とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2024大札山

2024-04-22 21:34:41 | 山登り
久しぶりに県内の近場の山にしようという事で、川根方面から浜松市天竜区にある大札山に登ってきた。

大井川沿いに北上し、林道南赤石線に入り、三ツ星天文台の駐車場に車を止めてスタートする。


林道南赤石線をしばらく歩くと、車両通行止のゲートが出てくる。もう何年も前から通行止めが続いていてこの先へはマイカーでの通行が出来なくなっている。


30分ほどで南尾根登山口に到着する。


登り始めると、すぐに急登が始まる。




根が縦横無尽に張り出していて、結構歩きにくい。


尾根道だけあって、平らな部分は全くなく、ひたすら登り続ける。


やっと見晴らしがよく、ベンチのある休憩ポイントに着いた。


大井川が蛇行している様が良く見える。


しばしベンチで休憩する。


休憩ポイントからしばらく進むと、今回のお目当てのアカヤシオの花が見えてきた。


大札山では、4月中旬から下旬にかけてアカヤシオが咲き始め、多くの登山者で賑わう。予想通り、優しいピンクの花が満開となっていて、読みがズバリ当たった気分だ。




最後の急登を登りきると、大札山山頂1373.6mだ。


山頂から少し先の広場でランチ休憩とする。目の前には、アカヤシオと南アルプス前衛の山々が見える。




展望を楽しんだ後、元来た道を下山していく。登っている時は気付かなかったが、アセビの花もたくさん咲いていた。


そして、再びアカヤシオを見ながら下山。




登りはきつかったが、下りの方がもっと怖い。ゆっくりゆっくり下っていく。


迷路のような樹林帯の中で、ひょこっと顔出し。


南尾根登山口まであと僅かだが、気を抜けない登山道。


林道になれば、安心して歩ける。最後に上り坂を進めば駐車場だ。


無事駐車場に到着。スタート時には満車だった駐車場も、半分近くになっていた。


休憩を入れて往復5時間ほどで帰ってくることが出来た。その後、川根温泉で汗を流し、明るいうちに帰路につき、日帰り登山としてちょうどいい山だった。

参考1.大札山の高低図&コースタイム


参考2.大札山のコースマップ

2024京都トレイル西山コース&愛宕山登山

2024-04-19 18:38:13 | 山登り
京都市内から嵯峨嵐山駅に下車すると、観光客で賑わう嵐山の渡月橋に向かう。まだ8時過ぎなので人出は少ないが、見かけるのはほとんど外人ばかりだ。この辺りは何度も来ている場所だが、初めての人もいるので、とりあえずのスタート地点とする。


天竜寺の横を通り、竹林の小径に入る。


手入れされた竹林が道の両脇に続く、京都を代表する観光名所だ。いつの間にか、外人の観光客だらけとなっていた。


9時前に化野念仏寺に到着する。入り口で少し待って、9時の開門と同時に中に入る。


かつて風葬の地として知られていた化野で、弘法大師が野ざらしになっていた遺骸を集めて埋葬し、供養のために五智山如来寺を建立したのが始まりで、境内の「西院の河原」には、約8,000体の石仏・石塔が立ち並ぶさまは、他の寺院とは趣が大きく異なる。


有名な鮎料理の店「平野屋」「つたや」前に来ると、愛宕神社一ノ鳥居だ。京都トレイルの西山コースは、鳥居前を左折して六丁峠方面に向かう。


六丁峠までのキツイ上りを終えると、一気に下り坂となる。


坂を下りきると、清滝川と嵐山を流れる桂川が合流する地点に到着する。


清滝川沿いに設けられた遊歩道を進む。


沈下橋を渡り、反対側に向かう。


この先、素晴らしい渓谷の絶景が続く。水の流れも美しい。


細い滝も流れ、涼しげだ。


赤い橋 「渡猿橋」が見えてきた。


渡猿橋の前で集合写真。


愛宕神社二の鳥居に到着。いよいよここから愛宕山への本格的登山スタートだ。


登りだして1時間ほどで見晴らしのいい場所に出た。嵐山方面が良く見える。


落語のお題の一つである「愛宕山」には、カワラケ投げというくだりがある。たいこもちの一八をお供に連れて京へ来た旦那が、芸者衆を連れて愛宕山へ登り、かわらけ(土器)投げを始めるのだが、ここがその舞台という事になっている。現在、愛宕山ではカワラケ投げは行われていないのだが、ここに来ると、落語の「愛宕山」が頭に浮かんできてしまう。


近年まで水尾の女性が樒(しきび・仏壇やお墓にお供えする植物)を背負って水尾から愛宕神社まで登り、神前に供えてから販売したという花売り場の小屋跡が見えてきた。


さらに進むと、黒くて立派な門が出てきた。その名も黒門といい、かつて存在した白雲寺の門で、愛宕神社の門ではない。かつては神仏習合だった愛宕山の名残だという。


こちらが愛宕神社の門だ。


急な石段を登りきると、全国各地にある愛宕神社の総本宮に到着だ。


ここが愛宕山の山頂924mとなる。火伏・防火に霊験のあらたかな神社として知られ、京都の人にとっては信仰の厚い寺で「愛宕さん」の愛称で呼ばれ、年中参拝者の絶えない所である。「伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕さんへは月参り」と言われ、数千回も登っている人もいるという。


