ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんの語る郷土の歴史(261) 近世の加印地域 高砂篇(40)、工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛(11)・松右衛門の夢

2018-08-14 07:34:18 | お爺さんが語る郷土の歴史

      松右衛門の夢

 若い松右衛門にとって、高砂は刺激にあふれた町でした。

 いっぱい荷物を積んだ出船、入船があり、そのたびに賑わいがありました。

 「あの船は、どこから来たのだろう・・・どこへ行くのだろう・・・」と、まだ見ぬ世界への思いをつのらせました。

 大人から、兵庫・大坂・江戸の町の賑わいのようすも聞かされて育ちました。

 こんな風景の中で松右衛門は育ち、夢を膨らませたのです。

      松右衛門、15歳で兵庫港へ

 『風を編む 海をつなぐ』(高砂市教育委員会)は、松右衛門の少年時代を次のように書いています。

 ・・・・

 松右衛門は、漁師の長男として高砂町東宮町(ひがしみやまち)に生まれた。

 幼い頃から舟に乗り、一日のほとんどの時間を海で過ごした。

 彼は持ち前の好奇心で海をよく観察し、こつをつかんでは漁に生かした。

 たとえば、魚釣りの糸の手ごたえだけでかかった魚の種類がわかるようになったり、どの季節のどの時間帯に、どんな魚がどこに群れるかを知るようになったりした。

 松右衛門がねらいをつけて網を打つと、それが外れることはなかったという。

 ・・・・・

 そして、少年であった松右衛門は、漁をするための小船に乗りながら、高砂の港にさまざまな物が運び込まれ、それらが兵庫津へと向かっていく様をじっと観察していたに違いありません。

 「いつかは自分の船をもって日本各地をかけめぐりたい」という思いを強くしたのだしょう。

 このように、漁師として十分な技量を備えていた松右衛門でした。

 15 才の時、高砂を飛び出し、当時にぎわいを見せていた兵庫浜へ向かったのでした。(no4557)

 *写真:『風を編む 海をつなぐ』(高砂市教育委員会)

 ◇きのう(8/13)の散歩(10.395歩)

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