意識の進化、次元上昇をアシストする“イエス-道(Jesus,the Way)”

“イエス-道”という視点から、人生を生きる秘訣・コツを考える“斬新的な聖書リサーチ”

映画『君の膵臓をたべたい』の深読み ⑧ “出会う(2)”

2018年11月11日 14時20分19秒 | 映画ブログ

 

出会う(2)

 

 Osann :   「それはね、“神の思い”と“人の思い”が、あまり

     にも違い過ぎるため、かけ離れ過ぎているため、

     人は“神の思い”を理解できないという意味で、

     人の目にそれが隠れているということなんだと思う。

     言い方を変えると、人の心が“ヴェール”で覆われて

     いるために、神の思い”が見えなくなっている

     ところに根本的に大きな問題があるのでは········


     イザヤ書55章8節~9節には、こう書いてあるんだ。


     『わが思いは、あなたがたの思いとは異なり

      わが道は、あなたがたの道とは異なっていると

      主は言われる。天が地よりも高いように、

      わが道は、あなたがたの道よりも高く、

      わが思いは、あなたがたの思いよりも高い


     つまり、神の思いと人の思いは、次元が全く

     違うということなんだ。


     ところで、このイザヤ書55章における“思い”という

     のは、New King James Versionの聖書では、

     “マインド(mind)”という単語が使われているんだ。


     人のマインドというのは、中途半端な情報、誤った

     情報、限定された情報、バイアスのかかった情報

     などでコントロールされてしまっていることが

     とても多いんだ。偏見、先入観、思い込み、勝手な

     決めつけなどで、人のマインドは自分の『内なる光

     を暗くしてしまっているんだ。この『内なる光』が

     明るく輝いていないと、人は “究極の隠れた宝”とも

     言える“神の真実の思い”を必然的に誤解したり、

     曲解したりしてしまうんだ。


     神という存在は肉眼では見ることは出来ないし、

     ましてや  “神の心の内に秘められている思い”と

     いうものは、かなり多くの人たち、おそらく

     神やイエス▪キリストを信じていると告白している

     人たちからも甚だしく誤解されているんじゃない

     かって、思うんだ。


     『天国への階段』のテーマにも関係してくるんだ

     けど、主なる神のために“神の御旨”をたくさん実践

     してきたと思えるにもかかわらず、天国に入り

     損なってしなう者が多いとイエスは山上の説教の

     中で語っているわけだけど、これは結局、

     その人たちが“神の思い”を知らなかったから、

     あるいは、ひどく誤解していたからじゃないか

     って·······。私には、そんなふうに思えてならない

     んだ。」


ハジメ: 「そう言えば、春樹もクラスメートたちから

     ストーカーだとか、桜良のベットにもぐり込んだ

     とか、いろいろと誤解されてたよね。」


Osann :    「そうなってしまうのは、クラスメートたちが

     春樹のことをく知らないから·····だから、

     もっとみんなに話せばいいのに·····と、その時、

     桜良が春樹にアドバイスをしてたよね。


     正確な情報を得ることによって“真実を知る”と

     とうことは、ものすごく大切なことなんだ。


     “神についての誤解”というものも、やはり、

     しっかりと解いておくということが、私たち

     人間 一人、一人にとって最重要課題じゃない

     のかなって、私は思っているんだ。


     イエスは、『永遠の命とは、唯一の、まことの神で

     いますあなたと、また、あなたがつかわされた

     イエス・キリストとを知ることであります。』と、

     ヨハネによる福音書17章でも語っているしね。


     心の目にフィルターをかけることなく、

     心を覆っているヴェールを取り除いた状態で、

     神という存在を観て、捉えていくこと、

     神の輝かしいの栄光の中で“神の真実の思い”を

     知るということが、

     この世にあって人生を生きている間になすべき

     “究極の宝探しと言えるのじゃないかな····って

     思うんだ。


     だからこそ、この映画キミスイをきっかけに、

     今から神の真実の思い”に気づいていくための

     “究極の宝探し”をしてみたいな···って思って

     いるんだ。


ハジメ: 「ウワッ、楽しみだな·····ワクワクするよ。」


Osann :  「ところで、『光はやみの中に輝いている。

      そして、やみはこれに勝たなかった。』という

         ヨハネによる福音書1章5節を前に引用したけど、

         実は、やみの中でこそ明るく輝いている光という

      ものがあることに気づいてほしんだ。


     つまり、やみの中に、実は、光が隠れていたという

     ことなんだよ。


     そこに、イエスの十字架の奥義、神の知恵があった。

     言い換えれば、人類ひとりひとりに対して『神が

     抱いておられる真実の思い』がイエスが十字架に

     かかっている時に全地を覆ったやみが明らかにした

     ということなんだ。


     マタイによる福音書27章45節~50節には、こう

     記されているんだ。


     『さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、

      三時に及んだ。

      そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、

      “エリ、エリ、レマ、サバクタ”」と言われた。

      それは「わが神、わが神、どうしてわたしを

      お見捨てになったのですか」という意味である。

      ▪▪▪▪イエスはもう一度大声で叫んで、

      ついに息をひきとられた。


     聖書には、神の子イエスはご自身 罪のない方であった

     が、全人類の罪をあがなうために、罪人の身代わりと

     して十字架上で死なれたと描かれている。

     また。イザヤ書53章には、その辺のことが 次のように

