油屋種吉の独り言

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苔むす墓石  エピローグ

2020-07-06 13:23:57 | 小説
 なんとかしてもとの時代にもどろう。
 それには、この呪術師以外に頼る人はいな
いと思いながらも、宇一は母、由美子や平山
ゆかりのおもかげを、彼の傍らで働く女たち
に見てしまう。
 このままここにいようか、それとも…。
 感きわまって、あやうく落涙しそうになり、
あいさつもそこそこに小屋をでたが、さりと
て行くあてがなかった。
 ぼんやり、西の空を眺める。
 折りしも名残を惜しむかのように、夕陽が
あかね色に輝きながら山の端にしずんでいく
ところだった。
 川風が宇一のほほをなでていく。
 ふと、風の中に強い花の香をかいだ気がし
て、宇一は当惑した。
 (何の匂いだろう、これは。前にかいだこ
とがある。どこで……。沈丁花、それとも夾
竹桃だろうか)
 宇一は深く息を吸い込んでみた。
 甘美な香りに、頭がくらくらする。
 眼がまわり、しっかりと立っていられなく
なってしまった。
 意識が遠のいていく。
 誰かがさかんに、宇一のからだをゆすった。
 おそらく鹿人にちがいない。
 宇一は彼を安心させようと、だいじょうぶ、
だいじょうぶだよと言いたいが、途中で舌が
まわらなくなった。
 「もう行きささるのか。それも良い。いず
こにいても人はどこまでもひとつながり。縁
のあった人を大切にな」
 かすかに呪術師の声が聞こえた。
 彼のほっそりしたしわだらけの手が、宇一
の左肩にふれたとたん、宇一は、なにか温か
いものが自分のこころに注ぎこまれたように
思えた。
 それが彼の左手の先にまで届いたのだろう。
 宇一は左手が違和感なく、右手と同様に動
くのを感じた。
 芳しい香りはいっそう強くなる。
 葦のざわめきや水鳥の羽ばたきがすうっと
フェイドアウトしていく。
 
 ふと宇一の意識がもどった。
 何かがピシャリと宇一の顔に当たる。
 痛くはない。痛くはないが目も鼻もぬれて
いて、気持ちがわるい。 
 それが、ついさっき見たばかりの竹林の一
枚の葉から落ちてきた露だと気づくのに、宇
一はあまりに手間取ってしまう。
 「そんなところでいつまで横たわっている
気なの?わたし、もうあきれたわ。あんまり
ぐっすり寝込んでるし、起こすのもわるいと
思って辛抱してたけど、もう限界」
 平山ゆかりが大きな旅行かばんの上に腰か
け、宇一の顔をのぞきこんでいた。
 もう一滴、しずくが宇一の顔を直撃した。
 宇一はあわてて両手で顔をぬぐい、起き上
がった。
 「何がどうなってるんだか。おれがずっと
ここにいたなんて……」
 あたりをきょろきょろ見まわす。
 「それはあたしのセリフじゃない?あなた
が竹の根っこにつまずいて、ここに倒れこん
でから、ずっと付き合っててあげたんだから」
 「ずっとなんだ?ずっとここで横たわって
いたというんだ?」
 「そうよ、わたしがあなたのからだを突っ
つこうが、顔をたたこうが、起きようとしな
かったわ」
 宇一は、はあと息を吐いた。
 (これが呪術師が言った時間のずれなのか)
 宇一の表情が暗くなった。
 「あなた、わたしと一緒に、我が家のお墓
に行ったでしょ?」
 ゆかりが意外なことを口走る。
 「あれ、どうしてそれを知ってる?そこは
ここからもっと先だと思うんだけど」
 ゆかりはくすりと笑った。
 「どうしてあたしが知ってるんだろね。ほ
んと不思議ね」
 「まあいいよ。どっちみち、平山さんが何
者なんだか、おれ、さっぱりわからないんだ
から。もうギブアップだよ。あんたの家のお
墓に参ってから、次はぼくの先祖さまの墓を
探そうとしたんだ。あっ、お坊さまに逢った
んだ。そこでね。それからふたりして大川べ
りを歩いている途中、平山さん、ぼくの前か
ら急に姿を消してしまった」
 なにがうそで、なにが真実か、宇一にはわ
からない。
 ゆかりにしゃべることで、確認するしかな
かった。
 「ふうん、田崎さん、こう見えて案外もの
覚えがいいのね」
 宇一は腹が立ってきた。
 「まったく変だぞ。あんたって、何がなん
だかわかんねえ」
 彼は大声で言った。
 「びっくりするじゃない。こんなにそばに
いるのよ。小さい声だって聞けるわ」
 「大川べりの景色って、蓑やらかさやらか
ぶって、お百姓さんが働いてたぞ」
 「それどういうこと?」
 「そんなのおれが知るもんか」
 「ただの夢なんじゃない?」
 ゆかりはにやりとした。
 「おれを笑ったな。もう勘弁できねえ。さ
んざんおれをコケにしやがって」
 ゆかりは急に立ち上がった。
 スーツにまとわりついていた笹の葉を手で
はらいながら、
 「わたし、あなたの何だっけな。わかって
る?」
 「上司でございます」
 「あなた、ばかにしてるのね、わたしを」
 「ばかにしてるのは、あんたのほうでしょ」
 宇一のこころの奥底から、熱いかたまりが
わきあがってくる。
 ふいに宇一はゆかりを抱いた。
 ゆかりは抵抗しない。
 そっと両の眼を閉じたので、宇一はゆかり
の唇に自分の唇を当てた。
 二十歳ばかりの女性の素肌から発散される
匂いに宇一はわれを忘れそうになったが、わ
ずかに血の匂いがする。
 それが彼を現実にひき戻した。
 「ちょっと待って。この匂いは……」
 宇一がゆかりに質問しようとした。
 だが、ゆかりはそれを許さない。
 ゆかりは宇一のからだに全体重をのせてき
たので、ふたりは笹の葉の上に倒れこんでし
まった。
 ゆかりが積極的になった。
 宇一の舌をむさぼりながら、彼女の右腕を
宇一の背中にまわしたとき、宇一はうんっ?
と思った。
 ゆかりの腕がとても重く、毛むくじゃらで
ごわごわしたものに思えたからである。
 互いの歯がぶつかり、ガチガチと鳴る。
 宇一は陶酔してしまい、何も考えられない
ほどだ。
 ゆかりの変化に呼応するように、宇一のか
らだの奥底で、マグマのような何かが煮えた
ぎり、出口を求めてさまよいだした。
 またたく間に、宇一のからだ中の筋肉が爆
発的な発達をとげ、肌着もスーツの上下も引
き裂いてしまった。
 (了)

  
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