若宮、奥宮にも参拝してから、石段の下の広場まで下り、ランチ休憩をする。休憩場所からは、大文字山などの東山をはじめ京都市内が一望できる。

お腹が一杯になったところで、元来た道を一気に下山。往復4時間ちょっとの登山だったが、いささかペースが速すぎた。もう少しゆっくり山を楽しんでも良かったかもしれない。


参考1.愛宕山の高低図&コースタイム


参考2.愛宕山のコースマップ

2024東寺夜間拝観

2024-04-18 07:07:02 | 観光
明日香村周遊を終え、飛鳥駅から東寺駅まで移動する。駅を降りて、東寺まで歩いていくと、そろそろ日が暮れ始め、ライトアップが始まっていた。この日は、「夜の特別公開 東寺 夜桜ライトアップ(金堂、講堂夜間特別拝観)」の最終日となり、長い一日の最終イベントに突入だ。

特別拝観料を入り口で払い東寺の境内に入る。最終日というのに大賑わいで数珠つなぎに観光客が入っていく。ふとお濠を見るとライトアップされた鳥の置物が見えた。と、思ったら動いたので、本物のシラサギとわかった。


そして、お濠の先にはライトアップされた五重塔と水面に映る五重塔がダブルで見える。


さらに進むと、水面には桜の花弁で埋め尽くされ花筏となっている。


五重塔近くまで行くと、まだ残っていた桜とのコラボが見られた。


広場の周りは、不二桜や染井吉野・枝垂桜など約200本の桜の木がライトアップによって、金色やピンク、緑、黄、空の青とカラフルで幻想的な空間が広がっている。


やはり、五重塔をバックに記念写真を撮る。


黄金色に輝く五重塔。東寺の五重塔は54.8mと日本一の高さを誇る木造塔だ。


桜の花びらを通して撮影すると、完全に黄金の塔になる。


八重桜越しにも五重塔を撮る。


金堂および講堂の夜間特別拝観もして、帰路につく頃、最後に五重塔を眺めると夜の帳が一段と落ちて、さらに金色に浮き上がっているように見えた。


東寺からは、歩いて宿に向かい、遅い夕食を済ますと長い一日が終わった。

2024三輪山登拝&明日香村周遊

2024-04-17 18:49:32 | 観光
大和三山登山の翌日、町屋ゲストハウス三輪前で集合写真を撮る。三輪といえばソーメン発祥の地として有名だが、日本最古の神社の一つとして知られる大神(おおみわ)神社のある町でもあり、辺りは何もなく静かで厳かな雰囲気が漂う街並みが良かった。


町屋ゲストハウスのご夫婦に見送られて、大神神社に向かう。


大神神社の大鳥居が見えてきた。高さ32.2m、柱間23mの巨大な鳥居だ。大きさ的には、熊野本宮大社の旧社地・大斎原に建立された高さ34m、幅42mの鳥居が日本一だと思うが、それに負けず劣らずの大鳥居である。


しかし、我々は、昔からある一之鳥居から参道に向かう。大鳥居が出来たのは、1986年と新しく、かつて参詣者はこの鳥居をくぐって神社に参詣したのだという。


三輪山を正面に眺めながら、整備された参道を進む。


二ノ鳥居まで来た。


玉砂利が敷き詰められた参道をさらに進む。


大神神社に到着。『古事記』や『日本書紀』に記され、日本最古の神社の一つとされる古社。ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が三輪山に鎮まることから、古代より本殿は設けず、拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して三輪山を拝する。境内は神気に包まれ、清々しい気持ちになる。縁結びや夫婦円満を願う女性も多く訪れるそうだ。


祈祷殿の前で参拝記念の集合写真。


大神神社から、薬草などが植えられた「くすり道」を通って奥へ進むと狭井神社(さいじんじゃ)がある。古くから病気平癒の神様として信仰され、拝殿の脇には、万病に効くといわれ薬水とも呼ばれる霊泉が湧き出る薬井戸があり、自由に飲むことができる。また、三輪山登拝をする人たちの入り口でもある。本来、ご神体と呼ばれる山は、勝手に入ることは許されていないが、狭井神社で受付を済ませ、注意事項を守ることで登拝をすることが出来るのだ。


ここから先は、登山やハイキングではなく、慎みと祈りの心を持ち、お参りを目的に登るという事で、撮影は禁止、山内のことは他言無用とされている。往復2時間程度の登拝であったが、山頂(467m)では、神秘的なパワーをいただいたような気分になった。

三輪山登拝を済ますと三輪駅まで歩き、電車で飛鳥駅まで移動する。


飛鳥駅前でレンタサイクルを借り、電動自転車で移動する。明日香村は坂が多いので電動自転車の方が移動しやすい。まずは高松塚壁画館前でお昼を済ませて高松塚古墳を見ていく。


高松塚壁画館では、古墳内の石室で発見された色彩鮮やかな西壁の女子群像の壁画が有名だが、それらの発見の様子や副葬品、棺のレプリカ等が展示されている。


明日香村では、自転車で移動する人が多く、サイクリング道が整備されている。


次に向かったのは、有名な亀石。カメのような石でかわいらしい巨石。亀石は現在南西を向いているが、西を向いた時、大和盆地は泥沼になるという言い伝えがある。


厩戸皇子(聖徳太子)生誕の地とされる橘寺の参道入り口。


石碑の横にポツンと咲く花桃がいい。


橘寺で拝観料を払って中に入る。


橘寺境内には、聖徳太子を乗せて全国を駆け巡ったと伝えられる「黒駒」の像が建っている。


橘寺の本堂のすぐ横にあるのは飛鳥時代の石造物といわれる二面石。高さが1メートルほどの石の左右に善相と悪相が彫られており、人の心の二面性を表現しているといわれている。こちらは悪相。


