母の27回忌の墓参りに、まだ行けていない。今日、行くつもりで準備をすると、雨が降り出した。でも、夫婦仲良く過ごしている事はわかった。仏壇と線香の火が同時に消えた。強いて言えば、オレンジの点が灰の中に埋もれていたので、線香の勝ち(母の勝ち)である。線香は風が吹いても大丈夫です。ろうそくはその点、風に弱いし、蝋は垂れる仏壇のお菓子のせいか、頭がフラフラする。まるで、糖尿病の症状のようである。やはり安物お菓子はいけない。
朝風呂に入っても、する事は手や腕を見つめる事、メロディーも絶えず頭に浮かんでいるが、記譜をやめている。切りがないし、替わり映えしない曲を作っても、しょうがないからである。風呂で気が付いた。湯の中でピアノを弾くような手で左右身体の側に置いて指を動かしてみると、違和感のない方が、得意手(力が抜けている手)
動かせと言われても、なんか、変テコと思う方の手が、ピアノを弾く場合の、にがて手である。動かせと言われたら、太鼓をたたくようになるはずである。教わったとしても、おそらく、わからないはずである。何故ならば、ベートーヴェンの右手やバッハにしてもハイドンにしても、こういう太鼓打鍵は含まれているからである。
先生達は説明できない阿保頭と言うより、性格が悪過ぎるのである。どっから、この自惚れや気取り性格は来ているのだろうと思う。友人にも居た。グループ内の一人をどうのこうのと言っていた。”どうして、そんな事をするの?”と私が言うと、’そうしなければ、やっていけないじゃない’とあたり前、当然のように平然と答えた。信じられない、人種が違う。