「Jerry's Mash」のアナログ人で悪いか! ~夕刊 ハード・パンチBLUES~

「Jerry'sギター」代表&編集長「MASH & ハードパンチ編集部」が贈る毎日更新の「痛快!WEB誌」

「阪神淡路大震災」より25年経つ… 1995年を私「Mash」が振り返ってみる。

2020-01-17 13:03:00 | 震災・原発

25年という月日が経つ…

早いのか遅いのか…
うん。間違いなく早い。
そんな25年だった様に思う。
 
正直なところ詳細には
過去について思い出す事が出来ない。
「過去は生ゴミ」という生き方をして来たので
(詳しくは当ブログ「Mashイズム」を参照下さい)
人よりも多く、これらの記憶を
ゴミに出してしまったのだ。
 
ただ、そんな私でも
「阪神淡路大震災」
の事はつぶさに覚えている。
 
と言うのも、
私は初めての「イギリス旅行」
を満喫していた最中で、
当時の彼女と「2人旅」を謳歌していた。
 
ココでも何度か書いたと思うけれど
今と違い情報が定かでは無く
日本への国際電話もつながらない有り様…
 
結局は日本大使館まで足を運んで
「神戸の災害状況」と「東京の無事」
を確認した次第だ。
 
思えばこの95年という年は
この後、様々な事が起きてしまう…
3月にはオウム真理教による
「地下鉄サリン事件」が起こる。
 
事実私も通勤で数本後の地下鉄を利用しており
駅を停車せずに飛ばして走る…
そんな列車に違和感を感じながら
それでも忙しく仕事をこなし、
激務を終えて帰宅してから、
その惨事を知った…と記憶している。
 
自分に取っても大きな事が有った。
大好きだった「野茂氏の大リーグ挑戦」
や「伊達公子氏の全仏での活躍」など
嬉しいニュースで元気付けてくれた後
8月にジェリーガルシアが逝った… のだ。
 
あれから25年が経つという…
私は25年間生き延びて来たワケだ。
 
ある意味95年は自分にとって
「自分を見つけ出すキッカケとなった年」
と言えよう。
 
私はこの震災時、まだ22歳と若く
前年にLAで「ストーンズLive」を観て
海外へ行く事を絶対とし、
彼女とすぐに渡英した。
「ビートルズの国」
をどうしても体験したかったのだ。
 
当時はロンドンへの直行便が少なく
ストックホルムで乗り換え
実に苦労してロンドン入りしたものだ。
 
そこで日本に起こった大震災…
異国の地で何もする事が出来ない
そんなモドカシサは情報さえも取れない
当時の世相も含めて、時を感じざるを得ない。
 
当時ロンドンの同じホテルに泊まっていた
関西からの同世代女性観光客の嗚咽は
朝食のレストランいっぱいに響き渡っていた。
 
その光景は今でも覚えているし、
決して忘れる事は出来ない。
「情報の無さ」で誰もが不安感を増していた。
あの時のロンドンに確かに私は居たのだ。
 
先にも書いた通り
この95年は自分にとってのターニングポイントとなる。
ジェリーの死を一緒に伊豆旅行で過ごした
当時の彼女とは、この年の暮れに別れた。
 
4年間一緒だったから、
私は本当に打ちのめされ、途方に暮れた。
使うギターも翌年から
テレキャスからストラトに変え、
ブラックミュージックへの傾倒を隠せず、
バンドの人気は急降下。解散へと向かう。
 
今日は「阪神淡路大震災」から25年。
瞳を閉じればロンドンやリバプールに居る
私と彼女、そして、泣きじゃくる彼女たち…
をいつでもすぐに思い出す。
 
そうか…私はこの25年間
彼女の事も思い出していたのか。
 
そう思うと複雑な気持ちとなり
涙が溢れて来た…。
 
 《編集長 Mash筆》


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