反対側に回ると善相だ。


飛鳥寺に行く途中に寄ったのは、酒船石。長方形に近い形の花崗岩でできており、平らに加工された表面には、円、隅丸方形、楕円の窪みが彫られ、それらを直線で溝が結ぶ不思議な模様がある。酒造りに用いたと伝わることからこの名が付いたが、用途はいまだにわかっていないという。


酒船石のすぐ近くにあるのが飛鳥寺だ。


609年、当代一流の仏師であった仏師・鞍作鳥(くらつくりのとり)によって造られた日本最古の仏像。寺の意向で自由に写真を撮ることが出来る。


次の目的地とした石舞台古墳まで頑張って自転車を走らせる。


ここに来るのはもう何度目かになるが、石舞台古墳の巨岩に圧倒される。


巨石の下には大きな空間が広がっているのも凄い。


最後に向かったのは、キトラ古墳。名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎) から「亀虎」と呼ばれていたという説など、いろいろな説がある。石室の中で見つかった本格的天文図や四つの方位を守る神とされる四神や十二支の美しい絵などは、キトラ古墳壁画体験館四神の館で見ることが出来る。


この日は、午前中は山登り、午後はサイクリングといろいろ動き回ったが、さらに夜の予定があるので、飛鳥駅から京都に向かった。

参考1.三輪山の高低図&コースタイム


参考2.三輪山のコースマップ

2024大和三山登山

2024-04-16 17:55:23 | 山登り
大和三山とは、橿原市に位置する天香具山(あまのかぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)の三山をいう。奈良盆地中央にぽっかりと浮かぶように並んでいて、北に耳成山、東に天香久山、西に畝傍山がある。いずれも高さ200mにも満たない小さな山だが、姿が美しく、神話や伝説が豊富である。古代の人々は畝傍山を女性、他の2つの山を男性と考え、畝傍山をめぐって耳成山と天香久山が争ったという話が伝えられている。

先週末、大和八木駅をスタートして、近鉄の線路沿いに耳成山に向かって歩き出す。


耳成山の登山口に到着する。登山口には、耳成山にまつわる伝説などが書かれている。


10分もかからず、耳成山山頂140mに到着する。山名は、円錐形の美しい山容からで、余分なところがない=耳がないから転じたという由来がある。


山頂から少し下ったところにあるのは、耳成山口神社。


神社の中には、大和三山の絵が掲げられている。明日香村方面から見た絵で、3つの山が、盆地の中にぽっかり浮かんでいる様子が分かる。


神社を参拝した後、参道を歩いて下山する。


耳成山からは南に下り、天香具山方面に向かう。住宅地を抜けると広大な空き地が広がり、桜並木が見えてきた。


旗が出ているところで、わらび餅や団子を買い、桜の木の下でお花見休憩する。


北の方を眺めると、最初に登った耳成山が見える。


休憩した場所は、大和三山に囲まれ、日本で初めての本格的な都であった藤原京の藤原宮跡だ。


ここには、持統天皇が即位して8年目に藤原宮に遷都した年に詠まれた歌の歌碑が建てられている。「春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山」は、実に有名な歌だ。


レンゲ畑も広がっている。


藤原宮跡から東方向に向かうと、天香具山の登山口だ。


歩き出して数分で天香具山山頂152mに到着する。山頂近くには、国常立神社(くにとこたちじんじゃ)がある。


山頂は、なだらかな丘のようになっていて、どこが山頂か分からないが、表記板が付けられている場所で集合写真を撮る。


お昼を過ぎていたので、山頂前の広場でランチ休憩する。


下山は別ルートで下る。麓には、天岩戸神社がある。


天岩戸神社の本殿はないのだが、注連縄で封印された先には4つの巨岩が横たわっている。日の神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)が隠れた天岩戸と言われる巨石がご神体だ。天岩戸は日本の各地にあり、それぞれの地域で信じられているのだろう。


天香具山からは西方向に向かい、畝傍御陵駅を通り抜け、神武天皇御陵に寄っていく。


大和地方を平定した初代天皇である神武天皇の墓。玉砂利を敷き詰められた参拝道をすすむと正面に鳥居があり、静かで荘厳な雰囲気の場所だ。


橿原神宮の境内に入り、若桜友苑を通って畝傍山の登山口に入る。


若桜友苑からのルートは岩場が多く急登だが、それほど危険な場所はなく、大和三山の中では一番登り概のある山だ。


30分もかからず畝傍山山頂199mに到着する。


下山は、緩やかなルートを選ぶ。このあたりもまだ桜が咲いていた。


畝傍山下山のあと、最後に寄ったのは、橿原神宮。御祭神に、第一代天皇の神武天皇と皇后を祀る、格式高い神社だ。畝傍山の麓に約53万㎡もの広大な神域をもち、豊かな緑に包まれた境内には清々しい空気が漂っている。大和三山登山の最後は“日本のはじまりの地”といわれる「橿原神宮」が締めくくりだ。


