・米軍の占領統治下でのGHQの基本方針は、「日本の弱体化」だった。そのため初期の対日政策では、軍事面・財政面・法制面などあらゆる面で日本の体力が削られ、弱体化は完成するかに思われた。

  ・ところが、この計画は完成しなかった。GHQの方針に、ブレが生じ始めたのだ。GHQ内部にある二つの部署の対立、いわゆる「民政局 (GS) 」と「参謀第二部 (G2) 」の対立だ。

  ・最初に力を持ったのは、民政局 (GS) だった。GSは、マッカーサーの側近で日本国憲法の草案作成を指示したホイットニー准将が局長を務めていた(実際の作成担当は、彼の部下ケーディス)。彼は日本弱体化のため、かなり革新的で冒険的な実験的政策を行った。

  ・「日本はどうやら、保守的な思想が軍国主義につながったらしい。ならその逆の“革新”を指向すれば、相当弱体化できるはず。この際、いろいろ試してみよう」

  ・ホイットニーはこう考え、日本国憲法をはじめ、労働組合の育成、政治犯として投獄されていた日本共産党幹部の釈放、社会党・片山哲の首相推薦と、保守派が絶対やらないような政策ばかりを実施した。

  ・まるで「社会主義化の実験場」だ。その様子は、無抵抗でぐったりした日本に新薬を投与し続け、事実上の去勢状態を作り出しているかのようだった。

 以上の意見は「ねこ庭」の読書で知っていた内容ですが、これから先が違います。

  ・ところが、ここまでやっておきながら、GSはこの後失速する。GSに集中した絶大な権力が汚職の蔓延につながり、延命を図る日本の企業や政治家連中からの賄賂が集中したとのことだった。

  ・この辺は事件ではなく陰謀だとする説も多分にあるが、とにかくこれが原因でGSは力を失い、ライバルの参謀第二部 (G2) の台頭を許すことになる。

 「ねこ庭」の読書では、アメリカの対日政策転換の原因は下記の2つと教えられ、GS内に蔓延した汚職とは初めて聞く話です。

   1.  昭和22年の共産党主導による 2・1 ゼネス   2.  昭和25年の朝鮮戦争の勃発

  ・新しく伸びてきたG2はGHQ内の保守派で、“ 対冷戦の情報機関 ” 的な部署だった。

  ・こちらのトップはウィロビ少将。強固な反共産主義者として知られていたウィロビーは、アジアにおける社会主義の台頭を脅威に感じ、トルーマン大統領に日本を「反共の砦」として利用するよう進言した。

  ・この方針転換がきっかけで、日本はアメリカン・ファミリーに迎えられることになり、アメリカのために役立つ駒になるべく、がっつり体力をつけ直させてもらうことになった。いわゆるGHQの “右旋回” だ。

  ・この方針変更を、今や没落したGS、かつてはGHQの中心に立って日本弱体化計画を進めてきた、GSのナンバー2、チャールズ・ケーディスは怒った。

 ここから低俗週刊誌のゴシップ記事のようになりますが、まんざら嘘でもなさそうなので紹介します。

  ・「くそG2め。せっかくマッカーサーの大将やホイットニー兄貴が、注意深く日本にパンと水しか与えてこなかったのに、いきなりテンプラやスキヤキを食わせやがって。」

  ・「しかも、社会主義の毒までせっせとばら撒いてきたのに、今度は社会主義と戦うだと?」「何なんだ、この “回れ右” は ! ? これじゃ今まで弱らせてきた苦労が水の泡だ。」

  ・彼はトルーマンに直訴しようと帰国した。だがトルーマンは、もともとガチガチの軍人であるマッカーサーを嫌っており、マッカーサーの弱体化路線の継続をいくら訴えても聞き入れてもらえず、結局ケーディスはそのまま辞任した。

  ・GHQではこの後G2が実権を握り、それと同時にウィロビーととても「仲よく」していた吉田茂が首相になり、ここから弱体化とは逆の方向、すなわち “戦後復興” が本格的に進み始めるのだった。
 
 アメリカの対日政策の転換のきっかけは、力をつけて来た「スターリンのソ連」への警戒心と、昭和24 ( 1949 ) 年に設立した「毛沢東の共産党中国」でした。当時アメリカは蒋介石を中国のトップとし、毛沢東の共産党を統合してソ連に対抗する友好国を作ろうと政策を進めていました。
 
 計画を台無しにしたのが蒋介石の無能さだったと言われ、アメリカの支援を失った彼は台湾へ追われることになります。アメリカは台湾に代わるアジアの友好国を探しますが、日本しかなかったため対日政策の転換になったと、私はGSの腐敗説よりこちらの方が正しい意見でないかと考えています。

  ・マッカーサーが弱体化路線をとっていた頃は、日本に舗装道路一本造ることすら渋っていた。

  ・そう考えると、戦後復興用にアメリカがやってくれた事柄のすべては、「主権者である GHQ ( アメリカ)が心変わりし、日本を復興させる気になった。」から実現したものばかりなのだ。

 現在の日本の属国状況を見ていますと、影山氏の意見も一つの要因かという気もします。どう判断するのかは、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に預けることとして、次回は次へ進みます。

 〈 2. 令和4年7月29日  遠藤誉所長の考察 〉