     詳細に預言されているんだ。


                    “主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた

      ·······彼は暴虐なさばきによって取り去られた。

     その代の人のうち、だれが思ったであろうか、

     彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの

     地から断たれたのだと。

     彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれ

     ども、その墓は悪しき者と共に設けられ、

     その塚は悪をなす者と共にあった

     しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を

     悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、

     その子孫を見ることができ、その命をながくする

     ことができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。

     彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。

     義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を

     義とし、また彼らの不義を負う

     それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を

     分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。

     これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、

     とがある者と共に数えられたからである。

     しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のために

     とりなしをした。”(6節~12節)


     で、十字架上で人類の罪の身代わりとなって 

     さばき受けて、「わが神、わが神、どうしてわたしを

     お見捨てになったのですかというような言葉まで

     発したイエスだったんだけど、このような魂の暗黒の

     ただ中に放置されたかのように思えるような状況に

     おいて、なぜ神の真実の思い』が明らかにされたと

     言えるのか······つまり、どうして、これが“やみの中に

     輝く光”と言えるのか、まだ よくわからないよね。」


ハジメ:「もっと説明してくれないと、ピンとこないなあ。」


Osann: 「核心を説明する前に、使徒パウロがコリント人への

    第一の手紙2章で書いていることに、注目してもらい

    たいんだ。


             実は、使徒パウロはここで『隠された奥義としての

    神の知恵』について語っているんだ。これこそ、

    究極の宝探しと呼べるんだ。


    “肝心なことは目に見えない”と映画キミスイの冒頭で

    教師 春樹が“星の王子さま”の本から引用して語って

    いたよね。


    この神の『隠された奥義』も、やはり 目に見えない

    肝心なものなんだ。


    天国への階段を登っていたと思っていたのに、その

    途中で滑り落ちてしまわないためにも、

   『神の隠された奥義をよく知っておく必要があると

    思うんだ。


    この奥義は、“目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の

    心に思い浮かびもしなかったこと(コリント第Ⅰの手紙2章

    9節)とも呼ばれているだけに、人の心にあるマインド

    機能(=この世の知恵)をどんなに駆使しても、この

    “隠れた”を見つけるのは 非常に難しいことなんだ。


    ところで、映画キミスイでは、桜良が春樹をどう

    思っているかという“真実”は、病室では語られる

    ことなく、秘密にされてしまったよね。

    春樹がその秘密にされてしまった自分に対する

    桜良の“真実の思い”を知るのは、結局、桜良が亡く

    なった後に桜良が残していった“共病文庫”を読み、

    でも最終的には高校の図書館の書庫にあった

      “星の王子さま”の原書の中に桜良がそっと隠して

    あった春樹にあてた“遺書の手紙”を読んでから

    だったんだ。

    

    それと同様に、人類に対する“神の隠れた真実の思い

    を知るようになるためには、イエスが十字架で死なれた

    後に送るとイエスが約束された真理の御霊の手助けが

    必要だったんだ(ヨハネによる福音書15章26節~27節、

    同16章12節~15節を参照)。


    だから、神は “御霊”(聖書の中では、“助け主”とか、

    “聖霊”とか、“神の霊”とか、”真理の御霊”などとも

    呼ばれている)によって、神の深みと言える神の奥義

       中の奥義と言える 神の隠れた真実の思い”を人に啓示

                しようとされたんだ。

 

    そのことを使徒パウロが、コリント人への第Ⅰの手紙2章で

    次のように書いたというわけなんだ。」

 

    『それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して

     下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、

     神の深みまでもきわめるのだからである。

     いったい、人間の思いは、その内にある人間の

     霊以外に、誰が知っていようか。それと同じように

     神の思いも、神の霊以外には、知るものはない。

     (コリント人への第Ⅰの手紙2章10節~11節)

    

ハジメ: 「なるほど。」

    

****二人の会話は、出会う(3)へと続く(お楽しみに)****

 (2018年11月6日~11日)


    *        *       * 

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