「どうしてる?」4月22日
『王道も珍品も 「ほとけの国の美術」展』という見出しの記事が掲載されました。『江戸時代の絵画を中心として、画家たちの制作の背景にあった「仏教」を切り口にさまざまな作品を集めた「ほとけの国の美術」展が東京都の府中市美術館で開かれている』ことを報じる記事です。
『阿弥陀如来が浄土から二十五菩薩を供に従え、亡くなる人を迎えに来る様子を描いた来迎図』『釈迦如来と阿弥陀如来を中にして二十五菩薩と地蔵・竜樹菩薩~』『地獄道と等活・黒縄・衆合・大叫喚・叫喚・大焦熱・焦熱・阿鼻の8地獄を~』。子供に「○○って何?」と訊かれて、きちんと説明できる人がどれくらいいるのでしょうか。
私も、「竜樹菩薩」という言葉は初めて目にしました。不勉強で恥ずかしいです。しかし私に限らず、上述のような「仏教」に関する知識を欠く大人は少なくないと思います。真言宗と天台宗、臨済宗と曹洞宗、時宗と黄檗宗と日蓮宗の違いを我が子向けに簡単にでも正確に説明できる人は数パーセントにすぎないのではないでしょうか。
それは、学校教育において「仏教」について指導することがほとんどないからです。文化として仏像や仏師について学んだり、空海や最澄のような開祖について触れたりはしますが、仏教やわが国独自の仏教宗派の教義について取り扱うことはほぼないからです。
これは仏教に限らず、イスラム教やキリスト教、ヒンズー教などについても同様です。しかし、文化や伝統について学ぶときに、宗教というものを無視して理解することができるものなのでしょうか。
教委勤務時に、教員の欧州派遣事業の事務局として欧州5カ国を訪問したとき、各地で絵画や彫刻といった美術品を見学する機会がありましたが、キリスト教圏の人間であれば常識として知っている出来事やエピソードについての知識が乏しく、何が描かれているのか、その背景は何か、など何も理解できずに、感想を言えずに冷や汗をかいた(自意識過剰だっただけだが)ことを思い出します。
文化や歴史と宗教の教義の関係について、どの段階でどのような内容をどの程度まで深く扱うべきか、今でもよく分かりません。研究されているという話も聞きません。国際化の時代、相互理解を深めるためにも重要な問題だと思うのですが。