人生の謎学

―― あるいは、瞑想と世界

日記 18-11-08 ―― このごろのこと ― 2 /テキストについて

2018-11-08 00:03:34 | 日記
平成27年ころから、急に仕事が忙しくなり、すくなくとも今年いっぱいまで、その忙しさが続く見通しとなっている。が、来年10月の増税以降は、おそらく急速にヒマになるものと、ある程度「期待」している。
わたしはいつの時も「無職でいて創作活動をする」という生活者の姿勢には否定的で、仕事をこなしたうえで、さらに何ができるか、という課題の立て方の先に、創作という行為を意味づけている。
また、働くことで得る収入で、不自由なく書籍の購入などができるわけだから、そのことが結果的にテキストの質を一定以上のものに保っているとも考えられる。仕事と創作は、私の場合、競合して共鳴しているが、つねに仕事のほうを優先することとなる。

それゆえに、当面はまとまったテキストに着手する時間的な余裕がなく、それが歯痒くて仕方がない。
テキストの着手となると、意識を集中して、脱稿まで緊張感が続くけれども、以下に今後予定しているテキストについて、軽い気持ちですこし書いてみたい。

何よりも、時間があればまず書きたいと思っているのが、寺山修司の短歌についての原稿である。
『寺山修司の短歌 ―― 2/模倣と剽窃』というタイトルで、これは1954年に早稲田大学教育学部国文科に入学した寺山修司が、「チエホフ祭」の五十首詠によって、第二回『短歌研究』新人賞の特選となる18歳のころからの記述を予定している。「チエホフ祭」が発表されると、たちまち自身の先行俳句や中村草田男の俳句などに類似しているという指摘がなされ、これを模倣、剽窃と非難する者さえあった。その「模倣」と「剽窃」の詳細を、いろいろな角度から考察していきたい。

また寺山は夢野久作の「猟奇歌」にも興味を寄せ、『「猟奇歌」からくり――夢野久作という疑問符』(1981年《月蝕機関説》所収)というテキストがある。(――『猟奇歌手稿 夢野久作』(《寺山修司全歌論集》)は《月蝕機関説》所収のテキストと同一のものである。)このテキストで、寺山は久作の次の作品をとりあげて、興味深い考察をしている。

  泣き濡れた
  その美しい未亡人が
  便所の中でニコニコして居る

わたしが興味深いというのには二重の意味がある。寺山はバタイユやブレイクを引用しながら、「便所の中でニコニコして居る」おそらく喪服の美しい未亡人を「見る」ことについてのエロティシズムをあれこれ分析しているといっていいが、このことは1980年に住居侵入罪で略式起訴されたことをやや連想させる。

――夢野久作は「猟奇歌」を昭和3年にはじめて雑誌『猟奇』に発表、その後雑誌『ぷろふいる』にも寄稿し、昭和10年まで断続的に発表し続けていた(翌年3月に突然死)。大作《ドグラ・マグラ》などにも通じる独特の世界観が、その底流に流れている。
いずれにしても、寺山短歌のテキストの他に、夢野久作の「猟奇歌」についてのテキストも、独立した原稿にしたいと考えている。

また、ラスプーチンを暗殺した首謀者として知られるフェリクス・ユスポフ公爵は、《ラスプーチン暗殺秘録》(原書1992年)なる「体験記」をしたためているが、邦訳書の訳者、原瓦全氏は、そのあとがきの中で、ラスプーチンがなぜ無防備にユスポフの接近を許したのか、という疑問について、次のように述べている。
《ラスプーチンがユスポフに「接触」するその様を注意深く読めば分かるともいえるが、ユスポフ本人はそれ以上なにも書いていないので敢えて付け加えれば、このフェリクス・ユスポフ公爵は「若くハンサムなプレイボーイ」(コリン・ウィルソン)であり、「富と美貌において並ぶ者のない頽廃児」(グリッランディ)であるだけでなく、グリッランディが示唆しているところによれば、どうやら友人のドミートリイ大公と同じく特殊な「偏愛」、要するに同性愛の気があったらしい。さらにその妻が「皇帝の姪で輝くばかりの美貌の姫君」とあっては、ラスプーチンは引き寄せられるしかなかったのかもしれない。つまらない煽情的なラスプーチン伝説に種を提供してしまうようだが、しかしこの側面を考えて本書を読むと、ユスポフのラスプーチン評の裏が見えてまた面白いことは確かである。ユスポフというこの耽美派の青年も、このときもう三十になんなんとしており、友人のドミートリイ大公は二十七歳であったとグリッランディは書いている。ユスボフがいつ亡くなったのか、浅学な訳者は詳らかでないが、コリン・ウィルソンは、『怪僧ラスプーチン』を執筆している時点(一九六三年)で現存している関係者は彼ひとりきりだろう、と書いている。》
――わたしの記憶に間違いがなければ、ユスポフは女装して夜の酒場だかナイトクラブだかに出掛け、そのステージで歌を歌っていたというエピソードもある人物で、1967年9月27日にフランスの パリで死亡している。
――ユスポフ公爵の視点で展開するラスプーチンの暗殺秘話を、ウラジーミル・ソローキンの小説、――《ロマン》の例の衝撃的な記述ではなく――たとえば超グロテスクな短篇《弔辞》や《真夜中の客》(いずれも《愛》所収)などと絡めて考察する、というのは無理があるだろうか。

それからサルバドール・ダリについても、その生涯を俯瞰するようなテキストを書いてみたいと思っているが、さしあたり具体的に資料を揃えたりしているのは、《十字架の聖ヨハネによるキリスト》あるいは《超立方体的肉体》などを作成した1950年代のダリについてである。




この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日記 18-11-07 ―― このごろの... | トップ | 不幸中、幸いのトラウマ »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事