橿原神宮に祀られる神武天皇の一生が境内の中に描かれている。内容を読んでいくと、神武天皇は45歳の時、宮崎から瀬戸内海を抜け大阪難波に上陸。しかし生駒の豪族に行く手を阻まれ、そのまま南下し熊野に入った。そこで3本足の「八咫烏」に出会い導かれ、吉野の険しい山を越えて大和に入り、周辺の勢力を従え大和地方を平定した。これが神武東征だ。そして紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)、橿原宮にて52歳で即位し、初代天皇となった。以降70年以上にわたる治世の後、古事記では137歳、日本書紀では127歳でお隠れになられたと記されていて、長命の天皇だったことを知る。


大和三山踏破を終え、橿原神宮駅から桜井駅まで移動。その後、三輪まで歩き、この日の宿となる町家ゲストハウス三輪に泊まる。三輪神社の麓に、木の香り漂う「檜風呂」を持つ非日常的な時間が流れているゲストハウスだ。


夕食が付いていないので、宿の紹介で隣にある焼鳥屋「鳥敏」で夕食をする。酒場放浪記で有名な吉田類さんもべた褒めのお店だった。


参考1.大和三山の高低図&コースタイム


参考2.大和三山のコースマップ

2024吉野山お花見ハイキング

2024-04-01 23:38:24 | 山登り
先週末、お花見を目的に奈良の吉野山を歩いてきた。吉野山とは、大峯連山の北の端から、南に約8kmつづく尾根一帯を指し、桜の名所として有名だ。谷や尾根を埋める桜は3万本ともいわれ、麓から下千本、中千本、上千本、奥千本と順に開花し、山を染めていく様子は見事である。また、2004年7月、吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、ユネスコの世界遺産に認定された。吉野山は山全体が世界遺産として登録されており、吉野水分神社・金峯神社・金峯山寺・吉水神社などの世界遺産の建造物を徒歩で回れることも魅力である。

今回の参加者は、全部で10人。吉野駅に全員集まったところでスタートする。吉野駅前には、桜をイメージしたピンクのポストが立っている。


さすがに世界遺産で桜の名所という事で、駅前は既に多くの観光客で賑わっていた。


歩き出してすぐに、川沿いに桜が咲いていた。


七曲のあたりもほぼ満開になっている。


参道沿いには、ミツマタの花も満開だ。


金峯山寺の銅鳥居(かねのとりい)前まで来た。北向きに建つ鳥居型の門で、重要文化財に指定されている。大峯山上に詣でるまでの間にある四門の最初にあたり、発心門と称され、菩提心を起こすところとされている。


金峯山寺の本堂である蔵王堂。蔵王堂は、白鳳年間に役行者が創建されたと伝えられている。この辺りからは桜は咲いておらず、この日が開花日くらいの状態だった。


とりあえず、本堂にお参りして集合写真。


東南院の多宝塔と枝垂れ桜は絵になる。


庭が有名な竹林院。


お昼を過ぎた頃、お腹が空いてきたので、小高い丘の上でランチ休憩とする。本来なら、このあたりでも満開の桜を見ながら休憩できるはずだったが、3月後半が思ったより寒い日が続いたせいで、予想より桜の開花が遅れてしまったようだ。多少は咲いている木もあるので、これで良しとするしかない。


花矢倉展望台からは、眼下に上千本、中千本、蔵王堂を見下ろせ、金剛・葛城・二上山を遠望できる。桜はほとんど見えないが、景色がいい場所であることは間違いない。


吉野水分(みくまり)神社の入り口に着いた。


水の分配を司る天水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神に玉依姫命(たまよりひめのみこと)以下6柱の神を祀る世界遺産の神社である。子守宮(こもりのみや)ともいい、子授け・安産・子どもの守護神として篤く信仰されているそうだ。


豊臣秀吉が子授け祈願をし、その子秀頼を授かったことから、現在の社殿はその申し子である秀頼が慶長9年(1604)年に再建したもので、桃山様式建築の三殿一棟の本殿・幣殿・拝殿・楼門・回廊は国の重要文化財に指定された美しい建築だ。


急登を上りきると高城山の山頂702mだ。奈古くは万葉集にも歌われている山で、鎌倉時代末期の元弘の乱の際には、後醍醐天皇の子供の大塔宮護良親王の詰城となったとされている。


金峯神社の坂下にある修行門。ここからは、本当に修行のような急坂が続く。


金峯神社の裏手に回ると、金峯山寺の僧兵の山狩りから逃れるため、源義経が身を隠したと伝えられている義経隠れ塔がある。追手に囲まれた義経が屋根を蹴破って逃げたと伝えられていることから「蹴抜の塔」(けのけのとう)とも呼ばれている。


さらに山を登っていくと、青根ヶ峰との分岐点に女人結界の石柱がある。「大峯奥駈道」へと続く修行の道だ。これより右方向へは女性は入ることが出来ない。


左側の分岐から青根ヶ峰858mに登る。吉野山の最高峰だ。


吉野水分神社の下まで戻り、近畿自然歩道の分岐から宮滝方面に下っていく。


宮滝への自然歩道は、吉野山の賑やかな風景とは打って変わり、静かな自然の中を進む。森の中の渓流沿いに歩けるのが、またいい感じだ。


谷あいには美しい滝も見える。


象(きさ)の小川の清らかな流れと鮮やかな朱塗りの社殿が印象的な桜木神社。


標高が少なくなってきたので、この辺りは桜を再び見られる。


宮滝に着いた。吉野川の上流にあり、巨岩奇岩が両岸に迫り、瀬と淵が交錯する景勝地であり、天武天皇・持統天皇がしばしば訪れた吉野離宮の跡と推定されている。


宮滝は、飛び込みの有名スポットだったそうだが、死亡者が続出したため現在は禁止になっているらしい。橋の欄干には柵が張られ、欄干から乗り出せないようになっている。


宮滝のバス停でコミュニティーバスに乗って大和上市駅まで行き、近鉄線、JRを乗り継いで帰路についた。満開の桜は残念ながら見ることが出来なかったが、世界遺産の吉野山と宮滝への自然歩道も歩き、思いのほか変化のある楽しい山歩きとなった。

