油屋種吉の独り言

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晩秋に、伊勢をたずねて。  (2)

2020-01-23 05:58:59 | 旅行
 車内は、ほぼ満席。
 やっと乗れた安心感で、わたしの胸はいっぱ
いになる。
 慣れないせいで、通勤客で混雑するコースを
たどった。
 それにもかかわらず、予定した列車に乗るこ
とができたのは、ほぼ奇跡といえた。
 プラットホームに足がついたとき、すでに発
車のベルが鳴り響いていた。
 もうだめだ、乗れそうもないと、一瞬背筋を
つめたいものが走った。
 わたしはあきらめかけたが、
 「とうちゃん」
 せがれの声にわれに返った。
 やるだけやるかと、挑戦的な気持ちに切りか
え、わたしは彼とふたり、走りに走った。
 運よく乗り込んだところで、シューッとドア
が閉まった。
 (ああ、なんてまあラッキーな。ご先祖さま
がドアを押しとどめていてくださった)
 わたしは、心底、そう思った。
 農家の感じ方のひとつである。
 今は亡き義父に見習っている自分に気づき、あ
あ、わたしもようやく他家の一員になれたんだ
なと、ふるさとに来てからの長い歳月を偲んだ。
 ふじさんが見たいというせがれのために、窓
側の席を彼にゆずった。
 むかしからの希望が達成したからか、車窓を
流れ去る風景を、彼は身動き一つせず見つめた。
 わきからわたしが見ているのに気づくと、彼
はうれし気な眼差しで、わたしのほうに向きな
おり、こくりと首を振った。
 のぞみのスピードはすさまじい。
 それの両わきに羽を与えたら、今にも空に浮
かび、飛んでしまいそうだ。
 突然、ツカツカと硬い感じの靴音がした。
 通路に眼をやると、こしに警防をたずさえた
黒っぽい制服制帽の警備員が通りすぎていく。
 ふたり連れだ。
 「お父さん、なんだろね、あの人たち?前は
あんな格好の人、いなかったよね。おまわりさ
んみたいだけど」
 景色に夢中になっているせがれの耳にも届い
たのだろう。
 彼も通路のほうを見つめた。 
 (あまり驚かすのはまずい)
 そう思ったわたしは、
 「どうした?ふじさんが見えたか」
 と、話をはぐらかそうと試みた。
 だが。せがれはそれにのらない。
 となりの車両に向かう警備員の背中に、熱い
視線を当てていた。
 わたしの胸に、ふいに痛みが走った。
 朱色の言の葉が、胸中で舞いはじめる。
 昨年、のぞみの車内で事件が起きた。
 三人掛けのシート。
 若い男のわきに、ふたりの女性。
 突然の凶行。
 なたがたちまち血で染まる。
 泣き叫ぶ彼女たち。
 勇敢にも、どこかの会社の一員らしいひとり
の若者が、その男のなたを取り上げようとした。
 しかし、とてもかなわない。
 間もなく、彼はなたに打ちのめされた。
 動きの止まった彼のからだ。
 それでも、なたの動きは止まらない。
 なんどもなんども、彼のからだに食い込んで
しまう。
 あまりに無残な光景。
 枯葉が風に散るように、ちらほらとしか、言
の葉を使えない。
 「お父さんおとうさんったら、いったい、ど
うしたの」
 せがれの声が、わたしの意識を、この世にも
どした。
 「ちょっと前に、事件があってさ」
 「ふうん」
 そう言ったきり、彼はまた、窓の外をみた。
 「かわいそうだったよね。思いだしちゃった
んだよね。父ちゃん」
 せがれは窓外を見つめたまま、小声でいった。
 「ありがとう。命がけで若い女性たちをかばっ
てくれて」
 わたしはこころの中で、そうつぶやいた。
 数分間隔で、東京駅を発着する新幹線。
 どんな人がひそんでいるか、しれない。
 大変にはちがいないが、警備は万全にと、祈
らずにはいられなかった。 

 
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