※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。
【大戦中での決定事項】
【大戦中での決定事項】
この戦争中に決定されていたこと、これを次に見ていきます。
1番目、一番早かったのは、日本が真珠湾攻撃をする前から決まっていた。国際連合を作るということ。1941年8月に決まった。真珠湾攻撃はその年の12月です。4ヶ月も前に決まっている。これが大西洋憲章です。
アメリカのルーズベルトとイギリスのチャーチルが軍用艦の上で密かに会談し決まった。これが国際連合です。そして場所をそれまで国際連盟があったスイスのジュネーブから、アメリカのニューヨークに移す。しかもその場所はロックフェラーの私有地であったものを譲り受けます。
1番目、一番早かったのは、日本が真珠湾攻撃をする前から決まっていた。国際連合を作るということ。1941年8月に決まった。真珠湾攻撃はその年の12月です。4ヶ月も前に決まっている。これが大西洋憲章です。
アメリカのルーズベルトとイギリスのチャーチルが軍用艦の上で密かに会談し決まった。これが国際連合です。そして場所をそれまで国際連盟があったスイスのジュネーブから、アメリカのニューヨークに移す。しかもその場所はロックフェラーの私有地であったものを譲り受けます。
2番目が、戦争が終わる1年以上前、1944年7月には、戦後の貿易のあり方について、特に通貨制度について決定している。これがブレトン・ウッズ会議です。これはアメリカの地名です。
ここで世界の基軸通貨はアメリカのドルになった。これは政治経済で言ったことといっしょです。本物のお金というのは紙幣じゃなくて金(キン)なんです。この時もそうです。
1万円札つまり日本銀行券というのは、日本銀行に「お願いします」と持っていけば、本来は1万円金貨と交換できるものなんです。今はこれを停止している。これで日本の円や他の通貨は・・・このときまでは金と交換できたのに・・・金と交換できなくなった。
他の通過を金と交換させない。これがドルです。今までみんな、自国の通貨で金と交換できていたのが、ドルでしかそれができなくなった。もし日本政府が金(きん)が欲しくなったら、まず円でドルを買い、そのドルでまた金を買うことになる。二度手間です。もしアメリカがドルを売らなくなれば、金(きん)は変えません。
円とドルの交換に手数料も発生します。けっこう高いんです。海外旅行の時、空港で交換したりしますけど、かなり高いです。こういう他の通過とドルとの交換をアメリカの銀行がやる。全部アメリカの収入になります。ただこれはまだ小さいことです。本当の狙いは別にあります。
30年後の1971年にドル・ショックというのが起こって、金とドルの交換ができなくなった。できなくなったらもとの形に戻って、どこの国の通貨でも以前のように金と交換できるようにしなければならない。しかし戻らない。矛盾しているんですね。アメリカのドルが世界の基軸通貨になったのは、アメリカのドルだけが金と交換できる唯一の通貨になったからです。そのドルが金と交換できなくなったら、当然ドルは基軸通貨ではなくなるはずです。しかし、そうはなってない。今もその矛盾が解消されていません。今もドルが世界の基軸通貨の地位を占めています。
恐慌というのは、ずっとアメリカから起こります。1929年の恐慌も、そしてつい10年前のリーマン・ショックもそうです。金融と通貨制度はどこかに矛盾があり、今も不安定です。この矛盾を知れば少しは安定するでしょうけど、逆にその矛盾を突いて利益を自国に誘導することもできます。今世界で起こっていることはそういうことです。
円とドルの交換レートが戦後決められたのは正式には1949年ですけど、1ドルは360円というレートになります。この時には固定相場制です。これが1971年に、現在のような変動相場制に変わります。この変動相場制が名前のとおり変動して不安定なのです。
平成日本はこれでやられました。円高で日本製品が売れなくなりました。それに対してドルは一貫して安くなっています。人民元も一貫して安くなっています。円だけが一貫して高くなっています。
そして国連の専門機関として・・・本来これは国連とは関係ないけど・・・国連にくっつけた国際金貸し機関、IMFとIBRD、漢字でいうと国際通貨基金と世界銀行とを設置します。恐慌が起きてすぐにつぶれそうな国の金融機関には、ここがお金を貸す。一兆円貸しますよという。ただし、条件ががっぽりつきます。非常にアメリカに有利な制度になっている。韓国なんかは、これにやられてひどいものです。
それから、3番目、国際連合の具体的枠組が、1944年8月のダンバートン・オークス会議で話し合われる。
そして正式に国際連合が発足したしたのが1945年4月です。日本の敗戦はその年の8月だから、まだ戦争は終わっていません。日本が一番苦しみもがいている最中です。その4カ月も前に、アメリカのサンフランシスコでサンフランシスコ会議という国際会議が行われて、ここで国際連合が正式に発足する。
紛争が起きたとき、それをどうするか、軍隊を派遣するかどうかの決定は、その一理事会である・・・総会ではなく理事会であるというところがミソですね・・・安全保障理事会で決められる。
安全保障というのは、交通安全とかそんなものではないですよ。とんでもないです。これは戦争のことです。戦争という言葉を使わずに、安全保障という言葉を使います。ここにも言葉のアヤがあります。戦争はイヤですが、安全保障は良いことです。でもこの二つは同じことです。言葉に騙されてはいけません。
問題はこの決定権が五つの国にしかないことです。国際連合はみんな対等だ。でも戦争するしないは、たった五つの国、この五つの国が常任理事国といって、すべて第二次世界大戦の勝者です。米・ソ・英・仏・中です。国の頭文字ですけど、米がアメリカとか言わなくていいでしょう。
これは全部、完全一致しないといけない、逆に言うと、米戦争するしないで意見が合わなかった場合、俺は戦争しないと、一つでも言えば決定できない。こういうのを拒否権といいます。普通はこれを発動するのは、アメリカかソ連です。
時間の流れを見ると、日本が負けたときにはすでにこういう枠組みが決まっています。
この後の日本はアメリカに占領されて主権はありません。主権のない国は国ではありません。これは政治経済の教科書に書いてあることです。そんな中で日本は、ここですでに決まっている枠組みに合うようにつくりかえられます。
これで終わります。ではまた。