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セネガル紙Wal Fadjri(ワルファジリ)創始者が逝去〜アフリカと報道の自由

2018-12-05 07:30:00 | アフリカ情勢
アフリカ情勢を知るのに、おなじみフランス国際ラジオ放送(RFI)やJeune Afrique誌は欠かせないが、それだけでは理解の半分にも達しないだろう。重要な役割を持っているのが各国の地元系メディアだ。

しかし地元系メディアを使うのには非常に注意が必要だ。国営放送はほぼ、コンテンツの芯から端まで政権与党が独占。そして多くの国にはオルタナティブとなるチャンネルがない。他方、ほとんどの新聞やラジオは、特定の政治政党によって運営されているか、宗教系だったりする。ましてや言論の自由は危うい。中立の報道、公正なメディアなど望むべくない。ジャーナリストの多くが逮捕・監禁され、凄惨なリンチに会い、命を落としている。

ゆえにアフリカには本屋もほとんどない。「フランスの'TSUTAYA'」とンボテが呼ぶ'FNAC'。いまでこそアフリカに進出したりしている。しかし古くからアフリカにある書店といえば、宗教系の図書を除けば、コートジボワールの'Librairie Français'、セネガルの'Quatre Vingt'くらいではなかったか。

いきおい、言いたいことがあるアフリカ人、真実を訴えたいアフリカ人はパリに逃れ、出版を行い、集会を行い、言論活動を行う。フランスにいたのではアフリカはわからないが、アフリカだけにいてもアフリカはわからない。真実の情報がないのだから。

仏語圏アフリカを知るためのメディア(2)~アフリカにはアフリカの情報がない?!


・・・なかなか厳しいメディア事情、しかしその中でも真実に迫ろうとする独立系メディアも多く存在する。

例えばセネガルの新聞メディア。政府系中央紙の'Le Soleil'をはじめ、L'Observateur、Le Sud Quotidien sud、Le Quotidien、Le Matin・・・数々の新聞がある。その中でもよく知られたリベラル系新聞にセネガルの'Wal Fadjri'(ワルファジリ)紙がある。現在は'le quotidien Walf'と改称している。



その創設者、シディ・ラミヌ・ニャス氏の逝去が4日、西アフリカを駆け抜けた。享年、若くして68歳だった。

ニャス氏はセネガル中部のカオラックに、ウォロフ族の父と、モーリタニア人の母の間に生まれた。新聞社の創設は1984年、セネガルにおける民間メディア媒体の草分け的存在で、当初は週刊で'L'Aurore'(フランス語で「オーロラ」の意味)のタイトルだった。冷戦崩壊後の複数政党制導入で揺れた1993年、日刊紙にグレードアップし、'Wal Fadjri'と名を改めた。現在では新聞、テレビ、インターネットなどを通じ、総合的に情報を発信するマルチメディアに成長した。

論調は独立系左派で先鋭的。常に政治から距離を置き、メディアの独立性を維持してきた。独立以来の過去五代にわたる大統領を全て厳しく批判した。このため当局から糾弾、弾圧を受けることもあった。しかしそういったことがセネガル人の信頼をよりひきつけた。Wal Fadjri紙は、もっとも頼られる、真実を語るメディアと考えられてきた。

同市は同時にイスラーム研究者で、イスラームの擁護者。アラビア語をあやつり、アラブへのシンパシーを強烈に発信し続けた。国際政治においてもパレスチナ支援の立場を明確にし、連帯と共感を訴えた。


同氏の逝去に、マッキー・サル大統領は「セネガルメディア界の偉人、激動と民主主義への戦いを生きた証人。ご家族、ワルファジリ・グループ、セネガルメディアにお悔やみを。やすらかな永眠を。」とツイッターで述べた。



アフリカの独立の黎明期を生きた、そしてアフリカの真の独立と民主主義を戦い抜いた人物が、またひとり他界した。ニャスの闘争が、アフリカが自らのリアリティを直視し、真の歴史を綴るための、はじめの一歩になったことは間違いない。

(おわり)


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