参考1.吉野山の高低図&コースタイム


参考2.吉野山のコースマップ

2024金勝(こんぜ)アルプス

2024-03-18 09:14:30 | 山登り
先週末は、17年ぶりに滋賀県にある「金勝(こんぜ)アルプス」に出かけてきた。アルプスとはいっても一つの山の名前ではなく、標高605mの竜王山を最高峰とするいくつかの山々の集まりだ。風化した花崗岩が作り出す独特の地形が特徴で、ゴツゴツとした岩場が続く岩稜帯はアルペンムードがたっぷりの山である。また、コース上には岩場、鎖場、ロープ、渡渉、遺跡巡りと、アドベンチャー感満載で登山の面白さがギュッと詰まった楽しい山である。

登山口は、新名神草津田上インターからすぐの一丈野駐車場からだ。8時半に到着したが、駐車場は8割方は埋まっており、人気の高さが窺われる。滋賀からのメンバーも加わり、総勢10人でスタートする。


まずは普通の樹林帯の中を進む。


すぐに岩盤の上を歩くことになる。岩の上にはところどころに水が流れ、滑りそうだが、ちょっと面白そうな気分になってくる。




登山道脇は、シダ類に覆われ、ちょっとしたジャングル探検のような気分にもさせられる。


途中から脇道にそれて進むと出てきたのは、落ヶ滝。水量は多くはないが、約20mの高さから落ちてくる滝は見応え充分だ。黄色と黒の岩肌、要塞のような壁、落ち口の大きな岩、きれいな段々の流れ、非常に個性的だ。




落ヶ滝からは、元の登山道に戻り、先に進む。この後は、岩登りの道が続く。


岩肌の上を水がさらさらと流れ、滑らないよう気を遣う。


ロープを頼りに巨大岩の上りが、何度も出てくる。


雨水で削り取られた水路のような細い道を進む。


尾根伝いの道に出ると、一面岩だらけの峰々が広がっている。目指す天狗岩も目の前に見えている。これが金勝アルプスの醍醐味だ。


尾根筋には、巨岩が点在し、胎内巡りのように岩穴を通り抜けられる場所もある。


対面に見える天狗岩を遠望すると、岩の上に立つ人の姿が見える。我々もすぐにあそこまで行かなくてはと気がせく。


天狗岩の下の広場に着いた。


上の方を見ると、既に多くの人で賑わっているようだ。早速ロープを頼りに岩を駆け上がる。


岩をよじ登ったりしてついに天狗岩上部に到着する。少し前に、遠望して見えた場所に到着したのだ。


天狗岩の周りも岩岩だらけで、休憩できそうな場所もあったが、移動が結構大変で身軽でない人には一苦労しそうな岩が多い。人も多く、渋滞の原因になりそうなので、天狗岩下の広場まで戻り、ランチ休憩とした。


ランチ休憩後、少し歩いた先の展望スポットからは、天狗岩の全景が良く見える。まさに金勝アルプスのシンボルともいえる存在だ。


こちらは耳岩。耳の形に似ているのだろうか。


白石峰の分岐から、竜王山方面に向かう。すぐにあるのは茶沸観音。岩を舟形に穿ったくぼみに、石仏像が厚彫りされている。この石仏は、鎌倉時代に作られたと推定されているそうだ。ここで参詣者に茶のもてなしが行われていたことから、この名の由来があるという。


金勝アルプス最高峰の竜王山605mに到着する。


再び白石峰に戻り、下山道に入ると、「重岩」の奇岩が忽然とあらわれる。よくもこんな風に岩が積み重なっているものだ。ふと見ると、下岩の側面に石仏が線刻されている。


狛坂寺跡に到着する。


狛坂寺跡と向かい合うかたちで、大きな花崗岩の磨崖面には、三体の仏さまが刻まれている。これが、金勝アルプスでは有名な狛坂摩崖仏だ。高さ約6m、幅3.6mの壁面に高さ3メートル、顔幅70cmの阿弥陀如来坐像を中尊として、観音・勢至の両脇侍を刻み、その周囲に12体の仏像が半肉彫りされている。


ゴール間近に出てきたのは、逆さ観音。鎌倉時代の初め頃に刻まれた石仏だが、当初は逆さではなかったらしい。説明板には『大岩の一端は、下流の「オランダ堰堤」堤築造時、(明治二十二年完成)に石材の不足が生じて、それに使われたのです。そのため後にバランスを失った山上からずり落ちて逆さになったのです』と説明がされている。


通称「オランダ堰堤」は、草津川の上流にあたる滋賀県大津市上田上桐生町にある草津川の砂防ダムである。堰堤の下の水は冷たくてきれいだ。夏場になると、この場所で水遊びをする人が多いらしい。


この堰堤が「オランダ堰堤」とよばれる理由は、明治時代に来日したオランダ人技術者デレーケが堰堤築造の指導を行ったと考えられている。


オランダ堰堤を過ぎると、すぐに登山口である一丈野駐車場だ。通常6時間ほどのコースだが、ハイペースで、5時間18分でゴール。天気は最高で、寒くもなく、変化にとんだ山旅を楽しむことが出来た。

