「霊魂論」エチカ詳解85
スピノザの「目的論批判」の矛先である「目的原因の自由意思(志)説」は、敢くまで、決定論的自然観の枠内で整合的に説明するべく導入されるのが本筋で、原因が空白であり作動因は自己自身、目的的志向は無限性を持つという自由意思が人間にあるのであるならば、人間は神の様態の延長ではなく絶対者・絶対存在に等しく成り得ます。其れ故に、決定論的自然観の枠内で整合的に説明するべく導入されるのがコナトゥスです。「個々・各々・其々は、其れ自身の内にある限り、自己の存在に固執するように努める」。スピノザにとって「目的原因の自由意思(志)説」は最終的には自己破壊に繋がりあり自己矛盾に陥るに等しい。物の定義がその物の存在を肯定し、同時に否定することがどうして可能であろうかなかろうか。絶対存在の創造者としての神の認識を肯定すれば人間の自由意思の奔放な自由は許されないことは、信教ならずとも当然です。更に、此の自由意思の奔放な自由とは空白概念、何ら強制されない箍・枠がないものを示し、其の世界概念には虚無に陥り狂気が迫るニヒリズム(nihilism)が待ち構えかねません。ニヒリズムはあらゆる既成の宗教的・道徳的・政治的権威や既成の社会的秩序とそのイデオロギーに対する無条件的な否定の立場を表すものであり、ニヒリズムに陥ることは他者への危害は勿論、自己破壊活動に絶望を齎し幸いを遠ざけるの可能性が大なること史上稀ではないことは史的事実です。
哲学・思想ランキング