおしりの針で突くように、伝わり方、届き方も繊細かつ鋭くなるのだろう。ひとりに絞って書いた文章は、万人にも情熱的に届く。自分はそこがぼんやりいているのか。潜在意識の中で、おそらくある。けれど、確かには浮かび上がってこない。自分の心の中との対話というのが一番近いのだろうか。

 

 

 きょうパパさんは、知り合いのカメラマンさんの葬式で不在だった。帰宅後、アルコールがはいっているパパさんと行き違いをして口論となる。いま、思い出しても腹立たしいほどのつまらない内容だ。マンションの住人から不在の連絡が入っていて、「きょう一日中なにをしていたのか」とご立腹されたというもの。いわゆる家内をしていないということ? バカバカしい(ZOOM中でございました)もやもやを抱えて、応酬した。

 

 夜。お風呂から上がって少し落ち着き、携帯をみると、先日提出した広告会社からのメールがきて、少し嬉しい言葉があった。よかった!連絡がないので全くよくないのではと、心配で、紙の裏に、スローガンコピーを再考していたところだったのだ。ほっとした。

(アナタガ、シンパイスルホドニハワルクナイワヨ)という声が天井あたりから聞こえた。

 

 夕ごはんは、カレーライスとサラダ。本日は早々に寝る。といっても12時就寝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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