参考1.金勝アルプスの高低図&コースタイム


参考2.金勝アルプスのコースマップ

2024飛鳥ハーフマラソン

2024-03-13 21:21:31 | マラソン
1週間前にフルマラソンを走ったばかりだったが、飛鳥ハーフマラソンにもエントリーしていた。2022年の第1回に参加して以来、2回目の参加だ。明日香村内の史跡や遺跡周辺をくまなく回る面白いコースだが、アップダウンが厳しく、結構ハードな大会である。ただ、その分制限時間も3時間半と大分緩いので、完走率は95%以上と結構高い。ちなみにコースマップは以下の通りだ。

           (飛鳥ハーフマラソン大会公式HPより)

スタートは、キトラ古墳前の丘からだ。丘陵内の通路に数珠つなぎの状態でランナーが整列している。


スタートは午前9時だが、後方のブロックにいたので、スタート地点を通過するまでには数分を要した。


スタート地点には、ゲストランナーのワイナイナさんや川内優輝さんが声援を送ってくれている。彼らは、最後尾からランナーを追いかけてあっという間に前に飛び出していった。


最初の折り返し地点。飛鳥寺が近い。


沿道では、黄、赤、青の衣装で揃えた可愛い園児たちが応援してくれている。


甘樫の丘前を通過。


飛鳥水落遺跡前のエイドを通過。斉明女帝の息子である中大兄皇子が造った我が国初の漏刻(水時計)の建物跡だ。


最初の給食エイドで出たのは、あすかルビーのくずアイス。明日香村の名産イチゴを葛で固めて冷凍したアイスだ。ハーフマラソンでこれだけの給食が出るのはちょっと贅沢ともいえる。


小学生たちの応援を浴びながら、石舞台古墳方面に向かう。


コースの途中から、石舞台古墳が見える。


この大会の最難関である激坂の上りに入る。


激坂の折り返し地点前にあるエイドでは、ノンアル甘酒が提供された。


折り返し地点に到着。長かった上りが終わり、ここから下りとなりやっと走って行ける。


太鼓の応援に元気づけられる。


後半の上り坂を進むランナーの列が見えるが、そこまで行けるのはまだまだ先であるだ。


飛鳥川の上に掛け渡された男綱を見ながら走る。豊作と子孫繫栄を願い、川下からの災厄や疫病を封じる意味合いがあるとされる奥飛鳥のシンボルだ。


最後の給食エイドでは、古代米柿の葉寿司が出た。通常、ハーフマラソンでは、飲み物と簡単な飴やチョコくらいしか出ないのだが、これだけの給食が提供される大会は他には聞いたことがない。


しばらく前に見えていた後半の上り坂にやっとたどり着いたが、さすがにもう歩くしかない。


坂道の途中に見える菜の花が美しい。


坂道の上からは、起伏に富んだ明日香村の景色がよく見える。桜も咲いている。


文武天皇陵が見えてきた。


高松塚古墳前を通過。


高松塚古墳公園を抜けると残り1キロ。ゴールまでの緩い上り坂が、まったく走れない。1週間前のフルマラソンの疲れが残っていたのか、ラストスパートもできずなんとか無事にゴールする。


フィニッシュ後には、あすかルビー🍓を1ついただく。これが甘くて美味しかった。フィニッシュ会場には、模擬店がたくさんあり、空腹を満たした後、レンタサイクルで石舞台古墳に寄りながら、宿泊先の宿に戻り、帰路についた。明日香村は、坂が多いのでレンタサイクルに乗るなら電動が楽だというのが一番の収穫だった。

2024明日香村等観光

2024-03-12 21:33:26 | 観光
先週末は、飛鳥ハーフマラソンに参加するため明日香村に出かけていた。明日香村は何度か行ったことがあり、今回で3回目となるが、面白い遺跡や文化財が数多くあり何度行っても興味深い。

まず、最初に立ち寄ったのは、飛鳥資料館だ。日本の心のふるさと「飛鳥」の歴史と文化を紹介する資料館である。飛鳥は、古代国家が誕生した場所として広く知られ、592年に推古天皇が豊浦宮に即位してから、694年に持統天皇が藤原京へ遷都するまでの約100年間、飛鳥には天皇の宮殿が継続的に営まれ、政治と文化の中心として栄えた。壮麗な宮殿、石組みの苑池や噴水施設、時を告げる水時計(漏刻)、猿石や亀石などの石造物が造られ、石舞台古墳などの古墳も造られていた時代だ。キトラ古墳・高松塚古墳には大陸風の極彩色壁画が描かれた。資料館には、これらの数多くの資料が展示されている。

資料館の庭には、いろいろな石造物のレプリカが置かれている。一番目立っているのが、そのユーモラスな顔つきから明日香村観光のシンボルともなっている亀石だ。


二面石のレプリカ。善面と悪面2つの顔をもつ石造物で、実物は橘寺境内にある。


石人像のレプリカ。盃を口にあてた男性に女性が寄り添う形をしていて、古代の噴水施設とされている。本物は、飛鳥資料館内で見学できる。


高松塚古墳の西壁女子群像の顔ハメ。


この他にも、数多くの発掘調査でみつかった遺構や遺物の資料が展示されていて、埋もれていた歴史を垣間見ることが出来、興味深い。明日香村には、なつかしい田園風景の中に、はるか古代の遺跡があちこちに点在しているが、目に見えるものだけでなく、地面の下にも『日本書紀』や『万葉集』の風景が未だに埋もれているという。

