How many rivers must I cross? I don't know...

幸せになりたくて川を渡る・・・

Her squint ~ 言葉と旋律と青い衝動

2018-07-10 08:21:31 | 音楽徒然

何かを表現しようと思った時に、その手段として僕が最も得意なのは文章だと思っていた。

時には身を削るような思いをしなければならないこともあるが、多くの場合は容易く感じた。

考なくても言葉が出てくるし、もし出てこないときには考えれば出てくる。

要するに僕にとって言葉は必ず出てくるものだった。

そしてそれは今も変わらず感じている。

僕が表現する手段としては、言葉が相応しい。

ただし、あらゆる語彙の持ち合わせはない。

 

 

 

でも若い頃の僕は言葉だけではなく、言葉と旋律という表現方法を選んだ。

何故そのような選択になったのか。

それがこのエッセイの主だった題のひとつではあるのだが、語り始めると相当な長文になりかねないので手短に伝えよう。

 

「小説を書きたいと思ったが自分には書けないと悟った。

寧ろ、散文詩のような短い文章の方が自分は勝負できると感じた。

しかし日本文学における「詩」というジャンルは今後も存在し続けるのか疑問に感じる。

ならば僕は寧ろその散文詩を旋律に載せて届けよう」

大まかに言うとこういうことだった。

 

 

そもそも僕は大した読書家ではなかった。

触れた書物の数など僅かなものだ。

寧ろ接していた時間は音楽の方が圧倒的に長かった。

しかし、幼少期に音楽教育を受けたこともなければ楽器の演奏もできない。

言葉を綴るように容易く旋律を紡ぐことなど出来ない。

自分が旋律を紡ぐには、鼻歌しか方法はなかった。

これでは勝負できない。

誰かに曲を提供してもらえるのを待っていたら歳をとるだけだ。

遅すぎたと悔みながら、僕は二十歳を過ぎてから作曲のためにギターを手に取った。

 

 

 

先ずはコード(和音)というものを知らないと演奏も作曲も出来ないだろうと考え、僕はお気に入りの曲のコードを調べてガチャガチャとギターを掻き鳴らしながら口ずさむということから始めた。

自分にとってのギター・ヒーローが居たわけではないから、ソロやリフをコピーして練習するなど一度もしたことがない。

「自分は作曲のために楽器を手にしたのだ」という最初の思いのまま、ただ只管コードフォームを覚えて旋律を口ずさみながらギターを鳴らし続けた。

ある程度コードフォームを体得した後、さすがに音楽理論を一切知らないというのでは宜しくないと考え、基本的な理論は学んだ。

「そうか、楽曲というものはこうやって出来ているのか」。

 

 

このようにして僕は曲を作り始めた。

「誰それのナンタラという曲みたくなるといいな」。

漠然としたイメージだけで作曲を始めたごく初期に、ほぼ同時に3曲仕上がった。

完成イメージとして考えていた元ネタの曲のコードを調べるなどすると、どうしても真似になってしまうだろうと考え、敢えてコードは知らないままイメージだけで作った。

そのうちの一曲が、その後の僕にとって特別な意味を持つ曲になるのだった。

 

 

 

“Her squint”

それをその曲の名に冠した。

自作曲についての解説など、小説の作者あとがきのようなもので最高に馬鹿げていると思うので、詞の内容に関しては詳しいことを書くつもりは一切ない。

時間があれば “squit” という語の意味を調べてみてくださいということだけは言っておこう。

 

 

 

当時一緒に音楽活動をしていた仲間で、”Her squint” のデモ音源を録音した。

編曲された自作曲を自身で演奏し、それを録音して聴いてみる。

捲るめく体験だった。

楽曲としては何も難しいところはない。

技巧的なことは一切していないというか出来ない。

基本的で簡単なコード進行で、素人臭が色濃く漂っていた。

しかし、僕はそこに載せた旋律には自負があった。

いいメロディが出来たなと、自画自賛ではあるけれどそう自負していた。

 

 

「なんでこんな爽やかなM7(メジャー・セヴンス)が続くような曲に、こんな思い詰めた詞を載せるのかな?」と言われたこともある。

確かに一般的にはM7コードのイメージは「清涼感」「広がり」などとされている。

でも僕はM7コードには「不安感」「一抹の寂しさ」「切なさ」「哀愁」を感じる。

だから、思い詰めた詞(詩)で良いのだと思った。

 

「随分ヴィジュアル色の強い詞だね」と言われたこともある。

でも考えてみて欲しい。

例えばThe Smiths の曲を日本のV系バンドが演奏してもさほど違和感はないだろう。

The Smiths の楽曲群で歌われる詞の唯美的な部分をデフォルメすると日本のV系バンド的になるだけなのだ。

デフォルメしないならばThe Smiths のような見た目のバンドがやっても違和感ないでしょう。

 

 

こんなことを言えるくらい、僕はこの曲 “Her squint” に自信を持つようになっていた。

いかにも素人の所作であるのにすっかり足元を見失っていた。

そしてここには書いてはいないけれども、この曲に纏わるエピソードも含め、僕にとってこの曲はとても特別な曲になっていった。

最初のコード「AM7(エー・メジャー・セヴンス)」は当時も、そして今でも、チューニングを終えたギターを抱えて、最初に鳴らすコードだ。

そして勿論、弾き語りをするときはAM7(エー・メジャー・セヴンス)を鳴らしてそのままこの曲の演奏を始める。

凄くスローな、弾き語り用のヴァージョンで歌う。

最後にもう一度、この曲を演奏して終わる。

そんな特別な曲なのだ。

 