その後、立ち寄ったのは岡寺だ。正式には、『東光山 真珠院 龍蓋寺』となるが、古くからこの土地の名から『岡にある寺』=『岡寺』として親しみもこめて呼ばれており、現在でも正式名の『龍蓋寺』よりも『岡寺』と呼ばれている。真言宗豊山派に属しており西国三十三ヶ所観音霊場の第七番札所で、日本最初のやくよけ霊場としても知られている。

大師堂。宗祖 弘法大師が御本尊。お堂の前には大師の幼少期の『稚児大師像』と四国の地を巡り修行していた頃の『修行大師像』が建っている。


三重宝塔。軒先に吊るされた琴は全国的に見ても復元されている例はなく、珍しいという。夜間には、ライトアップされて一際目立つ塔だ。


厄除鐘。厄除のため誰もが自由に突けるのがありがたい。


三重宝塔から見た岡寺の全景。


岡寺本堂。本堂には、奈良時代の制作にかかる巨大な如意輪観音座像が本尊としてまつられている。塑像(土でできた仏像)としては日本最大の仏様で、日本三大仏にもあげられており、重要文化財に指定されているという。


本堂の前では、西国三十三ヶ所観音霊場巡りの団体の人たちが、熱心にお経を上げていた。


岡寺のすぐ下の民宿に泊まる予定だったので、そこでレンタサイクルを借り、他の観光スポットを回る。最初にレプリカの亀石を見たが、やはり本物がいい。畑や住宅の間に突然現われた巨石が亀石だ。重さ10トンを超す花崗岩に亀の顔が巧みに彫られているが、何のためにここにあるのかは謎とされている。亀が西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むという言い伝えが残っているそうだ。


次に向かったのは、飛鳥寺だ。588年蘇我馬子が建てたと伝わる日本最古の本格的仏教寺院。大化の改新の主役、中大兄皇子と中臣鎌足が知り合ったのも飛鳥寺の槻木の下で行われた蹴鞠(けまり)の会であったといわれている。


飛鳥寺のご本尊である飛鳥大仏。609年、当代一流の仏師であった仏師・鞍作鳥(くらつくりのとり)によって造られた日本最古の仏像だ。通常、ご本尊は撮影禁止のところが多いのだが、飛鳥大仏だけは撮影OKなのだ。そして、大仏様の表情が、見る方向によって表情が違うという。右から見ると、目尻が長く、口元がキュッと締まっている。


対して、左から見ると、ちいさな口元で柔和なやさしい表情に見える。


夕方近くとなり、寒くなってきたので宿に帰る事にしたが、途中にあった酒船石にも寄っていく。長さ5.3m、幅2.27m、厚さ1mの石の平坦な上面に奇妙な溝が彫られている。昔、酒の醸造に使用されたという言い伝えから酒船石と言われるがいろいろな説があるようだ。


翌日、マラソンを走った後、石舞台古墳を見ていく。6世紀の築造。巨石30個を積み上げて造られた石室古墳。その規模は日本最大級を誇る。盛土が失われて、露出した天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と呼ばれる。石の総重量は推定2,300t、古墳最大の巨岩である天井石は、南側が約77t、北側約64tもあるという。この巨大古墳が誰の墓なのかは不明であるが、付近に蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の墓ではないかとの説が有力だ。


開口部から中に入ってみる。


石室の長さは19.1m、玄室は高さ約4.7m、幅約3.5m、奥行き約7.6mといい、如何に巨大な石室だというのがよく分かる。


入り口の案内看板には、石舞台古墳をどうやって作ったのかという解説が載っていたが、膨大な年月と労働力がかかったのではないかと思われる。当時の権力者の力の強大さを窺い知れる。


帰り道の最後に寄ったのは、橿原市の今井町だ。戦国時代に称念寺を中心に発展した寺内町で、東西約600m、南北約310mの敷地に、約600件の建物が建ち、うち約500件が伝統的建造物。その数は全国の中で最も多く、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。防衛のため町を環濠で囲んだ城塞都市で、織田信長との戦いで町を守り抜いた功績を称えられ、自治権が与えられた。以降、商業都市として発展を遂げ、「海の堺 陸の今井」と呼ばれるほど、豊かな経済力を手に入れる。江戸時代になると独自の紙幣「今井札」を流通させ、「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁栄したという。


現在も江戸時代の風情を残す町並みは、映画やドラマの撮影に使われることもあり、多くの人が訪れる観光地として注目されている。江戸時代の建築物内部の見学だけでなく、町家を改装したお店でランチやティータイムを楽しむこともできるのがいい。知り合いから奈良に行ったらぜひ寄ったらと聞いたので、初めて寄ってみたのだが、これほどの広範囲で江戸時代の風情を残す町並みが残っているとは思いもよらなかった。


旧米谷家住宅。かつて「米忠」という屋号で金物屋を営んでいた豪商の旧家。今井町では珍しい広い土間には大きなかまどが残り、土間を抜けた先には数寄屋風の蔵前座敷もある。裏庭の縁側は、CMのロケ地として話題になったそうだ。


見学できるのは、17時までと言うことであまり時間もなく、とても全部を見て回ることはできなかった。奈良県には、まだまだ知らない名所がたくさんあることがよく分かった。