 

 

 

この曲のデモ音源を録音したときに、ごく短い期間ではあったけれど一緒に音楽活動をしていたSHさんとは袂を分かつことになるのだが、その後も暫く親交は続いた。

SHさんが新潟に、僕が岐阜に帰郷した後も、僕は新潟までSHさんに会いに行った。

しかし僕を取り巻く環境がどんどん変わっていった。

音楽に触れる時間など全く取れないくらい、毎晩日付が変わるまで仕事をしなければならないような日々が何年か続いた。

更に僕がメンタルな病を抱えてしまうことになった。

残念ながら、親交は途絶えてしまった。

 

「SHさんは今頃どうしているのかな」。

音楽全般に長けた人と会ったりする度に、僕はSHさんを思い出した。

「あの人が音楽を生業としないなんて日本の音楽界はどうかしている」くらいに思っていた。

それくらい凄い人だった。

これまで出会った音楽家で(敢えてこの言い方をしたい)最も尊敬する人だった。

 

 

ふと悪戯心で、とあるSNSでSHさんのことを検索してみた。

ヒットした。

故郷で音楽スタジオとイヴェント・スペースを兼ねたような施設を経営されていた。

音楽を生業としていらっしゃる。

軌道に乗っているようだった。

輝いている様が伝わってきそうなほど充実しているように感じた。

「僕のことなんか忘れちゃっただろうな」と思いながらフォローだけした。

 

 

「もしかして、高円寺で一緒にやっていた鮭一くんかな?」

返信が届いた。

SHさんは忘れていなかった。

覚えていてくれた。

また遣り取りが始まった。

 

 

「今度3周年のイベントをやるんだよ。あの曲を一緒にやろうよ」と声をかけてもらえた。

とても嬉しい。

あの特別な曲を実演する場を与えてもらえるなんて、夢のような展開だった。

ただ、僕はもう現役を退いて長い。

人前で演奏することからもうずっと遠ざかっている。

 

ということで、目下特訓中です。

 

 

Her squint    (詩・曲:襖澤 鮭一)

 

綺麗に言葉を並べ立てても あらゆる語彙の持ち合わせはなく

すり抜ける すり抜ける 目前に横たわる彼女と隔てる不安な空間を

 

この僕の茶色いふたつの眼は 小刻みに震え彼女の姿を追う

耳をそばだてて彼女の声だけを 

ひと声、ひと声に、喜び・・・また切なさ

 

ああ、あなたの流し目に射られた僕の肉体は

先ずは左手そして右手 更に口を麻痺させる

身じろぎもしない僕の中の歓喜の雄叫びは

壊死した右手に引き金引かせ、僕は・・・また罪を犯す

 

彼女の冷たい踵が過る 膝頭露わに そして流し目さ

ああ、今思い知った 彼女の流し目は

生まれつきのもの 無意識下の一瞥

 

爪を切る 僕が待ち望むその日のため

爪を切る その日に彼女を傷つけぬよう

 

爪を切る 爪を切る 僕は爪を切る

爪を切る 爪を切る 僕は爪を切り

 

ああ、今思い知った 本当は彼女を

少しも愛していない 流し目に魅せられた

 

 

songwriting,

arrangement,

performances,

programings,

engineering,

by Sakeichi Fusumazawa

except arrangement of main guitar phrase

by Shunichi Hanano

 

 

 

【追記】

自身の拘りで、自作曲の中には「詞」ではなく「詩」の文字を用いたいものが存在します。

この曲 "Her squint" もそれに中ります。

誤記ではありません。

 

演奏については、当時のデモ音源でSHさんが弾いた素晴らしいギタープレイを真似して僕が演奏しています。

技術が伴わないのでかなり簡略化しています。

各パートの演奏の粗やヴォーカルのピッチ、ミックスや音処理については、録音した直後から録り直したいなと思っていました。

いつかまた録り直そうと考えてはいたものの、当時でも拙い演奏だったのにブランクがあるとこのレベルすら弾けません。

恐らく今後も無理でしょう。

要するにこれが鮭一の最高のパフォーマンスになるのでしょうね。

鮭一の青の時代の、青い衝動の結晶です。

 

 

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
拝聴しました (Blue Wing Olive)
2018-07-10 23:18:31
私は清々しいギターサウンドに、過ぎ去りし時を感じました。Aztec Camera の Oblivious みたいな。
楽しませて頂きました。
コードの印象は、人それぞれの感じ方があっていいのでしょう。
自己表現の為に音楽を学び、これだけの作品を完成させるというのは、とても素晴らしいことだと思います。(私は楽器の演奏ができません。)
YouTubeの画像のポートレートの日付に何か意味があるようで、リアリティを感じます。
イベントでの演奏楽しみですね。
Re:Blue Wing Oliveさん (鮭一)
2018-07-11 08:59:25
聴いていただいてありがとうございます。

僕は今も昔もネオ・アコースティックと呼ばれるサウンドが好きでして、自分の言葉を伝えるためのフォーマットとして、ネオアコのサウンドが最適と思っていました。
ですから、ネオアコの祖とでも言うべきAztec Cameraを想起していただいたのは素直に嬉しいです。

画像の女性は学生時代の友人で、数名の仲間で西湖に旅行に行ったときの1枚です。
曲のイメージに合ったので、本人の許可を得て使わせてもらいました。
日付には特に意味はないのですよ(^_^;)

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