2024岡の里名水マラソンツアー:3日目別府観光

2024-03-07 18:23:28 | 観光
最終日は、早朝に宿を出て別府市内に向かう。大分県と言えば、観光の王道は別府だ。まずは、4年前コロナ禍で入園できなかった高崎山自然動物園に行く。

高崎山自然動物園には、大分マリーンパレス水族館「うみたまご」の駐車場から、国道10号にかかる陸橋を渡っていく。


陸橋の下は、片側2車線の国道10号が通っており、交通量は激しい。


陸橋を渡りきったところに、階段とエレベーターがあり、高崎山自然動物園の入園受付に行ける。


高崎山のサルの餌付けは、高崎山山麓の万寿寺別院の境内である。まずは、小型モノレール「さるっこレール」で餌付け場に向かう。モノレールを降りると、すぐ目の前に、多数のサルが我が物顔に歩き回っている。


サルへの餌付けは、30分に1回行われるとあって、もうじきその時間になるとあって、係員の周りには、多くのサルが集まってきていた。


餌の小麦を撒き始めると、一斉にサルが集まり始め、その勢いはものすごい。


地面に落ちた餌を一つ一つ摘まみだしている様子が可愛い。


高崎山のサルは、野生で国の天然記念物に指定されている。終戦直後には200頭程度にまで増えて農作物への被害が深刻となったため、狩猟などによるニホンザルの駆除が試みられたが失敗する。これを耳にした当時の大分市長が、駆除に代えて餌付けし観光資源として利用しようとしたのが高崎山自然動物園の始まりだという。

高崎山自然動物園を後にすると、次に向かったのは、有名な地獄巡りだ。大分県別府市に位置する鉄輪・亀川の地獄地帯は、1000年以上も前より噴気・熱泥・熱湯などが噴出していて、近寄ることもできない忌み嫌われた土地だったそうだが、明治時代に遊覧施設を整え入場料を徴収したことをきっかけに、観光としての「地獄めぐり」が始まったという。

別府地獄めぐりのスタートは「海地獄」。約1300年前、鶴見岳の噴火によって誕生したといわれている。


コバルトブルーの池は地獄とは思えないほど美しいが、泉温は98度で深さは200mもあり、まさに地獄。海地獄は国指定名勝でもあり、敷地内は自然に囲まれた庭園が広がり、季節に応じた色とりどりの景色を楽しめ外国の観光客が多かった。


2番目に向かったのは、鬼石坊主地獄。


灰色の熱泥が沸騰する様子が坊主頭に似ている事から「鬼石坊主地獄」と呼ばれるようになったという。ポコポコと音を立てながら沸騰する様子は、つい見入ってしまう。




かまど地獄は、1〜6丁目まで6つの地獄がありバラエティ豊かな地獄だ。


気温や天候によって色がかわる地獄がある。




線香の煙を浴びせると、白煙が発生する様子をスタッフが実演してくれる。




鬼が出迎えてくれるのは鬼山地獄だ。


鬼山地獄は別名「ワニ地獄」とも呼ばれており、その名の通り沢山のワニが飼育されている。1923年、日本で初めて温泉を利用したワニの飼育施設である。ただ、ほとんど微動ともしないワニを見ても面白くない。


5番目の地獄は白池地獄。


落ち着いた雰囲気で、美しい日本庭園の作りになっているのが大きな特徴。また温泉蒸気熱を利用した熱帯魚館も併設され、その中には生きた化石と言われるピラルクやピラニアなど、珍しい魚がいる。


約1億年間ほとんど姿が変わっていないと考えられているため、「生きた化石」と呼ばれているピラルクの剥製。


6番目、7番目の地獄は3キロほど離れているので、車で移動する。

日本最古の天然地獄として知られている血の池地獄は、赤く染まったドロドロ熱泥が迫力満点だ。




血の池軟膏売り場左手の階段を登ると血の池地獄を一望できる撮影スポットがある。


最後は国指定名勝の龍巻地獄。ほかの地獄と違い間欠泉の地獄となる。世界でも間欠泉の温泉はあるが、龍巻地獄は噴出周期が短いことが特徴。一定の周期で噴出しており、屋根が取り付けられているが、この屋根がなければ約30mも吹き上がるという。


別府の地獄は、地獄組合という団体に加盟している7ヶ所の地獄が一般的であるが、加盟していないフリーの地獄もあるらしい。

時間的に余裕があったので、鉄輪温泉の少しはずれの高台にある眺望絶景スポットにある貴船城に立ち寄る。鎮西八郎為朝(源為朝。源頼朝、義経兄弟の叔父)が平安時代末期に砦を作ったと言われ、その為朝の砦を思い復元したお城だそうだ。


城内に入ると、代々飼われた大白蛇金白龍王(きんぱくりゅうおう)に触ることができる(撮影禁止)。白蛇に触ると金運がゲットできるという。また、お城の中には歌川広重の東海道五拾三次浮世絵が55枚揃った展示や2階には狩野探幽の屏風絵など江戸時代の様々な物が展示されている。

お城の庭からも絶景だが、3階の天守閣からの眺めは四方見渡せ、鉄輪温泉の湯けむりや別府湾が間近に見えて素晴らしい。




別府観光の最後は、やはり温泉だ。100%源泉かけ流しで、創業大正11(1922)年の100年続く温泉施設「ひょうたん温泉」で、男女別の内風呂や露天風呂、蒸し湯、瀧湯、浴衣を着て利用する砂湯などバラエティに富んだ風呂を楽しみ帰路についた。